第97話 D計画 DHMO

「クローさん、浮上都市建造に先立って確認しておくけど、DHMO対策はどうする?」


「何でしょう? ソレ」


「DHMO──Dihydrogen Monoxideの略で、一酸化二水素とも呼ばれるね。化学的な性質は、無色、無臭、無味で、常温で液体。常識的な範囲の温度で固体にも気体にも変化するよ」


「対策する必要があるのですか?」


「落ち着いて聞いてね? DHMOはね、毎年数えきれない人々を死に至らしめているんだ。死因のほとんどは偶然DHMOを吸い込んだことによるんだけど、危険はそれだけに留まらない。固体のDHMOに長期間曝されると身体組織の激しい損傷をきたすし、DHMOを体内に取り込むと多量の発汗、多尿、腹部膨満感、嘔気、嘔吐、電解質異常が出現することもあるんだ。DHMO依存症者もいてさ、その人たちにとって、禁断症状は死を意味することになる」


「禁断症状ですか。穏やかじゃないですね…。」


「DHMOは水酸の一種でね、酸性雨の主要成分であるんだ。元の世界では、温暖化の原因となる“温室効果”にも関係していたよ。また重度の熱傷の原因ともなるし、地表の侵蝕の原因でもあるんだ。多くの金属を腐食させるから、機械の電気系統の異常や、制動機能の低下も引き起こすよ。生体内での残留性も非常に高くてね。切除された末期癌組織には必ずこの物質が含まれているんだ」


「癌細胞にも…」


「汚染は生態系にも及んでいてね。この世界でも、多量のDHMOが多くの河川、湖沼、貯水池で発見されたよ。たぶん元の世界同様、汚染は世界規模で、極地の氷の中にも発見されるんじゃないかな? ひとたび災害が起きれば、国家予算の数%が持っていかれるよ」


「通貨にもよりますが、元の世界だと億単位ですか…」


「これだけの危険性が認められているにも関わらず、DHMOは溶解や冷却の目的で企業利用されていたんだ。原子力施設や発泡スチロール製造、消火剤、動物実験に使われていたんだ。工業だけじゃなく、農薬散布にも使われていたし、汚染は洗浄後も残るんだ。いわゆる“ジャンクフード”にも大量に含まれていたよ」


「OMG…。唐揚げはジャンクフードに入りますか?」


「唐揚げがジャンクフードかどうかはさておき、唐揚げにも含まれているよ。ポテトサラダにも餃子にもね。企業は使用済みのDHMOを大量に河川、海洋に投棄していたし、それは違法ともされていなかったよ。だから家庭でも当然の様に行われていた。下水道に流したものは下水処理場に行ってからの投棄だけどね。最終的には変わらないかな。自然生物への影響は限りないけれど、結局のところ何も出来ないでいるんだよ」


「一般家庭まで…」


「ある国の政府はこの物質の製造、頒布に関する規制を“経済的理由から”拒んでいたよ。今でも変わらないんじゃないかな。事実、海軍などの軍機関はDHMOに関する研究を巨額の費用を投じて実施していたしね。目的は軍事行動時にDHMOを効果的に利用するためさ。多くの軍事施設には地下に近代的な施設が造られ、後の使用に備えて大量のDHMOが備蓄されているって話さ」


「…ミツキさん、使用を禁じましょう! 浮上都市だけじゃなく、使用している者がいれば危険性を説明して、使用しないように呼び掛けましょう!」


「うん、うん。クローさんは本当に思ったような反応をしてくれて楽しいよ。結論から言うと、使用を禁じることは出来ないんだ」


「な、既に中毒者なのですか?!」


「うん。生物であれば避けようがないんだ。だって、DHMOって“水”だもの。一酸化二水素だから、1つのO酸素に2つのH水素でしょ? 並べ替えてH2O──水なんだ。無色、無臭、無味で、常温で液体でしょ? 0℃で凍るし、100℃で沸騰するよね」


「でも、死因になるって…」


「溺死だね。海や川で水遊びして誤って流された人なんかがそうだよ。氷に長時間触れ続けると凍傷になるし、飲み過ぎれば汗や尿で排出しようとする。お腹一杯に飲めば、吐きそうになることもあるし、体内のミネラルバランスも崩れちゃうよね。ミネラルバランスが崩れちゃうと体内の各種活動が滞っちゃうんだ。神経の伝達だってうまくいかなくなっちゃうから、生命の危機に瀕することもある。夏場に脱水症予防で水分と一緒に塩分の補給を推奨するのはこのためさ。禁断症状っていうのは水の欠乏症だから、正にこの脱水症のことだね」


