第65話 ABCの海岸で*過激表現アリ
虚子の密度を上げ、局所的に精密走査が出来るようにする。
場所は屋敷の主人の脳内。
感覚神経から脳細胞、脳細胞同士のネットワーク。
これから送り込む刺激に対して、どの部位が反応、作用するかを観察する。
4人を相手にするつもりで準備万端だったであろう箇所を、勢いよく蹴り上げる。
痛みを伝える感覚神経が脳のどの場所に作用するかを把握する。
虚視を介した【雷魔法】で、微弱電流を脳内に流し、痛みの再現を行う。
単発の刺激では瞬間的な痛みは感じるようだが、衝撃が抜けた後に暫く尾を引く鈍痛まではうまく再現出来ていないようだ。
該当する神経細胞、神経伝達物質が放出され、隣接する細胞へ刺激が伝わる。
刺激を伝えた後の伝達物質はトランスポーターを介して、神経細胞の末端に回収される。または伝達物質の分解により、再度反応が起こらないようにして、伝わる刺激を一過性のものにしている。
これらのトランスポーターや分解酵素を破壊してしまえば、神経伝達物質が常に作用し続け刺激が伝え続けられることになる。
運動神経から筋肉へ刺激を伝えるところで神経伝達物質が常に作用し続けることになれば、筋肉は収縮し続けることとなり、うまく動かすことが出来なくなる。
動脈の脈動を操作し、流入する血液量を変化させる。
最初の蹴り上げで静脈の弁が乖離したため、血液が正しく循環出来ずに徐々に鬱血していく。着衣の上からでも分かる程、大きく膨らんでいた。
自然治癒で弁が正しく元に戻るとは思えない。ただ治癒力を活性化させるだけの【回復魔法】では直しきれずに、遠からず壊死してしまうだろう。
数回の痛み刺激の再現で主人は泡を吹いて倒れてしまい、局部鬱血も手伝って顔面は蒼白だ。
使用人の男たちは歯の根が合わず、股間を濡らして水溜まりを作るだけだった。
尿からアンモニアを作り出し、気付けにして主人を起こすことも出来たが、変わり果てた逸物を目にすれば、否が応でも今夜のことを思い出すだろう。
意識のない肉塊は痙攣するばかりだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『では、価格交渉はこれにて終了だ』
虚ろな目をして震えるグレイに、金貨の入った袋を投げ渡す。
『代金は確かに渡したぞ? 領収証を用意してくれるか? サインは貴様の代筆に家主の指紋で良かろう。こうはなりたくないだろう? 落とし穴を操作した貴様の命がある理由を考えろ。──早急に用意せよ』
弾けるように立ち上がったグレイは執務室へと駆け出していった。
主人の仕置きが終わる頃には、地下のスライムは倉庫を取り込み、体高は10mに迫る勢いだった。より高い栄養価求め、人を狙って移動を開始していた。
本来は最寄りにいる家の者たちが狙われるところだが、幸か不幸か、異変を聞きつけた街の衛兵が対応に当たってくれていた。
グレイを待つ間に地下牢に捕らえられている者の保護に向かう。いずれも獣人で、どこかしら身体の一部が欠けており、男への恐怖が刷り込まれてしまっていた。辛うじて生きているという者もいた。
『もう大丈夫だ。助けにきた。此処を出て、我が国で安らかに暮らそう』
徴発してきたシーツで包み、そっと抱き締めてやる。
【音魔法】とセロトニン、オキシトシンの合わせ技の正しい使い方だ。
男性の姿にはじめは身体を強張らせたものの、抵抗することなく、渡された回復食──各栄養素と酵素を合わせた流動食を受け取り、静かに飲み込んでいった。
【回復魔法】と【巡廻】で体力を応急的に取り戻してやる。
自我を失ってしまった者も含め5名。何度か往復して、家を出ることを決めた者たちと合流させた。
フィーネとリィナを除き、総勢19名。獣人だけに止まらず、年端もいかない只人の子もいたし、男娼として奉仕させられていた者もいた。
それぞれの身支度が整ったところで、グレイが領収証を手にやってきた。
書面を確認し、受け取る。
