第136話 ホームズは雌猫

 生殖行動に当たり、確実に子どもが残せることを示すのは雌も同様に求められることがある。

 卵をたくさん抱え込んだ大きなお腹や、体格の良さなんかがそうだね。

 高度な社会性をもつ人類でも、膨よかな女性は栄養面でも経済面でも安定していると好まれたものさ。


 性象徴として人体側の乳房が発達するという可能性も、「余剰に脂肪が蓄えられるほど栄養状態が良い」とアピールするためという仮定に基づいたものだよ。

 馬体側の乳房を発達させた方が効率が良いのは先述の通り。

 わざわざ人体側を発達させるのは、衣類で視覚情報が遮られたために、目立つ場所でアピールポイントが必要になったという適応のあり方だね。

 乳房の大きさ自体は母乳の供給能力に必ずしも相関はないし、乳腺葉以外はほぼ脂肪組織。

 体温保持のためなら満遍なく皮下脂肪として配した方が良いけれども、それじゃあ骨格自体が大きいのか分からないからね。


 重要なのは“分かりやすさ”だよ。

 きっと運動の邪魔にならない範囲で、大きければ大きいほど良いとされるんじゃないかな。

 衣類で隠されたことに端を発するから、そちらも隠されてしまえば、偽装する輩も出てくるかもしれないけどね。

 案外、知恵が回ると好む者も現れるかもしれない。

 普通は体温調節や直射日光に対する防御のために衣類を纏うことになるんだけど、連中は筋肉量が多い分、皮下脂肪との兼ね合いがより重要になりそうだね。

 衣類を纏わないことがバランスの良い身体をもつ証明となり、「裸でいることが美徳である」に落ち着くとは思うんだけど、それは人類にも言えること。

 人類は衣類を纏う方向へ進んだのだから、半人半馬ケンタウロスたちが同じ道へ進まないとは言い切れないよね。



 あとはさっきちょろっと話した性フェロモンも一つのアピールに繋がっていると言われている。

 フェロモンっていうのは、体外で作用する生理活性物質ホルモンのことで、自己の体内で作用するホルモンに対し、体外──非自己に対しても作用する。

 代表的なものとしては仲間を餌場に集める“集合”や、外敵の存在を報せる“警報”なんかがある。

 フェロモンはホルモンと同様に、分泌腺から放出されることになるが、内外の差はあって、どちらも経路は様々。


 ある昆虫では消化液に含まれる物質が糞とともに排出され、「糞がある=餌がある」ということで集合フェロモンとして作用する。

 この場合、その昆虫自体を排除しても糞が残っていれば、次から次へと集まってきて不快な思いをすることもある。


 外敵から身を守るために臭腺を持っている動物なんかでは、そのニオイ物質自体が警報フェロモンだったりするね。

 「臭腺を使った=外敵がいる」という分かりやすい構図だね。

 ニオイ物質を放出した後、残り香を身に纏わせていたら、常に警報を出している状態だから、仲間が近付いてこない。無論、異性もね。

 悲しいようにも聞こえるけれど、実は理に適っていて、「臭腺使った=外敵の接近を許した=生存能力が低い」と見なせて、子孫を残すことに対してリスクがあると、周知させている状態なんだ。

 ニオイが拡散しきる間生存し続けて、強い生命力を示すか、洗い流す知恵を示すかで払拭出来るんだから、そこまで致命的なものではないよね。洗い流すとなると水に体温も奪われるから、高い生命力も持ち合わせていることを示せるし。


