第126話 Childhoods End

「さよなら~」

「じゃーねー」

「バイバーイ」


 6限までの授業を終え、帰路に就く。

 母親あの人がああでなければ、何かしらの部活動をしていたのかもしれない。


 母親あの人が宗教にハマったのは、今は亡き祖父が関係している。と言うと祖父の聞こえが悪くなってしまうが、祖父の病気が発覚したときに、藁にも縋る思いで手を伸ばしたのが宗教団体“光の教え”だった。


 見つかったときにはステージ4の末期癌。

 各所に転移してしまっているため、手術をしようにも、高齢で体力が低下していて耐えられる見込みなし。

 医者は抗癌剤の投与も副作用で苦しむくらいならと、QqualityOofLlifeを重視した緩和ケアを提案し、祖父もそれを受け入れた。

 反対したのが母親。


 父子家庭だった母親にしてみれば、然るべき治療を受けさせたと思えてないことが、まるで見捨てるように感じられたのかもしれない。


 その日は突然やってきた。


 雑誌裏の怪しい広告で知ったのか。はたまた駅前の勧誘に引っかかったのか。人の死に鼻の利くハイエナの如く、我が家の窮状を聞きつけて接触してきたのかは分からないけど、母親はラベルのないペットボトルを取り出し、明らかに過剰な謳い文句を朗々と諳んじてみせた。

 真偽不明な液体を祖父に飲ませると、これで良くなるからの一点張り。


 祖父は祖父で、水を飲むだけだからと周りにも気遣い、母親の好意を受けようとした。

 いくつかの臓器が機能しなくなりつつある中、代謝の落ちた身体では徐々に浮腫が酷くなり、臥してる時間が長い分、床擦れに耐える姿が目に付くようになった。


 振り返ってみるとそれほど長くない闘病生活の中で、見る見るうちに貯金は底をついた。

 幼い私でも、日に日に質素になる食卓に気付かないわけはなかった。

 そしてそれは父親もそうだった。

 父親からの追求に対し、でもでも、だってと理由にならない言い訳を繰り返し、ついには「あなたは肉親じゃないから分からないんだ」と言い放った。

 翌日父親は姿を消し、1週間もしない内に私の姓が変わった。

 学校では腫れ物を扱うように接せられ、窮屈になったのを覚えている。


 祖父が亡くなるとき、自由の利かない身体、痛み、苦しみから解放されると、それはそれは穏やかな顔だった。

 娘と孫に看取られることに満足していただけなのに、母親あの人にとっては違ったようだった。


 曰く、“光の教え”に従ったから安らかに天国へ旅立つことが出来た。“光の教え”は本物だ。私たちも父と天国で再会を果たすため、“光の教え”を受け続けなければならない。


