第22話 未だ斬られたことに気付いていないんです
昼過ぎ──。
薪を割り、新しい鉈と二刀流での手の返しの練習をしていると、母屋の方が騒がしくなった。
リタとダン、シャーリーもいる。
任せて鉈の習熟に勤める。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
例えばセルラーゼ。
植物の細胞壁──細胞外骨格であり、人類が最重要視する木材としての主成分──セルロースを分解する酵素。
刃の先に集めて薪に打ち込んでも、酵素の分解反応以上の速度で刃を打ち下ろすため、恩恵に預かれず、鉈の威力のみで切り裂いてしまった。
次に原子分解。
原子分解はマナの仮想酵素に因るものだから、反応速度も思いのままだと思ったが、過信が過ぎた。
刃が鋭すぎて、斬ったと思ってもすぐ元通り。達人の逸話を再現した気分だ。
切断に至らず、ただ通過しただけ。
エネルギーの放出だけが歪に行われた。
──被曝した。
【回復魔法】の有り難さを確認しただけだった。
全身スキャンからゲノムDNAの修復まで行う羽目になってしまった。直ちに影響はない。
爆発音もなく、周囲への影響もない。
鉈を持ったまま微動だにしない薪割りに、目撃者は不振に感じただろう。
実験をするためには、防護膜を張る必要があると学んだ。
分子分解に視野を広げる。
原子の形はそのままに、原子間の結合を分解して斬り離す。
成功したが、これだけじゃ足りないだろう。
鉈の刃にマナの刃を乗せたかたちだが、マナの刃を超える強度で防御膜を張られてしまえば、残りは鉈の刃。
マナ同士が相殺したとして、上回り残った防御に鉈が止められては切断には至らない。
防ぐマナを斬り裂くことに特化したマナ。
斬り裂くマナを防ぐことに特化したマナ。
矛と盾のいたちごっこだな。
困ったときの虚子頼み。
──禁じ手、かな。
結論。薪を割るのに魔法剣は必要ない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
鉈の二刀流に慣れてきたところで、更に母屋が騒がしくなった。
悲鳴も上がれば、駆け付けないわけにも行かない。
騒動の中心は南村の生き残りたち。
かつての住み込みのお弟子さんの部屋に、相部屋で入っていてもらっていたが、その中でも一人部屋にしていた女性。
妊娠していた娘だった。
部屋の前には人集りが出来ており、中にはリザの出産の時にも駆け付けてくれた産婆がいた。
娘は赤子を抱いていた。
産後にしては祝福されている様子はなく、寧ろ剣呑でさえあった。
中の様子を伺おうとしていると、茜髪の少女に袖を引かれ、事情を知ることとなった。
「ティアナさん、聞いて。その子は今は大人しいけれど、すぐに大きくなって皆を襲うかも知れないの。辛いことだとは思うけど、聞き分けてちょうだい」
リタの声が聞こえた。
母親になった娘──ティアナの子について説得しているようだ。
茜髪の少女によると、ティアナの産んだ子はゴブリンたちのマナに犯されており、ヒトのかたちを外れているのだという。
通常、ゴブリンに犯されれば、ゴブリンを産む。それは母胎の生物種が何であれ、必ずゴブリンなのだそうだ。
そしてゴブリンを産んだ母親は、産まれた子を本能的に守るようになってしまう。
産まれた子がゴブリンであると、いかに説明しても駄目だという。
子ゴブリンを取り上げて殺そうものなら、母親は攻撃的になり反撃してくるか、発狂して自死を選ぶこともあるらしい。
「【回復魔法】で洗脳を解いたりすることは出来ないのですか?」
少女は首を横に振る。
陣痛を経た出産の場合、避けようがない状態だという。
このため、本来は救出されたらすぐにマナを流し込み、堕胎させて女性の心身を守ってやるのだそうな。
彼女の場合、攫われたときには妊娠しており、旦那の生存が確認できない今、忘れ形見になるからと、堕胎を拒否し続けていた。
出産予定は来月だと言われたため、リタたちもその間に説得するつもりだったのだ。
