第142話 異世界進化学

 獲得免疫を人為的に得るに当たって、必要となるのはMHCの別をつける目印。非自己の攻撃目標となる特徴さえあれば十分。


 弱毒・無毒化していても増殖能力が残っていれば、体内にいて世代交代を経る間に変異して正常化・強毒化することもある。

 前向きに捉えるなら、各変異体が生じる度に各々に対して学習していくことになるから、起こり得る変異に対しても大きな抵抗力を備えることが出来る。

 ただしその分時間は掛かっちゃう。

 体力・抵抗力の低い高齢者や疾患をもつ人は、これが原因で免疫を得る前に倒れてしまうね。


 なので毒性とは無関係に、目印だけを的確に導入し、学習させるのが一番効率が高いという見方も出来る。

 じゃあどうやって目印を導入するかという話になるんだけど、細菌なりウイルスなりの目印となる部位を切り取ってとなると、元となるものを増殖させる必要性が生まれてしまう。たった1個を導入するだけでは確実に免疫獲得出来るわけではないからね。

 増殖させるとなると前述の世代交代による変異の可能性がついてまわるし、取扱いの不備による生物災害バイオハザードに繋がるかもしれない。


 そういった危険性を減らす上で、目印タンパク質設計図遺伝情報を直接導入し、自細胞内の工場リボソームで生産するという手法がある。

 設計図が体内に留まり続ける限り、目印は合成され続けるから、十分な免疫を得ることが出来るって具合だね。

 設計図をDNAとした場合、自細胞内に取り込まれた後、mRNAへの転写の手間もさることながら、転写をするための認識領域を追加する必要がある分、遺伝情報量・物質量が大きくなってしまう。

 その点転写済みのmRNAのかたちで導入すれば、より早く目印が合成されることになる。

 mRNAの利点はタンパク質合成までの早さに留まらず、mRNAの不安定さに由来する変異の少なさも挙げられる。

 変異が起こるかmRNA自体が破壊されてしまうかというレベルだからね。


 欠点はその不安定さに由来する管理の難しさかな。

 DNAは二重螺旋構造をとって安定するのに対し、mRNAは一重螺旋構造のままで、DNAに比べ圧倒的に分解されやすい。

 長期間の保存をしようと思うと相応の環境が求められてしまうね。


 mRNAの合成自体は、鋳型となるDNA鎖に材料となるリボ核酸の“塩基”と鎖状に連結させていく酵素である重合酵素ポリメラーゼを反応させれば、『酵素はその反応の前後で変化しない』という原則も手伝い繰り返し合成を行い続けることが出来る。

 DNAを用いるのであれば、完成品も鋳型として使用することが出来るから、反応が進めば進むほど鋳型が増えて複製効率は上がっていく。

 これをPolymerase重合酵素 Chaine連鎖 Reaction反応法といい、少ないDNA残滓からいろいろな解析を行うための準備にも用いられる。

 一見DNAの方が合成効率は高いように思えるかもしれないが、鋳型が十分に用意出来ていればその差はゼロに等しくなっていく。

 むしろ先述の体内での手間に加え、自細胞内の染色体DNAに誤って取り込まれたときが怖いね。

 細胞の自制が破壊され、癌化する可能性さえあるからさ。


 ただ、生殖細胞の中に取り込まれることは全くもってあり得ないと言っていいだろうね。

 まず量的な問題、そして接種位置との位置関係、そして細胞内への取り込まれる頻度と染色体DNAへ取り込まれる頻度。

 細胞内に取り込まれ易いのであれば量はいらないし、生殖細胞まで辿り着かない。取り込まれにくいのであれば量は増えるが、同様にリスクも減ったといえる。

 取り込まれなかったものは血管系を通って全身を巡ることになるけど、遊離DNAとして次第に分解されていってしまう。わざわざ局部に接種するようなことをしない限り、辿り着くものはあったとしても僅かだよ。

