第71話 35億

「フィーネ、折り入ってお願いがあります」


「何だい? いきなり。何のお願いかわかんなかったら、良いも悪いもないじゃないか。とっとと聞かせな」


「実は──」



「バカだねぇ。ホント、バカだ。王宮でのガイウス王とのやり取りを思い出しちまうくらいだよ。それに付き合おうとする方も、大概バカなのかねぇ」


「では──」


「良いけど条件がある。まずは今準備している刀の製作と銃手甲の改修、鎧の人鬼素材部品の魔鋼への置き換えを待つこと。1週間で仕上げてやるよ。それと、ちゃんと雰囲気を作ってから、もう一度誘うこと。一年以上酒を我慢するんだ、それくらいはしてくれよ」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「では、繋げますよ」


「う、なんだか変な感じがします」


「私の視覚をモデルにして、投影しているだけですから、個人差レベルの差異はどうしても出ます。順を追って最適化していきましょう。目の前で手を振っているのが分かりますか?」


「何となくですけれど」


「ちゃんと脳へ刺激は伝わっているようです。追々これを自分で出来るように練習していきましょう」


 話す相手は全盲の狐人、薄茶色の髪をもつ女性。

 全盲の理由は単純に眼がない。

 両眼とも眼球を奪われてしまったのだ。

 それは手術なんてものではなく、ただ抉り取られただけ。

 視神経も切断され、本来ならそのまま命を落としてしまうところが、獣人の生命力の高さが生き残らせた。


「『目つきが気に入らない』って、それだけの理由でした。睨んだつもりはまったくありません。でも、“目は口ほどに物を言う”と言いますから、負の感情が表れていたのかもしれませんね」


「イーディス、貴女は被害者です。新しい眼を手に入れ、未来を見ましょう」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 ぽっかり空いた眼窩には硝子で作られた義眼が嵌められ、眼球が失われた際に傷付けられていた瞼を再建する。

 最終的には眼球を再建し、視神経を通し直すことが目標だが、ここでもやはり魂のカタチを取り戻しておきたかった。

 そのため義眼で物理的な感触を取り戻すことから始めた。

 目が乾くといった感覚を失っているため、眼瞼反射も起こりにくくなってしまっている。意識しながら瞬きの動作を繰り返し、からだに感覚を取り戻させていった。

 眼球を動かす筋肉も、対象がなくなって久しいため、筋力は衰えてしまっており、義眼では失われた筋力を取り戻すことはできない。

 眼球を再建してからのリハビリとなるため、膨大な時間がかかることは想像に難くなかった。


 次の段階として、光を発する【照明】の応用による光の吸収と、【雷魔法】による刺激の伝達を再現し、魔法で視覚を再現する。

 視覚神経系に微弱電流を流し、疑似視覚を構築していくのだ。

 眼窩の先に残された視神経は、網膜側に存在していた神経細胞ニューロンの細胞体が切除されてしまったため、細胞活動が行われておらず、正常に電流は流れなかった。

 神経末端を辿り、中継する神経細胞を探し、そこに電流を流すことにした。


 自らの視覚神経系も実験台に用いて、神経の興奮と視覚の関係を探る。

 網膜の視細胞、神経節細胞から神経繊維を通り、間脳視床・視床下部、中脳上丘、大脳後頭葉と、視覚刺激の伝達経路を追いかけ、再現するように各所で電気刺激を与え、反応の仕方を調べていった。

