第133話 争いは同じレベルでしか起こらない

 連中は海エルフの武装を奪い取りもするし、仲間内で武装のやりとりを行うことも確認されているよね。

 つまり知性があり、コミュニケーションを取ることが出来るということ。

 それにも関わらず、此方の呼び掛けには応えようとしなかった。

 言語体系が異なっていても意思の疎通が出来るこの世界でコレは何を示すのか。


 一つは言語に頼っていない意思疎通を行っている場合。

 発光通信のようなものであれば、伝わりようがないよね。

 身振り手振りもそうだし、もしかしたら言語化される前の段階かもしれない。

 言葉を習得する時期の幼児では、相手の言うことが分からずとも、示す事柄は心得てることもあるしね。


 もう一つは根本的に言葉が通じない相手の場合。ゴブリンや人獣コボルトがそうだね。

 親子関係をはじめとして、同族でのコミュニケーションが明確に見受けられるけれど、人類と言語を介した意思の疎通がとれた試しはないよね。

 例えが悪いけれど、ウシやブタといった家畜なんかと同列になる。

 放牧から厩舎へ戻すときに、此方の指示に従ってくれるけれど、人語で返事をしないのと同じなんだ。


 声帯言語というコミュニケーションツールが未発明の段階と捉えれば、マナがある世界であっても意思の疎通が出来ないことの説明がつけられるね。


 “音”──空気や水といった物質の振動が、巡り巡って鼓膜を振動させる。

 槌骨・砧骨・鐙骨からなる耳小骨で振動を増幅し、卵円窓から蝸牛へ入る。

 蝸牛は3階層に分かれていて、伝わってきた振動は上層である前庭階を抜け、下層の鼓室階へと伝わる。

 鼓室階に伝わった振動はすぐ上、中層の中央階の床である基底膜を揺らす。

 すると基底膜上のコルチ器の有毛細胞の繊毛が覆い膜と接触する。この物理的な接触により有毛細胞が興奮し、聴神経を介して大脳側頭葉聴覚野へ伝えられ、“音”が認識されるわけだ。

 この一連の流れに不良があれば正しい聴覚は得られない。

 歳をとると聞こえが悪くなるのは、有毛細胞の繊毛が摩耗して、覆い膜との間隔が広がり、微少な振動では興奮が生じ難くなるからさ。

 より大きな振動を必要とするため、大きな音が必要となるわけだね。

 逆説的ではあるけれど、頻繁に大きな音に包まれるような生活を送ると、繊毛の磨耗が激しく、若齢での難聴を引き起こしかねない。


 ちなみに、基底膜を揺らした振動は正円窓からユースタキー管に抜け、咽頭へと抜けていく。

 鼻づまりの子が難聴を訴えるのは、“音”の抜けが悪いからって言われているね。耳鼻咽頭で括られるのもそういった繋がりがあるからだよ。


 この世界ではマナが介在して、声帯言語の通訳を自動的に行っていると考えられる。

 それは送り手側の呼気に含まれるマナが為しているのかもしれないし、受け手側の蝸牛内を満たすリンパ液にマナが混在して為しているのかもしれない。もしくはその両方かも。

 声帯言語が発達していない・発明されていないということは、送り手側が意思を“音”に乗せることも、受け手側の準備も出来ていないということ。解読表のない暗号みたいなもんだよ。

 同種・同族であやふやなものが他種・他族に伝わるわけはないよね。


 逆に声帯言語が発明されれば、その生き物とは意思の疎通が出来るということ。

 これって実はゴブリンや家畜たちにも言えることになるんだよ。

 生存するだけでやっとの生活から抜け出して、声帯言語の発明に余力を割けるようになったら、そういった未来も見えてしまう。



 言葉が通じない原因をわざわざ2つに分けたのはね、単なる僕の願望だよ。


 考えてもみなよ。

 これから家畜を屠殺するってときに、「ヤメて! ぼく悪い○○じゃないよ」って話し掛けられたらどうする?

 ゴブリンの討伐中に命乞いをされたら?