事態が急転したのが遺品の確認・整理をしていたとき。
旦那の物が見つかり、ショックで陣痛がきてしまい、そのまま出産する事になってしまった。
案の定、産まれた子を庇い、徹底抗戦の構えで現在に至る。
「彼女の場合、元々お腹に子どもがいたのですから、ゴブリンではないのでは?」
そこが事態をややこしくもしていた。
妊娠中にゴブリンに犯されると、胎児にゴブリンのマナが作用し、ゴブリンの性質を持った子が生まれるという。所謂ハーフだ。
妊娠のどの時期に犯されても、程度に変化はなく、同じ特徴をもつという。
ヒトの場合であれば、角が生え、牙が延び、筋骨隆々、知能もついた
ハーフ個体は、元となる生物の性質が加わるため、ゴブリン以上に強力で、もたらされる被害も甚大となる。
このため、母親が自死することになろうと、他の大勢を救うために直ぐ処分してしまう。
今回は堕胎のタイミング失した上に、ハーフ個体であるため、単純なゴブリンを産み落としたとき以上の緊迫した状態なのだ。
「ダメエエエエェェェーー!」
ティアナの悲鳴が響く。
部屋の中ではダンが赤子を取り上げようとしていた。
「待って下さい!」
人集りを割って入り、ダンを止める。
「トモー。これはいつかはやらなくちゃならねぇんだ。なら、早い方がいい」
「そうかも知れません。ただ、こんな見せ物にする事もないでしょう? 未だ小さな子もいます。皆さん、部屋に戻って頂けますか?」
「そうね、皆部屋に戻って頂戴。ホラ、早く」
提案に、周りの状況がようやく目に入ったリタが解散を告げる。
茜髪の少女は既に姿を眩ませていた。
「リタさん、ダンさん、ここは私に預けては頂けませんか?」
「そりゃ何だってまた?」
「最悪、赤ん坊を殺めることになったとして、余所者の私が手に掛けた方がいいでしょう?」
「恨みを背負って旅立つというの? でもそれでは根本的な解決ではないわ。ゴブリンの被害はまた同じように起こるわ。そのときにもあなたに頼るわけにはいかないじゃない」
「そうだぜ、トモー。これは長の仕事でもあるんだ。辛いことだが、村を守るためにはやらなきゃいけねぇ」
「そんな大それたことではないのです。ただ、悲しんでいる人がいる。困っている、苦しんでいる人がいる。その人たちに手を差し伸べたい。それで問題が起こるなら、責任は負わなければいけない。私自身のただの我が儘です」
「──分かったわ。ただ、村の人に危害が及ぶようであれば、アナタにも出て行ってもらうことになることは覚悟してね。駄目だと判断したらいつでも知らせてちょうだい。私たちの仕事を全うするわ。ダンもそれでいいわね?」
「リタがそう言うなら、俺は構わねぇ」
「アンタがそんな顔しているから、トモーさんが入ってくれたんでしょう! あからさまにホッとしないで! 行くわよ!!」
2mを超す巨体が片手で曳き擦られていった。ダンの悲しみに満ちた目に、さらなる悲しみが宿った気がした。
「ティアナさん? 私はトモーと言います。赤ちゃんの顔を見せてもらえますか? 一瞬であれ、助けた命を心に留めておきたいので」
「トモー──さん。ありがとうございます。もしよければ抱いてあげて頂けませんか?」
「礼には及びません。それより、宜しいのですか? あんなに拒んでいたのに」
「貴方からは、この子をどうにかするようには感じないので。この子を受け入れてくれるならですが…」
「分かりました。では、ありがたく」
受け取った赤ん坊は小さく軽く、しかし力強い生命力を感じさせた。
母親は盲目的に子を守ろうとしているわけではなく、聞いた話と少し違っているようだった。
「温かいですね」
「──はい。はい…」
張り詰めたものが解け、泣き出してしまったティアナに背中を貸す。
母親が落ち着くまで、赤ん坊は泣き出さずに腕の中で眠り続けた。
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