 単独、または複数の細胞を組合せ、その振る舞い方を控え、蓄積していく。


 授業で教えることはあったが、いざその仕組みを解明するとなると、その煩雑さに頭が重たくなる。

 視神経を再建、中枢神経へ向かい伸ばしていこうとすると、視交叉、半交叉が立ちはだかる。

 視神経という髭根の生えた眼球という球根を植えるのだが、根の本数、生え方、辿り着く先を全て再現せねばならない。

 大きな分岐、小さな分岐。

 右脳に続くのは右眼球か左眼球か。眼球網膜のどの範囲か。左脳でも同様に。

 いざ施術となったときに、【地図】で脳の容量が限界を迎えないように、視神経の残骸の配置・組み合わせを記録して、参照できるようにしておく。


 完成した対応モデルを基に、魔法視覚を組み上げ、ようやく実践に漕ぎ着けたのだ。

 盲斑は再現出来ているはずだが、ぼやけた視覚のようなので、黄斑は怪しいところだ。

 通常の眼球であれば水晶体レンズで倒立になって、網膜スクリーンに像を結び、脳に伝えたときには正立の像に置き換わる。

 水晶体の不在による視覚範囲の歪さが原因かもしれないし、義眼の球内面での受容体の再現密度の低さが原因なのかもしれない。


 義眼にレンズ構造を取り入れるが、毛様体による遠近調節や、瞳孔での明暗調節はできない。

 仮想網膜の位置を前後させれば、辛うじて遠近調節はできるだろうが、本来の眼球にはそのような機能はない。

 むしろ近視、遠視の原因だ。

 魂のカタチが崩れてしまう危険性があるので、教えることはしなかった。



 大体の試行錯誤、最適化が済んだところで、イーディス本人に魔法視覚を伝授する。

 常に傍らにいてあげられるわけではないので、自らで使えるようになってもらう。

 しかしながら、はっきり見えていないため、図示して説明することもできない。

 手を取り【巡廻】を行って、本人のマナを導き徐々に置き換えていく。

 改めてはたらきを説明しながら、マナの振る舞いが再現できるように、ひたすら訓練を繰り返す。

 時には、手のひらにマナを集め、徐々に小さくし、感知できる最小で身体中を駆け巡らせる。

 しっかりとマナを追いかけられるか、体内をフィールドにした鬼ごっこだ。

 【地図】と虚視を駆使し、血管、リンパといった循環系や神経系、消化器系に免疫系、生殖系と筋肉・骨格の運動器系、ティーダと娘たちも交えながら、人体構造の講義を行った。

 時間を掛けながら理論で固めるティーダに、純粋に追いかけっこを楽しむミア、感覚的に掴んだ後で筋道をつけ直すルゥナ。


「──パパはズルい」


 皆と異なる視点で攻略法を模索するシルフィ。

 リィナは早々にリタイアしたバケツヘッド

 イーディスは視覚を失っているため、目で追いかけることをせず、正攻法でマナを追う。

 いつしか互いに競い合い、高め合い、楽しむようになった。



 村に帰り着いて1年半が過ぎた頃、遂に眼球の用意ができた。

 かつては再生がほぼ不可能とされてきた神経。

 神経芽細胞の探索とその培養に加え、眼球という立体構造をもつ器官を形成せねばならなかった。

 立体的な細胞組織・器官の構築は、必要な栄養、元素の揃った回復食中で培養することで可能となる。

 培養皿シャーレ上では通常、平面的な細胞培養しか出来ないが、マナ、そして【回復魔法】の存在するこの世界ならではの簡便さだった。

 しかし眼は、未知の部分が多い脳の延長であるため、単純な構造ではない。


 網膜上に存在する光の受容を行う視細胞は1億個ほどと言われている。

 これに対し、光を受け興奮した視細胞からの反応を脳に伝える神経繊維は100~120万本と言われる。

 この数字上の差から分かるように、1億の刺激を100万で伝えなければならないため、神経繊維は1本当たり、100個の視細胞を受け持つこととなる。

 ここで邪魔をするのが『全か無かの法則』だ。


 “神経は閾値以上の刺激を受けると興奮し、その興奮の大きさに違いはない”


 この考え方に基づくと、100個の視細胞からの刺激は、どれをとっても同じ神経繊維を興奮させ、同じ情報を脳に伝える。

 これでは視細胞が100個ある必要性を感じられない。

 視細胞が損傷したときのためのスペアと捉えると、神経が1本損傷したら100個の視細胞が無意味になり果てる。非効率極まりない。

 眼は剥き出しだが視神経は頭蓋骨に守られているから、数の差は当たり前?

 われわれ脊椎動物の眼では、視神経(厳密には網膜神経節細胞)は視細胞よりも水晶体レンズ側に存在している。

 つまり、視細胞の方が肉体構造上、深部に存在すると言える。

 この位置関係をとったために盲斑という死角を生み出すことにもなったのだが、余談に過ぎるため機会があれば別のときにだ。

 眼窩と擦れ合う分、視細胞の方が負担が大きいというのであれば、網膜を突き抜けてきた神経繊維も同様に擦れる可能性はある。この指摘は当たらない。

 では何故、視細胞と視神経の間に100倍もの数差があるのか。考えたのは神経の組合せにより、情報が伝えられていることだ。

 仮に100万本ある神経繊維の内、2本が興奮したとする。

 100万個(n)から2個(r)を選ぶことになるため、その組合せはnCrで求められ、次のようになる。


 1,000,000C2=499,999,500,000


 5千億弱となり、視細胞の数を優に越える。

 実際は色の種類、明暗によって視細胞は分けられているため、組合せの幅は絞られるだろうが、まだ“2つ”を選んだだけだ。

 3つの組合せで再現しているかもしれないし、4つかもしれない。果てはその個数すらも、変数のひとつなのかもしれない。

 しかも両眼でさらに2倍に膨れ上がる。

 これらを一つ一つ追いかけたのだ。

 何度吐いたか分からない。夫婦揃ってリィナとともにバケツヘッドキラキラしたこともあった。


 余談だが、この組合せの数は元の世界の人口を超える。

 “70億人の中から出会えるなんて、まるで奇跡ね”などと、男女の恋愛に数字を持ち出す空想主義者ロマンチストがいるが、数字だけの話なら、相手を見つめるその眼に奇跡以上のものが詰まっていると教えてやりたい。

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