 そんなふうに空気中を拡散する化学物質が、遠く離れた個体へ作用するから、「生理活性物質を運ぶもの」という意味合いでフェロモンと名付けられたわけだね。

 空気中の化学物質を受容するのだから、哺乳動物では鼻。昆虫では触角が受容器となっていることが多いね。

 その化学物質が可溶性で唾液に溶け込みやすいのであれば、味覚として舌で受容することも出来る。

 性フェロモンは他者に対して、生殖行動を誘発させる物質ってことになる。

 それは性成熟を知らせるとともに、相手に発情をもたらす物質というのが一番効率のいい姿かな。


 そもそも生殖行動がなぜ必要になったかというと、遺伝的多様性のためといわれている。

 単純に多様性が高ければ、単一の原因によって全滅し難いということ。

 2つの親から遺伝子を半分ずつ受け継ぐ有性生殖は、どんな半分を受け継ぐかによって似て非なる子どもが生じる。

 如何にして生き残りを多くするかという命題に対する、回答の一つなわけだ。


 別の回答としては無性生殖。

 単一の個体を殖やす中で、突然変異による変化・多様性が得られる。

 原則的には同一個体をつくるから、突然変異は稀となるはずだけれど、遺伝子の変異を起こしやすい環境下であれば、速やかに別種の個体が生じる可能性を秘めている。

 また、親は1つだから相手を探す必要が無く、生殖までにかかる労力が低いことが利点として挙げられる。

 ゴブリン・人獣コボルトなんかは他の哺乳動物の母胎を必要とする分、労力を要しているけれど、実態は単為生殖の寄生宿主を求めているだけ。

 同族でなくていい上に相手の成熟を待つ必要がないから、哺乳動物に比べて生殖前の労力は低めだね。

 妊娠期間と性成熟までの期間が短いから、繁殖力は極めて高い。

 多細胞生物でありながら突然変異の頻度が高く、環境適応力の高さは類を見ない。


 対する有性生殖は相手を見つけなければいけない労力はあるものの、配偶子をつくり出すための減数分裂で多様性が生じる。

 減数分裂とは文字通り数を減らす分裂だけれども、何の数が減るのかというと、遺伝情報を取り纏めたファイルに相当する染色体の数が減る。


 染色体は遺伝子の本体たるDeoxyriboデオキシリボNucleic Acidと、DNAを巻き付けるヒストンタンパク質等から成る。

 酢酸オルセインや酢酸カーミンといった染色液で着色されることから、染色体とよばれるようになった。

 細胞核をもつ生物──真核生物では、染色体は核内に広がった状態で存在しているけれど、細胞分裂時には凝縮して染色体1個1個が判別出来るようになる。狭義にはこのときの状態を指して染色体というね。広がった状態だと光学顕微鏡下で観察出来なくて、細胞分裂時に観察できる構造体として認知されていた名残さ。

 形態の変化は、通常は使い易いようにバラけさせて、引っ越しの時には荷造りをしてという感じだね。

 散らかった部屋でも部屋の主には何処に何があるか分かるのは、細胞構造由来の空間認識能力のなせるワザかもしれないね。


 冗談はさておき、凝縮した染色体には大きさの順に1から番号が振られ、相同染色体──同じかたち・同じ大きさをしたもの同士でペアを作ることができる。

 我々ヒトの場合であれば1~22まで。これらを常染色体とよび、両親から等しく受け継いでいる。

 対して雌雄で形状の異なる染色体を性染色体といい、X染色体、Y染色体とよばれる。雌──女性ではX染色体が2つあり、雄──男性ではX染色体とY染色体が1つずつとなっている。

 ヒトをはじめとする哺乳類では雄異型ヘテロのXY型だけど、Y染色体が存在しないXO型や、雌異型ヘテロのZW型やZO型の生き物もいる。

 これら性染色体には性決定因子なるものが存在し、性差を生み出しているわけだ。ヒトの場合は雄になるための因子がY染色体に存在しているよ。

 勿論、性差に関係ない遺伝子もあるけどね。有名なところだと、ヒトのX染色体に存在する赤と緑の色覚に関する遺伝子や血液凝固に関する遺伝子だね。それぞれ遺伝子が不全であれば、赤緑色覚異常、血友病になるわけだね。


 あと、ネコではX染色体に毛色を橙・茶にする遺伝子なんかがある。

 雌はX染色体を2つもつから雄に比べて2倍量の遺伝子が有るんだけど、使用できるのはどちらか1つの染色体で片方は不活性化している。

 不活性化するのは、受精卵から胎児が形成される発生の初期段階といわれていて、どちらのX染色体が不活性化するかは細胞によってランダム。全細胞で父親由来のX染色体が不活性化するのも確率的には0ではないよ。


 例えば母親から茶色にする遺伝子のあるX染色体をもらい、父親からは茶色にならない遺伝子のあるX染色体をもらったとする。

 あとは常染色体の遺伝子次第だけど、そうだな……黒白の斑模様になるものとしようか。この場合、父親のX染色体がはたらいている細胞では黒毛、母親のX染色体がはたらいている細胞では茶毛となり、さらにランダムで各細胞に白毛の斑が入る。結果として白・黒・茶の色のをもつ三毛猫になる。

 逆説的に、三毛猫になるにはX染色体を2つもつ必要があるわけだから、原則的に「三毛猫であれば雌」ということが言えるわけだね。

 ごく稀に雄の三毛猫がいるけれど、これはX染色体2つで三毛になり、Y染色体で雄になった。つまりXXYと性染色体が3つある状態。僕の故郷ではクラインフェルター症候群と呼ばれていて、生殖能力が極めて乏しく不妊治療をしなければ子を残せない程。去勢手術が不要とも言えるかな。


 こんな風に性染色体によって性別が決まっている場合もあるけれど、カメやワニでは孵化する温度で性別が変わる種がいるし、魚類の中には集団内で身体が一番大きな個体が雌になる種がいて、性染色体が絶対というわけではないんだ。

 すごいよね。迷子になった子どもを捜しに群を離れた父親は、合流して2匹の集団になると雌──母親になってしまう。パパがある日ママになる。子どもにとっては結構ショッキングかもね。

 後天的に性別が変化する種では、フェロモンなんかで性の維持・変化が制御されていたりするのさ。

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