第19話 綺麗な顔してるだろ?
ダンと
会敵から此処に退いてくるまでの数合で見切り、タイミングを合わせて放ったかち上げも、意識を刈り取ることは出来なかった。
警戒を強めた人熊は体当たりを止め、爪を主体とした攻撃に変えている。
盾には爪の痕が刻まれ、身体に届きそうなものはリナが【風魔法】で切り裂く。
振るわれた腕に傷を付けるものの、決定打ではなく、爪が止むことはなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
戦闘中だ。悠長に考えている暇はない。
鉈と金鎚を握り締める。
水素の爆発を起こすに当たって、どうやって水素を人熊のもとに集めるか。
【風魔法】では大気と混ざり合い拡散してしまう。
容器に入れて投げつけるのも、忽ち躱されてしまうだろう。
幸い雨が降った後で辺りは濡れている。人熊の足下の水を分解して、その場で発生させようか。
気になるのはリナの最初の【風魔法】を避けたこと。遠隔でのマナ操作を感付かれてしまっては成功しない。
試しに【土魔法】で石筍を創るべく、マナのパスを延ばしていく。
人熊が腕を振りかぶり、下ろす瞬間を狙って発動させるが、腕は下ろされることなく回避行動を取られてしまった。
魔法が発動する前段階──パスの段階でどの辺りにマナが集まっているかを感じ取っているようだ。
遅れて形成された石筍を掴み折り、此方に投げ付けてくる。
未だ繋がっているパスから自壊を促し、肩盾で去なしながら受けた。
二の腕にミシりと鈍い音が響き、すぐさま【回復魔法】で修復する。
パスの方向もバレるのか…。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「大丈夫か?」
「ええ、問題ありません。次でいきます。ダンさん、合図で身を屈めて盾を上にして下さい。それ以外の回避は無用です。」
「──分かった。頼んだぞ」
投擲の合間の隙を見て、此方に近付き気遣ってくれたダンに指示を出す。
少し離れたリナへ目配せする。
再開された戦闘。何度目かの衝突。
「今です!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
人熊の突進に対し、盾を構え姿勢を低くするダン。
魔法発動のマナも虚子化して、ダンの足下へパスを延ばす
会敵の瞬間に虚子を現出させ、魔法を発動させる。
使うのは【土魔法】。ダンの足下を掘り下げていく。ダンの身長分、2m程。
屈んだまま縦穴に身を沈め、盾が蓋をする。
掘り下げるため取り除いた土を使って、再度石筍を数本作り、槍衾とする。
振り下ろされた爪は宙を切り裂き、得られるはずの抵抗が無いためバランスを崩す人熊。
前のめりに蹌踉けたところへ、石筍の槍衾が襲い掛かる。
腕と脇腹を貫いた石筍が、人熊の動きを止める。
水素を発生させる方法にも工夫を加える。
足下で泥濘になっている水を分解するだけでなく、酸素も原子分解して水素に変える。
物質の結合にはエネルギーが蓄えられている。
結合を外すには匹敵するエネルギーを外から加える必要がある。
この必要になるエネルギーを減らす作用をもつのが酵素だ。
消費エネルギーを減らし、得られるエネルギー、効果を増やす魔法の物質とも言える。
マナを酵素として効率よく分解していく。
解放されるエネルギーをさらに利用してどんどん進めていく。
原子分解をする酵素など知らないが、不思議物質マナに実行したいイメージを伝え、現実の物にしていく。
エネルギー収支も実際のことはそっちのけだ。
出来る道筋──可能性を示すことで現実になる。それがこれまでに学んだこの世界の“魔法”だ。
バランスを崩し、石筍に刺さった人熊の胸元で水素ガスを発生させ、【着火】する。
閃光とともに生じる爆発。
水を分解した際の酸素も水素に変換しているため、大気の酸素が消費され、人熊の周囲は酸欠状態に陥る。
生じた水は水蒸気として立ち込める。
「──やったか!?」
縦穴の中、蓋をしている盾越しに爆音と震動を感じたダンが成功を願って叫ぶ。
──拙い。
目眩ましになっていた水蒸気が渦を巻き、人熊の爪が飛び出してくる。
