第70話 失敗ウルフ

「よし、これで完成だ」


 作り上げたのは櫛。


 ドワーフたちの協力を得ながら、木製の櫛を作り上げた。

 櫛歯を立てる工程はさすがに手挽き鋸では歯がガタつくため、ブルーノに丸鋸を作ってもらい、クランクシャフトを通して手回しとした。

 均一に歯を立てる為には、手先の器用さが必要なため、オットーにお願いした。偶には単純作業で楽がしたい。


「半分以上、僕が回したけどね。父さん」


 偶には楽がしたい。ティーダも思考を読むようになった。


「こっちも出来たぞい」


 ブルーノのハサミも完成したようだ。

 2人に礼を言い、避難所に向かう。


 風呂でキレイになりはしても、複雑に絡み合った毛を解くことは困難だ。

 風呂で落とせない砂利や汚れも分子分解で除去出来たが、絡んだ毛は魔法ではどうにもならない。


 春の毛刈を終え、手の空いた者に協力を頼み、青空美容院の開催だ。

 編み込みには一家言もっていそうなフィーネや、自称都会育ちの酔っ払いリィナが監修してくれた。

 客は勿論連れ帰ってきた者たちが中心だが、村の人間も折角だからと列に並んだ。

 娘たちはティアナがハサミを握り、ミアは踊りが映えるようにと毛先を整える程度。シルフィはボブで切り揃え、ルゥナはなぜか姫カットだ。3人とも黒髪をよく生かしていると思う。


 獣人にとっては耳がアクセントになるため、少し大きいくらいの猿人は只人と同じ髪型ができ、ホーランはモヒカンに挑戦していた。

 耳が上にくる犬人、猫人などはサイドにボリュームをもたせないと少し不格好になってしまう。

 ホーランに触発されたケヴィンがツーブロックのウルフカットにして、見事に面長が強調されてしまった。爆笑の渦を引き起こし、手許が狂うからと強制退場を命じられていた。

 その晩、哀しげな遠吠えが村中に響き、各家庭は再び爆笑に包まれた。当面の間、ケヴィンを直視できそうにない。


 羊人で巻角がある者や、折れ耳が長い種の犬人や兎人ではサイドのボリュームがあるため、ショートでは首の細さが強調され、かえって頭でっかちに見えてしまう。

 これから暖かくなるのだが、女性では首を強調しない程度に長めにするのが好まれた。

 冬場で服を着込む時が髪を短く出来るチャンスなのだそうだ。

 反面、首が太く逞しい男性は短くしてもあまり関係ないため、自由な髪型を選択していた。

 そんな男性陣の様子を横目に、「理解の乏しい旦那をもつと、夫婦喧嘩が絶えないのよね」と、大きめの独白が耳に届いた。

 周りの獣人たちの方が、さぞかしよく聞き取れただろう。

 髪の変化に気付けない男は、心の機微にも鈍感だとの仰せだ。謝罪の言葉が飛び交った。


 男たちの情けないところが垣間見えたお陰か、連れ帰った者たちも次第に心を開きはじめ、チラホラと会話が出来るようになっていった。

 人買いからの引き渡し当日で、屋敷に連れてこられたばかりの豚人と兎人の2人は、はじめは人間不信気味だった。売り物として大事にされていたためか、乱暴な扱いは受けておらず、早々に村人たちと打ち解けていった。

 奴隷として売られ、女中として屋敷内での仕事に就いていたものの、主人の毒牙に掛かってしまった者では、回数や乱暴の度合いで打ち解け方も変わっていった。

 地下牢組と同時期に買われた者では、主人の関心が地下牢組に向いていたために、比較的難を逃れられていたとのことだ。

 ある種、人身御供となってくれた地下牢組に対しての負い目をなくすためにも、地下牢組を何とか治療してやりたい。


 とはいえ、主人からの被害が少なかった者たちは、主人の関心が向いていないことをいいことに、使用人仲間に乱暴されることが間々あったらしく、そういった者は後ろから声を掛けられるだけで泣き出してしまうこともあった。

 時間が解決してくれることを願うばかりだが、遠目に見ているだけでは何も変えられないかもしれない。

 まだ幼いティーダであれば、“男性”よりも“おとこの子”と認識され、徐々に慣らしていけるのではないかと期待している。



 村人たちや軽症者の散髪が済み、重症者たちの散髪・トリミングにかかる。


 毛の根本付近で切るしかなく、明らかに見窄らしくなってしまう場合は、取り除いた毛玉を材料に再構築していった。

 ケヴィンにやろうにも、手元が狂うことは間違いないので見送った。

 決して面倒だったわけではない。どうせすぐに伸びるだろうなぁとは思うが。



 夜、フィーネとティアナ、リィナにニアと、我が家総出で地下牢組の散髪を行う。

 昼間の青空美容院のお陰で要領よく進めるかと思いきや、全盲の狐人、四肢を切り落とされた兎人は恐怖が先行してしまい、日を改めることとなった。

 刃物の音でもう駄目な様で、自室でフィーネとリィナに付いていてもらうこととなった。

 残りの3人は身体を強ばらせながらも、耐えてくれた。

 終わった者からニアが風呂に入れてくれた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「今日から歯の再建を行います。まずは皮下の歯を受ける骨の再建から。歯が無くなり、噛むことない顎の骨は著しく退化して細くなってしまっています。骨密度も低下しています。骨を太くするとともに、歯を受ける基を作っていきます」


