第18話 ゴブリンだー!!

 雨雲に切れ間が訪れ、星明かりを覗かせる。

 翌朝に森への進攻を控えた夜。

 見張りを交替してリナの家に戻り、軽食で小腹を満たしていたとき。


 突然の襲来だった。


「南の村を襲ったばっかじゃねぇか!」


「ともかく迎撃だ! 女、子どもは教会に! 戦えない奴もだ!!」


 怒声が響く中、少女が駆け込んでくる。


「お婆ちゃん!」


「リズかい、ダンは迎撃じゃな? 相手の規模は分かるかい?」


「ザッと100はいるだろうって!」


「でかい奴の姿は?」


「見てない。パパも見てないって。いつ何が飛んでくるか分かんないから、戦い難いって。それで、家ごと壊されちゃうかも知れないから、早く教会に逃げてくれって、伝え回ってるの」


「そうかい、ご苦労さんじゃった。こっちはいいよ。避難できそうにないから、他の家を回ってやってくれ」


 奥の部屋から漏れ聞こえる嗚咽や悲鳴は、南の村から助け出した人たちだ。

 数日の内に恐怖が再現されてしまった。

 パニックにならないのは、リタをはじめとする女衆の献身的なフォローのおかげだろう。


「私も出ますね。この家の門番くらいは出来ると思います」


「済まないね。無理だけはするんじゃないぞ。ワシも準備が出来次第応戦に出る」



 リズを送り出し、家の外に出る。


 虚子を放って索敵し、【地図】を開く。

 今は村中が範囲に収まるようになった。

 動体に対しても精度は上がり、人とゴブリンの位置関係も一目瞭然だ。


 ゴブリンたちは村の東側にいる。森からほぼ真っ直ぐに向かってきているのか。

 ゴブリンと思しき光点の数は約50。索敵範囲外にも同程度いるのだろう。


 怒号と悲鳴が鼓膜を揺らす。


 駆け付けたい思いと、逃げ出したい思いが鬩ぎ合う。

 狩りのときには感じなかった。


 脚が震える──。


 世界が回り、自分の立ち位置、姿勢が判らなくなる。


 家の扉が開き、聞き慣れた声が耳を打つ。


「戦況はどうじゃ?」


 腰に添えられた手の温もりが、見失った世界の有り様を取り戻してくれる。


「──東が主戦場です。ダンを筆頭に敵の侵攻を食い止め、エリックとエドガーらが弓で数を減らしています。数は約50。敵は倒されながらも、次々後続が来ているようです」


「ちょっと尻を叩いてくるかの。直ぐ戻ってくるから、お前さんは此処で待っとってくれ」


 そう言われ、尻を軽く叩かれる。


「今はワシ一人の家じゃなくなってしまったからね、頼んだよ」


 杖をついているとは思えないほど、俊敏に駆け出していった。

 震えは止まっていた。


 周囲を警戒しながら【地図】を見ていると、5分ほど経った頃、大きなマナの反応とともに、ゴブリンを示す光点がザッ、ザッと消えていった。



 ゴブリンが粗方いなくなったところでリナが戻ってきた。


「お帰りなさい。さっきのは【風魔法】ですか?」


「まぁ、そんなところじゃ。マナの消費が激しいから多用出来んのが難点じゃ。連中は南の村から奪った道具で武装しとった。リーチと殺傷力が上がった分、厄介じゃぞ


 相手の情報を補足してくれた。


 ファンタジーゲームではないのだ。

 ゴブリンが武装しているのが当たり前に思い込んでいた。

 ゴブリンが武装しているか否かも、共有しなければいけない情報の一つなのだ。


 ゴブリンが武装していれば、どこかで人を殺してきている。人を殺せるゴブリンがいるということ。

 戦い方を知っていれば、幼子でも驚異になるのと同じだ。


 仮にゴブリンが自前で武装を作れる程の知能をもつのなら、もっと危険度は高く扱われている。

 森で見掛けたタイミングで討伐隊が組まれていてもおかしくない。


 南の村が襲われた情報が事前にあったため、皆認識を改めて対応していたのだろう。


「武器の種類、数が分かるだけで、戦い方を変えて、より有利に進めることも出来るんじゃ」


 此方の表情を見て、何を考えているのか察したのか、そんなことも教えてくれた。


「相手が棍棒程度なら、ダンがメイスを振り回すだけでこと足りるが、長物を持たれるとそうもいかん。盾で攻撃を防ぎながら、後方からチクチクやっとったわ」



 ──ガアアアアアァァァァッ!!