的確に、此方の胸を貫く軌道。
有り得ない距離を走る殺意。
目の前が真っ赤に染まる。
身を襲う衝撃は遅れて伝わる。
肘から先、貫通した人熊の腕が爪を立て、地面に突き刺さった。
腹部に風穴を開けた小さな人影が、目の前で崩れ落ちる。
石筍に貫かれていた前肢を失い、残った左腕は投擲の後。
酸欠も手伝い、正に息も絶え絶えの様子。
──未だ生きている。
全てを表す一言が頭を支配し、その先の行動を決定付ける。
金鎚を【収納】し、鉈を右手に持ち替える。
空いた左手で人熊の腕を拾い上げて駆け出し、間合いに入るやいなや逆袈裟に鉈を切り上げる。
早く終わらせて治療に入る──。
残った腕で受け止められるが、【身体強化】と相手の酸欠のおかげで押し返されることもない。
左手に持つ前腕にマナを纏わせ、爪を前屈みになった人熊の喉元へ突き刺す。
怯んだところで鉈を戻し、腹に刃を入れ、掻っ捌く。
返り血を浴びながら、身を屈めて走り抜ける。
残った前肢は、零れ落ちる腸を押さえるために塞がった。
距離を取りながらも、喉元に突き立てた前腕には強くマナを注ぐ。
──爆発ならこっちでもよかった。
科学を志すなら一度は調べたことがある。
偉大な発明を──。
ここからはマナの無駄遣いは出来ない。
窒素は大気中のものより、タンパク質に含まれるアミノ酸由来の物を。
アミノ酸のアミノ基──アンモニアから亜硝酸、硝酸へ。
グリセリンは脂肪から。
筋肉が多く脂肪分が少ない前肢だが、食肉目のもつ肉球──指球と掌球は脂質に富む。
マナで合成を進め、拳大に至ったところで【土魔法】を新たに発動し、縦穴と石壁を作って自らも身を隠す。
「もう一度いきます! 身を隠し続けてっ!」
返事を待たず、【着火】する。
轟音と衝撃波が駆け抜け、家屋の屋根や窓、教会のステンドグラスが割れ落ちた。
顔を出すと、喉元から上が吹き飛んだ人熊が倒れ込むところだった。
縦穴から飛び出し、“道具”を【収納】してリナの許へ駆ける。
止め処なく流れる赤い液体に、危機感が押し寄せる。
横抱きにしてマナで包み、家へ駆け込む。
戦闘の気配と爆発を感じ、扉越しに様子を窺っていたリタが、リナの部屋までの道を空けてくれる。
「すみません。治療に掛かります。残党の警戒をお願いします」
またも返事を聞かずに扉を閉め、鍵を掛けた。
ベッドに横たえ、患部を確認する。
右腹部──肝臓、腎臓、腸が形をなくし大きな血管が傷付けられ、顔色は失われていた。
マナで患部を活性化し、再生を促していく。
「──やっと会えた…」
胸に手を当て、魔核へマナを流し【巡廻】させていくと、リナは虚ろな目を向け、赤く濡れた唇を薄く開き呟く。
「──今度は一緒に連れて行ってね…。返せない恩の押し売りはもう御免だわ…」
「其れは此方の台詞です。アナタは恩返しのつもりでも、正当な受取人は私ではありません。私から恩返しされるためにも、死んで貰っては困ります。ましてや私を庇って死ぬなど以ての外です」
幻影を重ね見、涙を頬に伝わせるリナに告げる。
──このまま逝かせはしない。
──魂の形をその肉体に示せ──。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
トモオが治療のために籠もり、ふた時ほど。
そろそろ空が白み始めるかという頃。
扉が開き、伏し目がちに部屋から出てきた。
詰め寄るリタに対し、首を振って応えるトモオ。
部屋の中、ベッドの上に横たわるものは、冷たく動かない。
血塗れの衣服の下には、すっかり綺麗になった肌があった。
顔も傷跡一つなく、今にも起き出してきそうだったが、呼吸をしない口元は固く閉じられたままだった。
ゴブリンの残党を殲滅し終え、人々駆け付けるが、皆の願いが届くことはなかった。
顔を覆い泣き崩れてしまうリタを、慰めるようにダンが肩を抱いた。
部屋の窓から通る風がカーテンを揺らし、皆の頬を撫でた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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