第119話 Gの系譜

「良い景色ですね~」


「ウチの森とは違って樹冠が低いから、遠くがよく見えるでしょ」


 バンドウッヅから西へ針路を取り、いくつかの町村を経由しつつ、今は木々に覆われた山道を進む。

 既視感が更に強くなり、頻度も増したことから、剣の故郷もこの先にあると期待が膨らんだ。


 道中は照る照ミステリアス・る坊主パートナーズの用意した馬車にお邪魔することにした。

 鉄輪とはいえ懸架装置がしっかり造られているため、乗り心地は良く、牽き手の馬たちも人懐っこくて好感が持てた。

 しかしながら御者台に座る照る照る坊主が奴隷商のそれに思えてくるため、一抹の不安も過るというもの。

 同じ気持ちで少しでも気分を晴らそうとしているのか、馬車の屋根に登ったり、先行して木登りをしたりとお猿さん状態なのがスザンナだ。

 アディは気になる木があればそっと幹に触れ、何か交信しているようだった。ドリィに対して行うように、記憶の並列化でもしているのだろうか? ニオイの元を生み出さなければ概ね問題はないはずだ。


 夜営することになったときは交代で見張りをするが、ここまでは精々野犬が出る程度。

 五体満足で戦闘の意志を逸してくれるようであれば見逃すが、手負いのものや向かって来るものは容赦なく手に掛けた。

 そうしないと、ゴブリン繁殖や人獣コボルト誕生の温床となりかねないのだ。

 出会うものすべて皆殺しにしてしまうと生態系を崩しかねない。戦う力、逃げる力のあるものは生かしておき、もしそれでも敗れるようであれば、その個体、延いてはその種が滅びる運命だったということだ。それがこの世界の選択だったと諦めるしかない。

 逆説的ではあるが、野犬が出る現状は周囲にゴブリンが少ないことの証左でもあり、野犬たち自身か、人の手によって種の維持が図られているということだ。

 稜線を越えると彼女たちの国に入り、厳に管理されているらしい。

 もう少し進むと開けた場所に出られるので、そこで夜営の準備をする予定だ。


 彼女たちが戦闘する様子を見ることはなかったが、料理の腕はまぁまぁ悪くなかった。

 味付けの好みが多少違うだけで、我慢出来ないわけではない。甘い卵焼きかしょっぱい卵焼きかの違いのような、非常に些細なものだ。我慢が出来ないのなら自分で作ればいいだけだ。

 お袋の味というものも思い出せなくなってしまっているが、それが元々かは分からない。少なくとも2人は嫁に迎える分には及第点だと思えた。

 スザンナは魔女釜を好む傾向が強いので、料理のカテゴリに収まっているかどうかさえ怪しい。アントシアニンの色変化を教えるんじゃなかった。

 幸いにも今夜は2人の番だ。と言うよりも、専ら彼女たちに任せていると言っていい。昼間は馬車の操作をしてもらっている分、夜はぐっすり眠ってもらうようにとの配慮だ。

 夕餉までを担って頂き、後は朝まで就寝に回してもらう。異性からの提案としては不穏当かもしれないが、彼女たちも了承してくれたので、年季の入った魔女釜のお目見えは1回限りで済ませられた。



 食事を終え、哨戒を兼ねて付近を散策する。

 普段は野営地からそれほど離れることはしないが、【収納】の定期更新のため、人目を避ける必要があった。

 2人は既に床につき、焚き火の番をスザンナとアディでしてくれている。

 周囲に気配がないことを確認し、地下室を取り出す。

 何度となく繰り返してきた作業で、室内の荷物も見慣れたものだ。ガラス製の実験器具に始まり、刃物の手入れ・研ぎ直しの道具類。武器防具の予備部品が所狭しと並んでいた。

 別個にしていた紅い毛皮を取り出し、素材棚へ戻す。クレアたちを救う際に使った毛皮だ。

 他にもこの部屋から持ち出した物を元有った場所に戻し、他にも“三つ月の紋”が刻まれた物を置いていく。ヘッドギア、胸当に肩当、脛当と鉄靴、ひと際変わった形状の手甲も仕舞い、両手剣や弾丸なども一纏めにしておく。