 それぞれのリスクをバランスよく勘案して接種量・濃度・位置を決定する。何より染色体DNAに取り込まれ易いものは使えないよね。

 まぁ、そういったリスクもmRNAを使うことで大きく減じることが出来るのさ。


 こういった免疫のしくみと活用法を理解していれば、この世界ではマナを利用して魔法なり魔紋なりで補助することが出来る。



 さて、前置きが長くなってしまったが、伝えておきたいことは一つだ。

 『帰還時に体内の精査と体内外の洗浄、及び安全性が確認されるまでの期間の隔離を通常時より厳に行う』。

 その理由は『我々が未知の病原体に冒されているかもしれないから』。

 洗浄後の隔離は浮上都市ラヴィアンローズで行う。浮上都市自体も多少沖合いへ移動させた方がいいね。


 根拠は単純に多肢性の動物が多いから。

 たまたま一体や二体に遭遇したのなら、いつもどおりの洗浄とその間の隔離のみでいいんだけどね。

 おそらく、多肢になる──体節が重複する因子を導入する病原体が存在していたと考えられる。もしかしたら今現在も存在し続けているかもしれない。

 もちろん減数分裂や発生の異常で生じたと考えるのが正道さ。

 だが実際にトランスポゾンやレトロトランスポゾンといった“旅をする遺伝子”の起源となったウイルスは存在すると考えられているし、ミトコンドリアや葉緑体といった細胞内小器官も別種生物の共生関係に当たると考えられてもいる。


 トランスポゾンは“移動する設計図”に相当し、移動する場所が悪ければ、大事な設計図をメチャクチャに改変してしまうことがある。

 レトロトランスポゾンは“自己複製する設計図”に相当し、複製先はランダム。何でもないところに複製が挿入させれることもあれば、トランスポゾン同様に大事な設計図をメチャクチャにしてしまう可能性を秘めている。

 これらの特性をもつ遺伝情報がウイルスなどによって導入され、設計図が書き換わり体節が増えるようになってしまった場合が一つ。


 ミトコンドリアや葉緑体は染色体が核に包まれていない原核生物から、包まれている真核生物への進化の過程を説明する証拠であるという説がある。

 ミトコンドリアであれば好気性細菌が、葉緑体であれば光合成細菌が、それぞれ宿主となる細胞に対して共通する遺伝子の共有財産化を持ちかけ、細胞内に居候してきたって内容さ。

 家賃代わりに好気性細菌ではATPエネルギーの提供を、光合成細菌では有機物栄養分の提供を専任するという共生関係を関係を築いた。

 その証拠として好気性細菌、光合成細菌たちが元来もっていた細胞膜に、宿主の細胞膜が加わって二重膜構造をとっていることが挙げられる。

 宿主となった細胞では共生するための隙間をつくるために、染色体DNAを核膜で包み片付け真核細胞になったとも、片付け上手だった細胞が宿主に選ばれたともいわれている。ちなみに核膜は細胞膜を内側から手繰り寄せてつくった結果、二重膜構造になっていると説明されるね。

 このときに光合成細菌──後の葉緑体まで共生することに成功したものが植物、好気性細菌までが動物だね。


 ミトコンドリアも葉緑体も遺伝情報をすべての遺伝情報を核染色体DNAに依存しているかというとそうではなく、主要な部分はそれぞれがもち続けている。見方を変えれば遺伝情報の貯蔵庫ストレージが加わったかたち。

 細胞内共生または細胞内寄生をかけてくる相手がいて、保持している遺伝情報をもとに体節を増やしている場合がもう一つの可能性として挙げられる。


 多種属に感染・作用する病原体が今もいて、ヒトもその対象に含まれている。

 可能性としては実に低いものかもしれない。

 でも“ココ”は魔法もあってゴブリンからドラゴンまで棲む世界。

 すでに種として確立されている存在としてトカゲと半人半馬ケンタウロスの2種に遭遇している。

 このあとさらに別の種に遭遇すれば可能性はグッと増すと考えてほしい。

 ドラゴンは六肢の代名詞的存在。

 この島だか大陸だかに存在しないとも限らない。

 キミたち森エルフ、海エルフを生み出した手前、別種の始祖に近しい存在にはしたくないのさ。

 ただのエゴだと思うけど、家に帰れば手洗いうがいをするだろう? ちょっと入念にするだけさ。


 さぁ、夜が明けるよ。

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