 身軽になった母親は、それまで以上にどっぷりハマり、看病で参加出来ていなかったからと、頻繁に集会に足を運ぶようになった。

 私を連れて。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ん、ふぅ、ふん、う、ふぅ、ふん」


 私の上で腰を振る男が大教祖、伊武一龍。

 学校から帰ると、待ちかまえていた母親に連れられ、制服のまま教団本部へ。

 1日の授業を終え汗ばんだ制服のまま集会に参加し、今はいわゆる特別説教。


「さぁ、心を、開放して。ふん、“光の教え”に、身も、心も、委ねなさい! うっ!」


 身を仰け反らせ、仰向けの私に天井のステンドグラスで出来た宗教画を見せようとする。

 こんなときにも神の教えを説いているスタンスを貫く。



 中学に上がってすぐ、正式な入信の儀式だと、主神、観鑼主の現世代行者にして大教主、伊武の手により、初恋を知らぬまま男を知った。

 からだの痛みはあったけど、こんなものかと冷めた思いしかなかった。

 レディースコミックや噂に聞くような、ときめきも快感も皆無だった。

 “私”と一人称を改め、大人として振る舞うことを求められた。

 “あたし”の子供時代はこうして終わりを告げた。



 あの日以来、定期的にこうして特別説教を受けている。

 おそらく母親あの人も同じように抱かれてる。

 行きは一緒でも帰りは別々ということは何度もあったし、帰宅の時間差もちょうど1回分。

 母親も入信時──祖父の闘病中からこの男に抱かれのかと思うと、父親が逃げたことを非難する気持ちは次第に薄れていった。


「さぁ、今月分の光神薬をあげよう。穢れを体外に発散してくれるから、忘れずに飲み続けなさい」


「はい、ありがとうございます」


 渡された錠剤は避妊薬。


 上辺だけの友人クラスメイトが片手に、仲間内で話していた。

 男子もいる教室で、『カレシがナマナカ派だから~』と、誰も訊いてないのに見せびらかしていた。

 どんなマウントの取り方なんだろうと思いながらも、パッケージに目を惹かれてしまった。興味が湧いたので頼んでみると、二つ返事で見せてくれた。

 光神薬はご丁寧に商品名が分からないように梱包し直されているけれど、用法はまるっきり同じ。

 調べてみると生理が軽くなるのも、単に薬の副次効果だった。


 この手の宗教にありがちな、大教主の入った風呂の残り湯は聖水となり、たった今膣内に吐き出された精は魔征水として販売されている。

 女性は新鮮な魔征水を直接取り込むのが効果が高いとされ、からだを許すだけでなく、相応のお布施も求められる。

 女性信者は全員伊武の毒牙に掛かり、男性信者へは女性教主の下間と羅馬田の2人が相手をする。

 神聖な2人の膣内で精を放てば、清められて魂のステージが上がるとか、小水を飲めば体内から浄化が進むとか。


 教主たちとの行為そのものが、身を清めることだからと、服を脱がせてはくれるものの、終わった後はそのまま着替えるだけ。シャワーを浴びることはない。


 こんなものに私の家は滅茶苦茶にされたのかと、膣内からドロリと溢れ、股を伝うものの不快さを感じ、その物の白さとは対照的に、事の終わりには毎回黒いものが渦巻く。

 今日はいつにも増してどす黒い感情が頭を塗り潰した。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 高校生になってから、父親と会おうとしたことがあった。

 バイトが出来るようになり、お布施を稼ぐ手前、お小遣い分を貯めて興信所に行方を調べてもらった。

 宗教狂いであっても、学校で孤立しないようにと交遊費は認めてくれた。

 念のため捨てられたレシートを集めて、出費の偽装もしたけれど、求められたことはなかった。


 父親は離婚後1年で再婚し、後妻との間に2人の子に恵まれていた。

 2人は幼稚園から大学までエスカレーター式の小学校に通っている。

 “ごきげんよう”が挨拶の、超が付く名門校。アニメやゲームの中でしかお目にかかることのない環境に、同じ親をもつ弟妹が通っている。

 何かの間違いであれと、報告書を頼りに見に行くことにした。


 朝の登校時間帯。

 お揃いの帽子、上着、キュロットに身を包み、特注のランドセルを背負った児童が校門をくぐる。着崩されることない制服から、児童の所属は明確。

 校門前につけた複数の車の内、高級外国車からパリッとした制服の弟妹が降りた。

 助手席から降りた後妻が2人の手を取り、運転席の父親と「いってきます」、「いってらっしゃい」のやり取り。

 一家団欒の姿が目映く見えた。

 校門へ向かおうと振り返るとき、後妻と目が合った。

 私のことを知っているのか、浮かべた笑みは醜悪なものだった。

 私はその場を立ち去った。

 遅刻して行く予定だった学校も、結局休んでしまった。


 それが一昨日の話。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 股から流れる汚物を生理用品ナプキンで受け止め、制服に袖を通す。

 昨日付けてしまった染み汚れが少し気になったが、すぐに関係なくなると頭から振り払った。

 いつもより少し早い時間、自転車で駅へ向かい、ホームで手の主を探す。此方が電車待ちの列に並ぶと、ベンチから立ち上がり列の後ろに加わった。

 ホームにメロディが流れ、駅員のアナウンスが列車の通過を知らせる。

 後ろを振り返り、手の主に会釈して、ホームのゲートに手をかけた。


 枕木の上に乗った鋼鉄製のレールと砂利。


 それが最後に見た景色。


 誰かの悲鳴と金属の擦れる音。


 それが最後に聞こえた音。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

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