 一際大きな咆哮が轟き、家屋の窓を揺らす。


「イヤな声じゃのぅ。ダンたちじゃどうにもならんかも知れん。大物が現れた以上、残りは普通のゴブリンじゃろうな。それぐらいならリタでも何とかなる。というより、やってもらわんといかんな。声を掛けてくる」


 リナが家に戻り、【地図】で戦況を追っていると、徐々に戦場が近付いてきていた。


「エドガーさん!」


 先頭で戻ってきた数人の中にエドガーの姿を見付ける。


「トモーか、師匠は? リナさんはどこだ? ヤツは硬すぎて普通の攻撃じゃビクともしなかった。師匠の力が必要なんだ」


「中です。呼んできます!」


 そう言って扉を開けると、話し終えたリナと鉢合わせた。お腹に柔らかい感触が走ったが、確認している余裕はない。


「師匠、人熊ウェアベアです! 人豚オークではありませんでした」


「色は?」


「──赤です」


「40年ぶりじゃのぅ。腕が鳴るってもんじゃ。アレと同じなら弓は効かん。お前たちは避難誘導と雑魚の処理に当たりな!」


「「「ハッ!」」」


 ガアアアアアアァァァァッ!!


 咆哮が更に近付く。


「サッサと行きなッ!」


「「「ハイッ」」♡」


 竦んだ男たちが、尻を叩かれていく。最後のヤツ、お前はダメだ。


 男たちが散開して間もなく、家の陰からダンが転がり出してきた。

 すぐさま立ち上がり、持っていた大盾を構える。

 そこへ巨大な影が突っ込む。

 2mを超す巨体が宙を滑る。

 煉瓦作りの家の壁に、強かに背中を打ち付けて停止した。


「ぐぅ」


 呻き声に向けて、影が追撃体勢をとる。

 不意に此方に振り向き、威嚇してくる。

 奥の瓦礫がガラリと崩れた。


「勘のいいヤツじゃな。ダン! まだいけるかい?」


「女将さん! ありがとうございます。いけます!」


 リナの不意打ちは躱されてしまったが、ダンが構え直す時間には十分だった。

 間合いを取りながらダンが合流する。


 【照明】に照らし出された相手の姿は巨大な熊。

 4つ脚の突進姿勢でさえ、ダンに匹敵する体高2m。立ち上がれば4mに達するか。

 長く伸びた爪に、荒い息を吐く口から覗く歯はどちらも鋭く、捉えられれば無惨な結果になることは想像に難くない。


 よく見ると熊では短い筈の後肢が長く、前肢に拇指対向性が顕著であった。


 熊も2足歩行するが、敏捷性は高くない。

 熊本来の、安定した重心を基にした長い前肢を振り回す攻撃はそれだけで脅威だ。


 そこに加え、長い後肢は瞬発力を高め、長く鋭い爪をスパイク代わりにすれば、制動・回頭も思うがままだ。

 回り込んだ親指は物を掴み易く、道具の使用も出来るだろう。生木が飛んでくるわけだ。

 幸い今は何も持っていないが、瓦礫でも投げつけられたら、即致命傷だな。

 熊に霊長類の特徴が加わった形だ。確かに人熊とは的を射ている。


「本当に紅いのう。それにデカい。沢山食ったんじゃろうな。群も大きかったし、南の男衆を食いきって、次を襲いに来たんじゃろう」


 最悪のイメージが脳裏を過る。


「アレには【火魔法】と【水魔法】は通じんぞ。【土魔法】で岩を叩き付けるか、【風魔法】で切り裂くかじゃ。どっちにしても生半可な威力じゃ、掠り傷すら与えられん。トモオ、いつぞやの爆発で吹き飛ばすことは出来るか? ダン、確実に当てていくためにも、アレの足を止めてくれ!」


 

 グアアアアアアァァァァッ!!


 三度目の咆哮。

 ビリビリと肌を震わせる。

 何枚か硝子が割れたようだ。


 3人に目掛けて突進してくる。


 ダンが盾を構えて立ち向かい、駆け出した。

 リナに促され、動線から退避する。

 突進してくる人熊と衝突する直前、半歩ずれて下から顎を盾でカチ上げた。

 人熊は仰け反りながらも、長い前肢と爪を活かして反撃してくる。


「ハァッ!」


 掛け声とともにリナが腕を振り下ろす。

 ダンを襲う前肢から血が舞った。

 互いに距離を取り、睨み合う。


「ここまでお前さんを戦闘に巻き込むつもりはなかったんじゃが、アレが相手となるとそうも言ってられん。情けないことじゃが付き合っとくれ」


「あの人熊のことをご存知なのですか?」


「アレとは別じゃがな。ワシの恩人の敵じゃよ。まぁ、ソイツも死んだ旦那と倒したんじゃがな。それだけアレの手強さも身に沁みとる。人熊自体はチョイチョイ出てくるんじゃが、あれだけ紅いのは久しぶりじゃ」


「あの爆発自体は事故だったのですが、やってみます」


「すまん──」


 体捌きなんて大層なものは身に付いてはいない。

 一撃で屠られるイメージしかない。


 それでも守りたいと思えるものがある。


 震えはとうに消えた。


 傍に居てくれるだけで強くなれる。


 加護の消えた今、再び死が訪れるまで、意地汚くとも、精一杯生きてやる──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る