「温暖化の原因だって…」


「酸性雨の原因はいいよね。雨はほぼほぼ水だし。水蒸気は大気中最大の温室効果ガスって言われていたんだ。二酸化炭素と比較すると、大体2倍から3倍に相当するらしいよ。とはいえ、海洋面積の方が大きい世界だったから、局地的には飽和水蒸気量に達してもいたから、人類活動でどうこうってものじゃないんだよね。これに対して、二酸化炭素は化石燃料を燃やすことで増加する。石炭や石油の形で封印されていたものが大気中に放出されるわけだね」


「増加させないように頑張ることも出来るからこそ、議論になりやすいわけですね」


「そういうこと。余談ではあるけれど、“燃える氷”とも呼ばれるメタンハイドレートは海底に埋蔵されていて、温暖化が進むと溶け出してメタンを放出してしまうんだよね。メタンは二酸化炭素の25倍の温室効果があるとも言われていて、大気中に放出されれば温暖化が進み、更にメタンハイドレートを溶かしてしまうから、加速度的に温暖化が進むとも言われているんだ。恐竜が覇権を握る前に大絶滅があったと言われるんだけど、その原因がこのメタンハイドレートの連鎖的な大溶解と温暖化、そして相対的に減少した酸素濃度のせいだという説もあったよ。ちなみに引き金は火山活動による二酸化炭素の増加らしいよ」


「この世界のドラゴンは恐竜の生き残りですか?」


「遭遇したことないから分かんないねー。話を戻すと、高温の水蒸気を浴びればヤケドするし、フィヨルドやポットホールも水の力だよね。氷や礫も加わるけどさ。鉄をはじめとして金属を錆びさせるし、濡れた電線は短絡する事もあるし、雨の日は自動車のブレーキ性能が落ちるよね。ブレーキパッドとシューの間やタイヤと路面の摩擦が変化するからね」


「ハイドロプレーニング現象ですね!」


「語感いいよね。人体の60%は水分って言われるくらいだから、癌細胞にも勿論水は含まれているわけだ。河川、湖沼を流れる水がなければただの荒野だし、極地に限らず氷は水の固相だね。大雨洪水、土砂崩れもそうだけど、津波なんかも復興には膨大な費用がかかるよね。予防策のダム建造や都心部の排水機構構築は国家的な事業になるものが多いし」


「温暖化の話の後だと、ダイオキシンのように環境にも人体にも有害な物質だと、関連付けたくなっちゃいますね」


「それだと原発そのものの是非とかにも話が及んじゃうよね。DHMOの話だと原発の使用済み燃料棒の冷却にも水が使われているね。工場や実験施設でも使われているし、農薬も主成分が水だよね。農薬を洗い流すのも水だし、ジャンクフードどころか食べ物にも普通に含まれているね。使用済みの排水は適切な処理を経て、河川、海洋に放出されるのは当然だね。だって水だもの。水なしで構成される生き物たちってどんなんだろうね? 代替品に置き換えることを考えるくらいなら、今あるものを使っちゃうよね。その方が安上がりだし」


「まるで化石燃料のようです」


「そう、まるで代替品があるかのように語ったのが、この話のイヤらしいところなんだ。ちゃんと理解していれば、軍事行動であろうと人が活動するためには、水を伴わなければならないって話なんだけど、『軍で研究していることが無駄になるから止められない』って思えちゃうんだよね。さて、この話の本質を見抜くために必要なのは何だっただろう?」


「DHMOがH2Oであることが分かる知識ですね」


「その通り。文脈から不安を煽られるけれど、騙されない自信と裏付ける知識だね。内容自体に嘘はないしね。元ネタは10代の少年のエイプリルフールだったという話だよ。DHMO規制の署名活動をすれば、50人中8割以上が賛成したって言うしね。いい歳した議員が議会で議題に上げたって話もあったよ」


「じゃあ、騙されても仕方ないですね!」


「議員さんは税金から収入を得て、民衆のために働くわけだから、不用意に騙されてほしくはないけどね。たかが名前の表記を少し変えただけなのに、これだけ印象が変わって見える例として、科学の道に進むとコレで洗礼を受けることもあるんだってさ。薬と毒の関係なんかも投与する量の違いだけだったりするしね。『主観と客観、多元的に物事を捉える能力を養いなさい』という訓示の導入に使われたりもするのさ」


「『表現の違いで売り込み方も変えられる』って、営業や広報担当者に身に付けさせたい技能としても役立ちそうな話ですね」


「そうだね。気を付けなきゃいけない点は、物事を正しく見ることが出来る人にとっては効果がないし、下手をすると揚げ足をとられちゃうこと。言い替えれば、自衛するのは正しい知識を身に付けるだけで済むって話さ。ナンダカンダ言っても、著名人に喋らせて『*個人の感想です』って但し書きを入れておくだけで物は売れるんだ」


「身も蓋もない…」


「ほんと、ショボーンな顔上手だね…」

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