「ふぁい」


 風呂上がり、緩やかなウェーブ掛かった金髪の犬人女性の歯を取り戻していく。

 カルシウムを多めに含む回復食を与え、【巡廻】でパスを繋ぎ、【回復魔法】で顎の骨を活性化させる。

 青空美容院で犬人女性の歯列は走査済みだ。体格に合わせて【地図】ホログラムの縮尺を変え、骨を最適化しながら再建していく。

 体力が消耗してきたところで、ひとまず終了。顎を支える筋肉も弱っているため、重たくなっていく顎骨に徐々に慣らしていかなければならない。

 また、簡易品ではあるが入れ歯を渡し、咬合の感触を取り戻しつつ、落ちた筋力を鍛え直してもらう。


 魂がカタチを忘れてしまっている場合、生理的な機能を回復させていても、すぐに駄目になってしまうのではないかと、漠然ながらそう思えた。

 何の根拠もない話だが、そう思えてしまったら、可能な限りの対策はしておきたい。

 入れ歯は魂のカタチを思い出すためのものでもある。

 魂のカタチを忘れる条件は、失った期間や部位、年齢、果ては本人の気の持ちようによって異なるのかもしれないが、確認のしようがない。

 もしかしたら、彼女は魂のカタチを忘れていないのかもしれない。

 そのときは、単純に筋力トレーニング、顎のリハビリのためだったと割り切ろう。


 次代育成を兼ねて、ティーダに娘たち、そこに【回復魔法】に拘るリィナを加え、骨格構造に理論と、講義を交えながら施術していった。



 顎骨の再建を終えて数週間、顎の疲れが無くなってきたと報告を受けた。

 食事もだいぶ固形の物を咀嚼できるようになったと言う。

 入れ歯にマナのパスがしっかり繋がっていることを確認し、次の段階へと進む。



 ちょうど歯の生え替わり時期だったルゥナを参考に、顎骨の中に永久歯を形成させ、生え替わりを再現してみる。

 【回復魔法】で骨の動きを補助し、歯を生やすところまではうまくいったが、しっかりと保持できるかは予断を許さない。

 歯の硬度も十分にあり、血管、神経も良好。歯茎も歯の根本をしっかりと包み、血色も良い。異物として排除されることはないと思いたい。


 歯が戻り、また顎周りの筋力が戻ったことで滑舌が良くなり、治療を通してのコミュニケーションでかなり心を開いてくれた。


 彼女の名前はロリーナ。

 中央に近い農村の出身で、親は両親とも只人。10歳の頃、両親とも流行病で他界し、獣人であることから村の中では鼻つまみ者。協力を得られず独りで畑を耕して、自給自足生活を行っていた。

 ある日、畑での作業を終えて家に帰ろうとしたところで何者かに襲われ、目を覚ましたときにはバンドウッヅの屋敷だった。

 初めから地下牢だったわけではなく、外鍵の部屋で閉じ込められ、満足に食べさせてもらえず、常に空腹と戦う毎日だったと言う。

 ほぼ水だけで1週間過ごし、ようやく扉が開いたと思ったら、現れたのが屋敷の主人だった。

 碌に身体を動かせず、抵抗できないまま純潔を奪われた。

 そこからは地獄の毎日だった。

 食事が欲しければと、奉仕を迫られるも、与えられるのはパン切れ一つ。精液を飲まされるだけのことも少なくなかったと言う。

 そして、口奉仕をしている際に歯が当たったことを咎められ、歯を全て抜かれてしまい、地下に移されることとなった。

 それでもしばらくは気紛れに主人が顔を出すこともあり、その度に口奉仕を迫られ、飲精を強要された。

 次第に主人の足が遠のくと、今度は食事を持ってくる使用人たちに奉仕を強要されるようになった。

 歯が無いからと乱暴に扱われ、複数人の相手をさせられることもあったと言う。


 聞き出したわけではないが、本人が話して楽になれるのならと、止めることはしなかった。無論、子どもたちは席を外している。


「舌でも噛み千切って死のうと思っても、歯が無いから。ご丁寧に深爪で整えられちゃって。一矢報いることも、自ら命を絶つことも出来なくって。何年アソコに居たのかな? 地下に移されてからは、日付の感覚が全くなくって。食事も毎日貰えたわけじゃないし。そんな絶望の中で、獣王様、アナタに助けられたの」


「トモーで構いませんよ」


「そう? んー、でもやっぱ獣王様で。こんなにキレイにしてもらえて、本当に夢みたい。ありがとうございます」


「伸びきった靱帯も、筋肉、腱も元通りになっていると思います」


「膜も?」


「いえ、イヤな記憶が呼び起こされるかと思って、炎症を治しただけです」


「折角だから、治してもらえないかな? 獣王様に初めてを上書きして欲しいの」


 その日、世界が割れる音を聞いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る