『確かに。これで契約成立だ。正規の手段で譲り受けた故、追っ手を差し向けるようなことがあれば、分かっているな? 街が一つ大地から消えるくらいは覚悟せよ。主人にも、しかと言い聞かせておけ』
身請けした者たちを連れ、東門へ向かう。
スライムは衛兵によって、東の路地を抜けて北通りから外壁の外へと誘導されていた。
スライムの通った跡は何もかも溶かされ、吸収されたようだった。
馬車を常用する上流階級の住む地域とはいえ、馬車同士がすれ違うのがやっとの道幅。
肥大したスライムにとっては、動きにくいことこの上ないだろう。不定形のからだをもつが、道幅に合わせてやるいわれはない。
この地域の屋敷は庭が広い分、母屋は無事だが、華やかさを演出していた外塀や鉄柵、生け垣などの外構は、無惨にも溶かされ、スライムを成長させる一助となっていた。
出現場所も見られているし、通った跡を辿れば一目瞭然。言い逃れは出来ない状態だ。
家主の地位はガタガタになっただろう。
それにしても、いくらか地表は溶けているとはいえ、任意の方向に進めるあたり、溶解液の体表への分泌は任意に制御されているようだ。
ただ接触する物体に対して食作用を示したり、溶解液を垂れ流したりするだけであれば、今頃岩盤を突き抜け、マントルに溶かされていたはずだ。
これまでの経験上、スライムは一部分を切り離しても影響がなかったことから、単細胞生物か細胞群体と考えられる。
マナを送り込むために棒を刺しても、破裂することはなかった。
単細胞生物であるとすれば、スライムの細胞膜では、流動モザイクが損傷しても高度に復旧されるため、破裂しないと考えられる。
細胞群体であれば、棒が当たった箇所の細胞が破壊されても、すぐに周囲の細胞が連携、補うことで、形状を維持していると考えられる。
からだの一部分が切り離されたときも同様だ。
どちらの可能性も否定できないが、物理構造的に細胞群体を推したい。
鳥類の卵のように、巨大な細胞もなくはないが、10m超の単細胞はどうかと思う。
単細胞の場合であれば、微小管や筋繊維を構成するアクチン、ミオシンフィラメントなど細胞内骨格を張り巡らさざるを得ず、突き刺された棒をぐるりとかき回すだけで、重大なダメージを受けることになってしまう。
人体を取り込むためには、細胞内骨格の変形が必要となるし、内部で暴れられては一大事になりかねない。
対して、細胞群体であれば、構成する細胞の細胞膜も骨格として利用できるため、より大きなからだを構築できるだろう。
また、細胞群体であれば、僅かながら細胞ごとに役割分担が出来始め、そのはたらきを全体が享受する。魔核がその最たるものだろう。
スライムの分裂型と成長型の違いも、その体重を支えられるかどうかではないだろうか。
今回のスライムは、侵入者排除のために利用されていたため、成長型で間違いないだろう。何しろ今現在が巨大過ぎる。
落とし穴の底で槍を溶かして吸収し、色も変化している。
金属成分を細胞骨格に使用し、強度を上げたと思われる。
分裂型は金属成分をはじめ、細胞骨格強度を上げる
東門に向かうに当たり、スライムの通った跡を進むと、否応無しに注目を集めてしまうし、戦闘のために追いかけていると捉えられてしまうと、避難が出来なくなってしまう。
地面に残った溶解液で靴が溶かされるのも避けたい。身請けした者の多くは裸足だ。
靴を履いている者は使用人として働いていた者。
地下牢に繋がれていた者や、性の捌け口にされていた者は、衣服さえ怪しいほどで、靴など与えられている筈もない。
路地を南に抜け、西通りに出る。西東の通りを抜けて東門へ向かうことにした。
大通りは住宅街から避難してきた市民が溢れていた。
高級住宅街の高い屋根より体高の高くなったスライムを、皆が遠目に眺めていた。
此方に目を遣る者もチラホラいたが、すぐに視線をスライムへ戻した。
獣人が集団で移動しようと、咎める者はいなかった。
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