第33話 女神の温泉

 寒さが落ち着き、春の足音が聞こえ始めたころ。

 雪のちらつく日もあるが、草木の蕾は膨らみ、綻びを見せつつあった。


 この世界で最初の新年を迎えた。

 カレンダーはなく、星の動きを追いかける天文学者も占星術士もいない。


 この魚が獲れたから──。

 この花の蕾が膨らんだから──。

 こんな雨が降ったから──。

 こんな風が吹いたから──。


 そんな曖昧な基準に、


 ──次の満月がきたら新しい年。


 共通項で全員の認識が統一される。



 食が慎ましやかな時節に大掛かりな宴をするわけにもいかず、新年を祝う行事は趣を異にする。


 「いくぞーッ! 1──。2──。3──」

 「「「ダーッ!!」」」


 バーンと激しく夜空を彩ったのは花火だ。


 東の東屋──釣果の捌き場所に設置された屑魔核回収用の籠。

 集められた屑魔核を綺麗に洗い、乾燥させて膠で纏める。

 このとき、中心に大きめの魔核を置き、その周囲に金属粉を混ぜておくことで、花火としての華やかさと、魔核の連鎖反応が良くなるのだそうだ。


 牛人の腕力でもって豪快に海上へ投げ飛ばされ、【着火】された魔核玉は魔核の爆発を連鎖的に繰り返し、彩り豊かな花火となった。


 大きな花火が幾つ上がるか、小さな花火で如何に演出できるかで、一年間の漁の成果を確認する。同時に頂いた命への感謝と、新しい年の豊漁祈願ともなる。


 ──炎色反応でドヤろうとしなくて正解だった。


 アルカリ金属・アルカリ土類金属が手に入ればやってもいいかなと思ってはいたが、理系知識が無くとも、異世界には異世界なりのやり方がしっかりと確立されていた。

 元素を創り出そうなんて以ての外だ。


 村人たちは方尖碑オベリスクへ祈りを捧げていた。

 海神から護ってくれる女神への感謝だろうか。


 そう、この村では神様が身近にあった。海神然り、その娘然り。

 ただ、海神は畏怖の対象で、海からもたらされる災害・困難の象徴だった。

 娘神は、そんな海を制したい想いから出た希望の象徴──アンチテーゼと言える。


 海が密接に生活とリンクしているため、抽象的な概念に修飾が加えられ、像を結んでいく。娘神に至っては偶像化を済ませている。

 宗教化に至っていないのは、為政者の権威付けといった必要性や、所謂“奇跡”がないからだろう。


 形は違えども、祈りの場が既に用意されていた。他の地域ではどのような姿を見せてくれるのか、興味が湧いた瞬間だった。

 高台の上に用意した教会がただの避難所だと、認識を改められた瞬間でもあった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 「パパ」