 件のショートソード以外、爺ちゃんと出会う前に持っていた荷物は一通り置いていった。

 部屋を出たところで鞄の中から“緑の尻尾”を取り出し、偽装した入口を守るように植える。アルルーナに加え、アディの手も借りて再調整済みだ。

 他の荷物も出し入れし直し、更新作業を滞りなく終えて夜営地へと戻る。


「スー、異常は無いかい?」


「森にしかいないはずの子がいきなり出現したことが異常でなければ特にないです」


「いやにトゲトゲしいじゃないか。アディを取り上げてもいいんだよ?」


「ダメ~。あーちゃんはスーのなの! ミツキ様ズルいです。自分ばっかりいい思いして!」


「そうかい? じゃあ、あのヤギさんはスーにあげるよ」


 それは向かいの山肌に現れた人山羊ウェアカプラ。月明かりで分かるのは長く鋭く伸びた角。漆黒の毛並みは闇に同化し、輪郭さえ朧気だった。

 何故気付けたのかと問われれば、違和感があった。それに尽きた。


 まるでヤツの侵入を許してしまったときに感じる気配のようなもの。

 視界の隅を過る不穏な黒い影。

 それは極々一瞬でありながら、強く意識を惹かれるナニか。

 とても気になり目線を向けても何も見付からない。

 しかし数瞬後に痺れを切らした相手の振る舞いに、互いに後悔することになる。

 何故気付いてしまったのか、と。

 早鐘を打つ鼓動。

 噴き出す冷や汗。

 きっと初対面であっても親の仇敵だと思えるほどの焦燥感。

 目線は外せない。だが戦うための武器がいる。徒手で直接は避けたい。

 相手の身体を破壊したときに飛び出る体液を触りたくない。

 いや、全力で攻撃することを脳が要求しており、抜き手であれば自らの肉体を破壊してしまう恐れがあるからだ。

 脳は明らかに普段は掛かっているリミッターを解除している。それは肉体を破壊しないように、全力を出さないようにしている安全装置。

 やもすれば解放された肉体の性能に、脳の処理が追い付かずに不均衡を招くおそれさえある。

 もし肉体を傷付け、痛みに怯むことがあれば、それは敗北に繋がってしまう。おそらくはアドレナリンをはじめとする脳内麻薬が痛覚を麻痺させてくれるだろう。

 だが相手は単独とは限らない。1体いれば50とも100ともいると言われる程に集団戦を好んでくる。初戦で負傷するわけにはいかないのだ。

 ──なんでもいい。

 その心理が床との摩擦の為に強度をもって作られている履き物や、紙の束を丸めて棍棒よろしく強度を持たせたものを手に取らせる。

 屋内であれば家財道具を破壊しないように、破壊と非破壊の間を狙える最適な武器を選択してしまう。

 会敵からここまで1秒と掛からない。

 その後の激戦も含めてこう言える。


 “ゾーンに入ったことがある”


 元の世界ではその道のプロフェッショナルが、普段以上のパフォーマンスを発揮したとき。驚異の集中力を見せたときに用いられる表現だった。

 140km/hを超えるボールの縫い目、回転軸、進行方向が見えたり、対面する相手の体重移動、重心の移動とその残り方から、相手の針路と手足の出し方。

 自らの扱う道具は肉体の延長となり、争っているボールでさえその一部となり果てることもある。

 すべてを知覚し、最適解となる肉体の動きで応え、結果を残す。

 より一般的なものでは、事故の瞬間に世界が止まって見えるかのようにゆっくりと動くような。

 咄嗟に身体が動けば奇跡の生還に繋がることもあるだろうし、拡張された知覚の中で過去を振り返れば走馬灯となるのだろう。諦めたらそこで試合終了だ。


 生死を賭けるヤツとの戦いは、正に知覚を含めた肉体の限界を総動員したものとなる。

 現代に残る数少ない真剣勝負。

 敗北すれば家を明け渡すことさえ考えなければならない。


 異世界に渡り遭遇することはなかったが、同じ様な体験をするとは思ってもみなかった。


「狙える?」


「ちょっとキビシい」


「近寄られたらスーにはキツいからね。馬車は任せてくれていいよ。盾置いとくよ」


 衝撃吸収陣の魔導具でもある盾を地面に突き立て並べていく。投石などは防いでくれるが、接近され掘り返されてしまえば無力だ。普通の盾と大差無い扱いになってしまう。

 馬車の周りにも同じ様に並べて発動させておく。乱戦になったときには壁となってくれるからだ。


「スザンナ・レターマン、【月影】、行きまぁす!」

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