第109話 握手をしよう

「まずは屋敷の影響力を確認しましょう」


 1日目、全員で手分けして掃除をしていく。

 窓を開けて空気を通し、吹き抜けは足場を組んで、それ以外の天井付近の高い箇所は脚立を出して叩き、掃き、拭いていく。

 森育ちの“子ども”たちは高所も難なく、飛び跳ね踊るように作業を進めていった。


 商人ギルドが管理していたとはいえ、売れる見込みのなかった物件だったため、清掃は滞りがちで、内見するときに当たり障りのない程度でしか行われていなかった。

 ましてや2日前には焼却処分しようとしていたくらいだ、無駄な人件費を掛けることもなかったのだろう。

 先の内見で分かっていたが、実際に作業にかかると雑巾はすぐに真っ黒になってしまった。

 天井付近の堆積した埃を粗方掃除したところで全員集合。次の作業指示を出す。


「この楔を各窓の下に挟み込んで、閉じることがないようにしっかり固定して下さい。元からの金具ストッパーも付いていますが、少々心許ないので。終わったら全員玄関ロビーココに集合してください」


「「はい!」」


 再び散開し、各自が作業に取りかかる。

 その間にエリオットとクレアの3人で焼却の跡を確認しに行くが、敷かれていた絨毯は燃えていたものの、床自体は少し煤けただけで燃えたといった印象は受けられなかった。


「参りましたね。1階は石造りなのでまだ分かりますが、舞台や2階は木を使っているところも少なくないのに、全く燃えた様子がありません」


 便宜的にロビーと厨房、楽屋のある中央館、食堂と住居部の東館、大広間と客室のある西館に分けてはみたものの、そのいずれでも同じ状況だった。

 大広間の舞台は舞台装置の一部を除きほぼ木製なのに、表面に塗布されたワックスの輝きもそのままにキレイなものだった。

 使用人寮と湯殿、東屋ガゼボはそのまま残されており、別日での作業予定だったことが窺い知れた。

 工事計画を把握しているクレアにとっては心労の強い光景だったに違いない。後半は手を貸さねば歩けないくらいになってしまった。


「では皆、外へ出ようか。ミツキ、頼んだぞ」


「かしこまりました」


 クレアをクローディアに預け、エリオットの指示で【風魔法】で塵を吐き出させていく。

 外では同様に【千草】の魔紋を使う“子ども”たちが、近隣へ塵が飛び散らないように調整してくれていた。


「この程度の風であれば、屋敷への敵対行動とは認識されないようですね。では今日は清掃作業の続きをしましょう。カーテンと絨毯は一通り剥がして採寸。燃えたカーテンの採寸が難しいようであれば、窓の大きさ、設置された高さを控えて下さい。絨毯は焦げ跡から推測出来るはずです」


「クレアさんはこちらで休んでいて下さい」


 クレアはそのままクローディアに任せ、東屋で休んでいてもらう。

 女子会ガールズトークを所望するスザンナを窘め、日が暮れるまで清掃作業に終始した。



 2日目、屋敷の図面資料などをギルドの書庫より持ち出してきてくれたが、クレアの相手はエリオットに任せ、清掃作業の続きを進める。

 住居部及び客室、使用人寮に残されていた寝具を運び出し、汚れを分解・除去していく。年季の入った汚れではあったが、原子レベルで取り組めばあってなきが如し。ベッドのスプリングも再構築して新品同様にしていく。

 気分の問題だが、天日干しをして太陽の匂いを十分に吸収させれば完了だ。

 原子・分子分解は可能な人員が限られているため、人任せにはなかなか出来ない。こういうときのスザンナは自発的に作業に取りかかってくれるから、憎めない奴感が増大していく。

 シーツや枕、布団については新品を入れることにした。シーツはまだしも、布団の中の羽毛がダメになっていたので仕方がない。

 Cの塊になってもらうことにした。


 「ほーら、キレイになったでしょ?」とダイヤモンドに変えて、爺ちゃんにぶっ飛ばされたことを思い出し、不覚にもうるっとしてしまった。


 ──ん? クローさんだったか?