 騙し討ちをされることもあるかもしれない。

 声帯言語による意思疎通が追いついているからといって、生活水準が近しいとは限らない。

 明日食う物に困るのであれば、遠慮なく捕食してくるのではないか? 僕ならそうする。使えるものは最大限使う。

 言語はコミュニケーションツールであるが、大前提として生存に有利にはたらく道具であるから発達するんだ。

 人間同士であっても、平和呆けした者と貪欲な者とでは同じ言葉でも使い方は異なる。

 それは法律や契約の解釈の分かれ方となるし、約束を守るかどうかといった、おおよそ社会性を身に付けた者に在らざるべき姿を見せることもある。

 異種間だから言えることとは限らないんだよ。



 言葉が通じるようになると、一転、肉食が遠ざかってしまうんだ。

 言葉が通じない動物を対象にしようとしても、家畜化してしまえば声帯言語を身に付ける余裕が生まれかねないし、野生動物を狩るにも絶滅させないようにと、個体数調査・調整を行っていればそれは家畜化していることに等しく、いずれ同じ所に行き着いてしまう。

 無差別に乱獲してしまえば、絶滅を招き狩猟対象を失ってしまうしね。結果として肉食から遠ざかるでしょ?


 ましてや「今後言葉が通じる可能性があるから」と敬遠する人も出てくるだろうね。

 はじめから肉食をしないという選択肢だ。

 森エルフにはその色が強いけど、肉食しないわけでも出来ないわけでもない。


 人類が肉食をしなくなった未来を考えてみよう。

 家畜は食べる対象ではなくなり、農耕・牧畜の生活から牧畜が失われてしまう状況だ。

 畑を耕すにも、牛馬の力は借りられない。だって言葉が通じちゃうもの。「なぜオレばかりが畑を耕しているのか」と訴えてくる。

 対価として飼料を与えている? そんなことは些細な問題だよ。

 牛馬が力強いのは、その体重に比例するからさ。四本の肢を地についているという点もあるけどね。

 ただ体重が重いということは、その維持のためだけでも多くのエネルギー=食料が必要になるわけさ。ヒトよりも多くのね。

 不平不満を訴え、多くの食料を求めてくる。ましてや菜食主義者となった身では同じ物を食べる競合相手。正に対等の関係になっているから、使役するにも交渉が必要になる。

 使う? 僕は使わない。だってこの世界には魔法があるんだもの。自分でやるか、誰か“人間”に頼むよ。

 作付け前の畑起こし・田起こしで使うだけで1年中の生活を保証しなくちゃいけないんだよ? 荷役? 『収納』があるのに? 移動手段? さっさと自転車・自動車を発明して、脱家畜するだけさ。

 ペットにしたってそうさ。「昨夜はお楽しみでしたね」って語りかけてくるし、発情期サカリには向こうの欲望がダダ漏れだよ。アニマルセラピーって何だろうね?



 人間が肉食をしなくなった場合、生態ピラミッドは“本来の”あるべき姿へと収束していくことになる。

 下支えする生産者──植物の上に一次消費者──草食動物が次ぐ。そこに二次消費者、三次消費者と高次の消費者──肉食動物が積み重なる。

 補足をしておくと、生産者の下には分解者であるミミズや菌類が位置し、死骸などを生体が利用可能な状態にしてくれている。

 通常、人間は農耕・牧畜を行って生産者・一次消費者を増やしているため、そういった周囲環境を含めてピラミッド外として扱っているんだ。

 牧畜をやめるだけならそのままピラミッド外でもいいのだろうけど、やめる理由を考えるとそうもいかない。

 

 “言葉が通じること”を理由に、草食動物を殺さず肉食をやめたのだから、草食動物は増え続ける。

 農耕により生産者が逐次増え続けているからね。

 すると一次消費者も増え、害獣たちへ非殺傷防除を行うことになる。まぁ益体もない争い、いたちごっこが繰り広げられるわけだ。

 数が減らないどころか、増え続けて繰り返し訪れるからね。

 一次消費者が増えたことで二次以降の高次消費者も増え出す。すると今度は競合相手から捕食者に変わる。仕損じれば人間は数を減らし戦力はどんどん下がっていってしまう。

 相手からすればヒトに拘る必要性は全くない。他の草食動物を補食して数が増え、食料に困ったときにヒトを襲ってくることもあるだろう。いわゆる大量侵攻スタンピードってやつだね。

 こうなっちゃうと、生態ピラミッドの外なんて悠長なことは言ってらんない。“人間”は“ヒト”としてピラミッドの下層に収まってしまうんだよ。


 生態系の維持のために他の動物を排除する? 極めて自己中心的エゴイスティックだね。食べもしないのに積極的に多種族を殺害するなんて、正にエゴの塊じゃないか。

 生存戦争と言えば聞こえは良いかい? だが争っている敵は何だ? 

 自らは文明的と思っての行動かもしれないが、“人間”は一動物種の“ヒト”に自ら成り下がってしまうんだよ。

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