 「またですね」


 温泉に浸かっていると、時々変なものが湯船に姿を現す。

 季節外れの服や、干し肉や干物、小銭なんかのときもあれば、錆び付いたり折れたりした剣なんかのときもあった。

 使い古された物だけではなく、真新しい衣服や武器防具、鍋や食器類、土付きの野菜が現れることもあったらしい。

 もしかしたら金や銀の斧も出てくるかもしれない。女神やキレイなジャ──いや、やめておこう。


 基本的に拾った者が持ち帰っていいことになっているが、不要なものは脱衣所横に物置小屋があり、必要とする人のもとへ届くようにと預け置けるようにもなっている。

 危険な刃物や、湯を汚す物が現れたときに、放置せず引き揚げてもらうための置き場所でもあるのだ。


 不確定ながらも、50年も隔絶した環境で、外界の物資が手に入る貴重な流通源であった。かえって隔絶を許した原因とも見なせるが──。


 「──ハンカチですかね?」


 「ですかね?」


 「あとで綺麗にしますから、ティーダからママに渡してあげてください。私から渡すと、またお腹に穴が空けられますので」


 「うん、パパ大変」


 ティーダは更に大きくなり3~4歳児くらいだろうか。よく喋るようになった。

 スモックが非常によく似合う。見え隠れする尻尾がヤバいSo Cute

 トイレもすっかりひとりでするようになり、夜中に起こされることも減ってきた。


 お手伝いを積極的に行い、ひとりでお遣いに行ったり、村人の手伝い兼職場見学に行ったりもしている。

 良くできたときには頭を撫でてやるが、ピコピコ動く耳は、撫でる時間を延長させる魔力を秘めていた。


 思い返すと走馬燈かと思えるほど一瞬で、成る程確かに生まれて半年しか経っていない。通常なら寝返り、ハイハイの時期だろうか。

 さすが獣人の子と言うべきか、村の皆は当然のように受け入れている。

 元の村だと、この成長速度は異常に映り、いつ襲ってくるのかと疑心暗鬼となったのではないだろうか。

 そう考えると、この村を目指したことは正解だったと思えてくる。



 ティアナの笑顔も増えた。

 自分を言い聞かせるような、思い詰めた節がなくなったように思える。


 2人の浮かべる笑顔はよく似ていた。

 ティーダの笑顔が誘うティアナ微笑みは慈愛に満ちており、それは母子の有り様そのものだった。



 リィナは安定期に入った。

 ついに妊娠していることを受け止めた。

 寧ろここまでよく否定し、誤魔化そうとしたものだ。


 誰の子か心当たりがないとショックを露わにし、相手を知らないかと問い詰められては、心の内に黒いものが芽生えてしまうのを抑えられなかった。

 知らないと答えれば、見た目通りの少女のように泣きじゃくり、腫らした目で上目遣いに父親になって欲しいと懇願する。

 還暦越えの経産婦に、自らの不貞、不精が原因であることと、相手が誰か分からない子の父親にはなれないことを告げて断ると、わんわん大声を上げて泣き喚いた。


 お腹の子に障るからと、ティアナが間に入ってくれたが、彼女もリィナの酒癖の悪さを知っているため、多くは語らなかった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 家に居づらい状況になったため、漁や狩り、農作業の合間で空いた日ができたときには、ケヴィンやホーランに頼んで戦闘術や隠行術を教えてもらった。

 教わるときは必ずティーダも一緒だった。


 獣人たちにも武道や流派などはないため、型稽古はせずに組み手中心だ。

 獣人ならではのバネを活用した動きはとても早く、目で追えるようになるのもひと苦労だった。

 目が慣れたと思った頃に、一緒に踊ってくれた猫人の女性に翻弄されたのは今となってはいい思い出だ。

 面白そうと乱入してくる村人たちが増えるきっかけにもなった。


 牛人や猪人のパワーに付いていけるように、筋トレにも励んだ。腹が割れた。

 猿人や猫人の柔軟性に付いていけるように、柔軟にも励んだ。股が割れた。


 おかげで体術だけでも、そこそこ立ち回れるようにはなったはずだ。一本も取れたことはないので自己満足でしかない。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 猿人の営む酒蔵──桃雉酒造で新商品の開発も行った。

 鬼殺しオーガキラーは、芋で作った原酒をろ過するだけだったそれまでに、蒸留工程を加え、アルコール度数も均一化したものだ。


 新商品は果実酒を作る樽を使い、蒸留した芋酒を更に熟成させ、果実の風味を移すのだ。

 樽はそのまま使うものもあれば、複数の果実酒の樽をバラして板を組み替え、作り替えてから使うものもあった。

 樽の内側を焼いて炭層による成分ろ過を狙いつつ、燻香を加えるものも作った。


 味の成否はすぐには分からない。

 熟成には年月が掛かるため、ティーダの成人のときに開けることに決め、報酬として鬼殺しも数樽分リザーブしてもらった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 高台の上に、南村で【収納】してきた工房も設置した。

 教会の隣になるが、工房の騒音や窯の熱を考慮し距離をあけた。


 襲撃したゴブリンたちにとっては、興味の対象とならないため、住居や厩舎を除く建物の多くは破壊を免れていた。

 工房はダンのところよりも小さいが、金属用の高温窯と、それ以外の低温窯の2つが用意されていた。


 獣人村では新規で金物を打つことはなく、温泉に出現したものを修理したり研ぎ直したりするくらいだった。

 鍛冶を教えてくれるような人材はいない。自らにも経験はなかった。

 それでも工房を出した理由は、低温窯で木炭を作りたかったからだ。


 こちらも経験があるわけではないが、知識はあった。

 平たく言えば、窯の中を低酸素状態にして燻せばいい。

 兼業アイドルの農家が村を開拓しながら作っていたから、出来なくはないだろうと試行錯誤を繰り返すことにしたのだ。


 ──考えが甘かった。


 はじめは生木のままで、木の色がそのままだった。一目でコレジャナイって分かる出来だ。

 炭の特徴の炎や煙が少ない点を思い出し、木材自体に火がついて炭化することが見た目を、可燃性気体が少ないため炎が上がりにくいこと、内部の水分がなくなっているため煙が少なくなることに思い至る。


 今度はきちんと火が回るようにして再挑戦。


 ──燃えたよ。

 ──まっ白に。

 ──燃えつきた。

 ──まっ白な灰に。


 燻すどころか空気の流れる道が確保され、しっかり燃え切った。


 空気の通り道を考え、可燃性気体や水蒸気の逃げる道を作り挑戦する。

 吐き出される煙に色がなくなり、不要な成分が抜けきったと判断し、窒息させる。


 満足な炭ができるようになったときには春だった。


 暖房用じゃない。美味いメシを作るためだ!

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