第141話 異世界免疫学序論

 減数分裂、有性生殖を行って生じた多様性はどうやって維持されるのか。

 とどのつまり、どうやって生命は維持されているのかという話。



 生物を取り巻く温度、湿度、日光、大気圧や大気の割合、土壌といった要因を“外部環境”というのに対し、血液・リンパ液・組織液といった細胞を取り巻く体液を“内部環境”という。

 この内部環境を一定に保つことで、細胞はその活動を維持出来る。



 『すべての生物は“細胞”からなり、“細胞”は生物の構造と機能の基本単位である』というのが“細胞説”。

 これはおもしろい“説”でね。

 “説”っていうのは『こう考えるとうまく説明が付くよね』っていう考え方のこと。

 “性善説”と“性悪説”のように相反するものがあって、決着が付かないものもあれば、“地動説”と“天動説”のように科学的に証明されて、正誤の決着が付いたものもある。

 学問としての性質上、哲学的なものは宙ぶらりんが多く、自然科学に関するものは大抵証明されているかな。実験や観測に基づいてね。規模の大小によっては証明が困難なものもあるけど。

 この“細胞説”は証明が出来なかったものの一つなんだ。人体の細胞数さえ数え切れてないのに、全生物のからだを調べきることなんて不可能さ。人類が未到達の場所にだって生物は存在し得るからね。

 けれど定義と言っていい扱われ方をしている。『細胞で出来ているものを生物とする』って、“生物”の定義を“細胞”にのっけちゃったんだよね。『生物が細胞で出来ている』んじゃない。『細胞で出来ているから生物』なんだよ。


 じゃあ、“細胞”って何なの?ってなる。構造の話は長くなるから置いといて、機能としては“代謝”と“自己増殖”を行えること。この2つが備わっていれば、細胞として概ね認められる。

 代謝も自己増殖も出来ないウイルスなんかは細胞としては認められず、非生物ということになる。

 だけど生物に寄り添ってあたかも生物のように振る舞うから、生物に含めようとする一部の者たちが話をめんどくさくさせるんだよ。「寄生生物はどうなんだ」って引き合いに出してきたりするけど、論点は“個体として”ではなく、“細胞構造最小単位として”なのにね。


 この点に基づくと、機械に人工知能を搭載して人間と同様の振る舞いを見せたとしても、自らの手で身体ハード電脳ソフトを複製・構築出来なければ、生命として見なすことはせず、権利を認める必要もないことになる。

 製造工場が人間の手によるものであれば、従属・隷属して当然ということだね。


 この生命の根元たる“細胞”を最適な環境に置くことが、個体、延いては種の存続へと繋がるわけだ。

 ヒトをはじめとする哺乳動物では間脳視床下部を中枢とする内分泌系や自律神経系によって血糖値や体温、浸透圧なんかを調整している。

 食事を摂ることで細胞の構築に必要な成分を補充することも、不要となった老廃物を便や尿として排出することも、内部環境を維持する活動の一環として見なすことが出来る。

 無機塩類ミネラルのような物もあるけれど、われわれが口にするのは多くが他の生物由来の物。

 場合によっては生のまま、細胞の形を残したまま食することになるが、これらも同じく最適な環境が与えられるのかというとそうではない。


 よく思い違いをされてしまうが、生物学上、口から肛門まで、消化管内は“体外”として扱われる。

 日常的な感覚では体内なんだけどね。判断の境目としては、流血なし・・・・に接触することが出来るかどうか。カテーテルが通れば体外ってことになる。気道を通って肺、尿道を通って膀胱、子宮なんかも“体外”だね。ここでは便宜上、“体内外部環境”としておこうか。

 外部環境に相当し、細胞にとって快適な環境とは言い難いものであるのが普通。

 食物として消化管に入ってきた細胞は消化液に曝されることとなり、酸や酵素によって分解されてしまう。


 そんな体内外部環境でも適応するものはあって、平気で活動を続けるものもある。

 体内外部環境と内部環境の境目にいる細胞のことを考えれば自ずと答えは出てくるよね。

 過酷な環境を提供する細胞はその環境に適応していなければならないし、その適応を身に付けていれば生き残る。

 胃液に耐えるために、粘膜を分泌する能力が胃壁を構成する細胞には備わっている。それと同じ能力があれば問題なく生存出来るし、もっと単純に強酸に耐えられて消化酵素の基質からも外れていれば分解されることはない。


 寄生・共生する余地はそうやって生まれてくる。

 寄生は宿主に害を及ぼすもの。

 共生は宿主に無害な“片利共生”と宿主にも利益をもたらす“相利共生”とに分けられる。

 宿主側としては共生はまだしも、寄生はごめん被りたい。

 だから体内に入ってきた非自己異物を排除するしくみが必要になるわけだ。消化液もその一環とみることが出来るね。


 じゃあどうやって自己と非自己を区別するのか。

 これは主要組織適合遺伝子複合体──Major Histocompatibility Complexとよばれるタンパク質によって判別が行われている。

 ヒトの場合では特に、その発見された部位から、ヒト白血球型抗原──Human Leukocyte Antigen、略してHLAとよばれているよ。

 このMHCが細胞表面に存在し、その型が合えば自己と同一。合わなければ非自己であるとなるわけだ。

 赤の他人であってもこのMHCが一致すれば自己と認識されるため、臓器移植を行う際に拒絶反応が一切出ない。反対に一致していなければ肉親といえども拒絶反応に苦しむことになる。


 寄生・共生関係にある生物の場合、MHCさえ誤認させられれば、少ない労力でその個体の体内に留まり続けることが出来る。

 そうでなければ、前述の耐える為の構造を備えるか、破壊される以上に再構築・増殖出来る仕組みをもつかさ。後者は非常に労力が掛かるね。


 異物と認識されたものは、白血球の大食細胞マクロファージの食作用で取り込まれ、細胞内消化によって破壊・分解されていくか、リンパ球T細胞を介した高位の排除機構によって処理されていく。

 T細胞による排除機構は大きく2つに分けられ、別種のT細胞を活性化させて細胞が直接的に攻撃していくものと、リンパ球B細胞を活性化させて異物を弱体化させ大食細胞らの食作用を助けるものとがある。

 前者は“細胞性免疫”と呼ばれ、ガン化した細胞やウイルスに感染した細胞を排除するのに用いられることが多い。

 後者は“体液性免疫”と呼ばれ、抗体と呼ばれるタンパク質を産生し、抗原──異物に取り付かせて活動を阻害していく。侵入してきた細菌やウイルスを排除するのに用いられることが多い。

 これらは最初に異物が侵入してきた際には、学習過程が必要となるため多少の時間を要するが、2回目以降には速やかに行われる。

 この仕組みを利用したのが“予防接種”で、弱毒化・無毒化した抗原を体内に取り込むことで事前に学習させておけば、ウイルスや細菌への抵抗力を身に付けることが出来る。

 

 いずれの免疫機構にしても、T細胞が一度中継点を担うことになる。

 T細胞は胸腺Thymusで成熟したリンパ球で、胸腺自体は青年期以降に退化・消失していくことになるため、高齢になるにつれ免疫力は低下していくわけだ。


 只人では胸腺の退化して空いた隙間に魔核が成長していくため、幼少時の魔法の濫用、マナへの馴化は魔核の成長を促す反面、胸腺の働きを阻害することに繋がってしまう。魔法の神童が短命である理由だね。

 この点はエルフではすでに解決済みだし、時代が進めば只人からもそのような血が生まれてくるかもしれないけどね。

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