 ショボーンな顔を思い出したら少し気が晴れたので作業に戻る。


 家具を一頻り搬出し、連日の拭き掃除に取り掛かる。汚れた雑巾を洗うバケツはすぐに黒ずみ、庭に撒いては【水魔法】で水だけをバケツに戻す。


 皆が作業に集中しているところで門へと向かう。

 門扉に対して屋敷がどれほどの影響力をもっているかを確認したいと思ったためだ。

 クレアには既設門扉の破棄と、すぐに代わりの物を用意する旨を伝えており、どちらも了承は得ている。

 全体の形状はしっかりしているとはいえ、下部は錆が出ており、スカスカになってきている。十分に保った方ではあるが、長年の風雨に耐えられなかったようだ。

 酸化鉄を還元し、鉄へと戻していく。

 目隠しになっていた重厚な鉄板造りの鉄扉は意匠を変えて、蔓をモチーフにした鉄柵に便箋と封筒、筆ペンとインク瓶を配した、風の通る物へと生まれ変わらせる。

 風化して目減りした分を誤魔化しつつ、強度をもたせたかたちだ。強度自体は元より上がったかも知れない。

 ギルドが設置した塀の上の有刺鉄線も、その機能は残しつつ、鉄柵の蔓へと続くかのように意匠を整えていく。

 最後に表面を酸化させ、黒錆で酸化被膜を作っておいた。酸化被膜が防護膜となり、多少の風雨では侵食されないはずだ。


 ──有刺鉄線は後付けだから当然だけど、門扉まで加工が出来たとなると、外塀も問題なさそうかな?


 街に着いて6日目のため、切りのいいところで作業を済ませ、滞在組は最寄りの内壁門で延長滞在の申請を行った。

 既に徽章を取得しているセントリオン組は、今後の作業で必要となる材料の買い付けに向かった。クレアの口利きが功を奏し、良心的な価格だったとは思う。



 3日目、前庭と噴水、湯殿、厩舎と運動場の掃除に着手する。

 前庭は延焼防止の気流の内側や火のついた薪が落ちたところでは燃えてしまったが、それ以外では雑草が残り、北面でも同様に雑草が生い茂っていた。

 馬が久しく走っていない運動場では堅くなった土にがっちりと根を張り、手強さに拍車を掛けていた。

 【土魔法】が使えるのであれば地表部分を大きく振動させ、根を浮かせてから熊手でかき集めて即座に終わりそうなものだが、まだ暫定的にしか所有権のない土地だ。消費マナ量が無駄に大きくなってしまうだろうし、現在は屋敷が敵対行為と見做すラインの確認中。雑草を対象にした当たり障りのない作業を行っていく。


 巨大な桶に水を張り、引き抜いた雑草に少しキズを入れて適当に浮かべる。

 【大樹】の魔紋で細胞を活性化させ、インドール酢酸IAAをはじめとするオーキシン類を合成させていく。


 オーキシンは適した濃度では植物の生長を促進するが、過剰となると一変して生長を阻害する。

 主に頂芽・若葉で合成されたオーキシンは、徐々にその濃度を下げながら茎を通って根に届く。つまり、葉が最も高い濃度を好み、根では逆に薄いものが好まれる。

 オーキシンは光を避けるように移動する性質をもつため、光を横から当てると影側へ移動し、濃度差が生じることとなる。茎頂では高い濃度が好まれるため、影側の生長が大きくなり、光側は小さくなる。この生長度の差が茎を光へ向かって曲げていくこととなる。これを正の“光屈性”という。

 同様に植物を横に倒すと、茎頂付近と根端付近では下方に集まることになるため、上方と濃度差が生じることとなる。茎頂では濃い下方で生長が大きく上に曲がっていくが、根では薄い上方で生長が大きく下に曲がっていく。これを“重力屈性”といい、茎は正、根は負である。

 また横倒しにした際、茎では重力に従ったオーキシンの移動は起こらず、根の方向へ向かって移動する。これを“極性移動”という。

 このようにオーキシン類は植物体の生長を促進、抑制するため、外部から与えることで歪な生長を引き起こし、延いては枯死を招く除草剤として扱われる。

 桶の水にオーキシン類が溜まったことを確認し、草むらへ撒いていく。

 森育ちの“子ども”たちにはオーキシン類の合成も、その後の水撒きも慣れたもので、人海戦術もあり、すぐに終わらせたようだった。


 【雨雫】の魔紋で水を作り、マナで圧を掛けて噴水を掃除する。高圧洗浄機と化したその手は、苔むした大理石に本来の美しさを取り戻していく。

 溜まりに溜まった泥を抜き、水を張り直したが、上水道は止められているため試運転は出来なかった。


 厩舎も同様に高圧洗浄機となって丸洗いしていく。

 木造のためシロアリの被害も覚悟していたが、防腐・防蟲加工がされているのだろうか、キレイなものだった。

 雨水のこともあって下水道は生きていたので、遠慮なく流していった。

 雑草や泥などは錬金術の餌食にしたが、さすがにコレはキツイ。


 ──スライムさんが欲しがっていたんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る