第17話 + Ultra

 交替で見張りをし、休憩時間には大浴場で冷えた身体を温め直す。


 仮眠を取るべきだろうが、少ない時間も実験・考察に費やす。

 弊害・不整合が出るかもしれない。

 それでも自分に出来ることを積み重ねていく。


 エドガーに怪我を負わせた相手を考察する。


 森の入り口から丘の上まで500mくらいとして、仰角付きだが無視していいだろう。


 男子のハンマー投げで世界記録が90m足らず。遠心力を駆使して、真球を投げ出してそれだ。

 相手が投擲したのは何も加工せず、洗練とは無縁の生木。枝葉も根に付いた土もそのままで、空気抵抗は最大限。


 エドガー自身、回避行動を取ったにも関わらず、筋肉に包まれた骨を砕かれた。


 ──計算は諦めた。


 どれだけの筋力があれば──など考えるだけ不毛だ。


 100kgの生木を500m投げ飛ばすことを科学するくらいなら、非科学に逃避する。


 この世界にはマナがある──。


 だがそれだけではつまらない。


 『推進力はマナだけ』と『推進力にマナも』は大きく異なる。

 後者の方が、余力が大きい。

 相手は何%の力だったのか。

 分からなければ、単純な力勝負は出来ない。


 マナを含めたエネルギー総量を、如何に小さくして同じ結果を得られるか。

 そこに科学の介入する余地がある。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 身体を構成する細胞の生命に関わるエネルギーは、ATPアデノシン三リン酸ADPアデノシン二リン酸Piリン酸に分解した際に生じるエネルギーを用いていると言われている。


 ADPとPi間の結合──高エネルギーリン酸結合に蓄えられたエネルギーは非常に潤沢で、酵素のはたらきにより、効率良く取り出すことが出来る。


 ATPからエネルギーを取り出し終えたあと、ADPとPiはさらに分解されていくかというとそうではなく、食物から得られたエネルギーを利用して再びATPに合成される。


 つまり、食物のエネルギーとは、直接細胞に消費されていくのではなく、一度ATPを介してから細胞に消費されているのである。

 このためATPは『生体内のエネルギー通貨』とも称される。


 身体を動かす骨格筋においてもそれは同様で、ATPがなければ筋肉は収縮しない。

 アスリートがパフォーマンスを上げるには、ATPが体内に十分にあり、効果的に分解、再合成を繰り返させる必要があるともいう。


 この過程でのマナによるアプローチは3つ。


 1つ目はATPから生じるエネルギーそのものをマナで代用し、直接筋肉のエネルギー源としてしまう。


 ATPの再合成は、人体では主にミトコンドリアで行われる。このミトコンドリアをマナで活性化させ、ATPの再合成を加速させる。これが2つ目。


 3つ目がATPの再合成に必要な食物エネルギーをマナで代用し、ATPの循環効率を上げる。



 エネルギー効率が上がっても、肝心の筋肉の強度が低ければ意味はない。

 エンジンの馬力が高くてもボディの剛性が低ければ自壊してしまう。

 大きな力を発揮させる分、筋肉にも骨にも強度が求められる。


 きっと生木を投げた相手も、高強度の骨格をもつに違いない。

 非力なままでは傷ひとつとして付けられないだろう。


 生物という枠組みの中にいる以上、身体を構成する成分は変えることが出来ない。

 が、トレーニングによって量と比率は変えていける。


 筋力トレーニングを行う──筋肉に負荷を掛け、筋肉を構成する筋繊維に傷を作る。

 この傷を修復するとき、より強く丈夫な筋肉になるように増強される。所謂『超回復』だ。


 しかし、この修復がキレイに行われないと、筋肉の中に癒着や歪みが生じ、本来のパフォーマンスを発揮できなくなってしまうこともあるという。

 よって、トレーニング後にはストレッチやマッサージを適度に取り入れ、癒着を剥がしたり、歪みを解消したりする必要がある。


 成長期にはマッサージを受けるだけで、著しい伸びが得られることもあるというくらい、トレーニング外のケアは重要だ。

 マッサージのし過ぎも、炎症を増長し反対に癒着や歪みを悪化させることがあるため、注意しないといけない。


 しかしながら、今更筋トレをしても筋肉痛を残すだけだ。

 ただマッチョに成りたいわけではない。


 強引に【回復魔法】で筋肉の修復を行い、筋肉を増強することは可能だろう。

 果たしてそうやって出来た筋肉は、戦いや日常での動きに対して、どこまでの適正があるか未知数だ。

 検証に割いている時間はない。

 薪割り等の雑務が、鉈の扱いも含めて、身体の状態を向上させていると信じよう。


 では、マナはどうやって活用できるか。


 導き出したのは、身体を形づくる皮膚、筋肉、骨に加え、血管、神経の強度をマナで補うこと。

 それは単純な硬度だけでなく弾性にも富んだ、強くしなやかなものを目指す。

 思い付いた方法は2つ。


 1つは、タンパク質をはじめとする生体分子の中にマナを盛り込み、内側から素体の強度を上げる。

 体組織すべてにおいて、マナが含まれる状態。見方を変えれば、魔核のみならず、身体全体にマナが蓄えられた状態だ。


 もう1つは、身体を外側からマナで包み込み、発揮される力に対して、壊れないように外側から保護してやる。外部からの攻撃に対しても、防御膜としてはたらくと尚良い。

 体表からマナが霧散しないようにし、からだの内外で循環させる。あわよくば自然界のマナを直接取り込みたい。



 そして、最後に運動性。

 クルマで言えば足周り。サスペンションからホイール、タイヤ、制動を掛けるブレーキ。回頭性を向上させるエアロパーツも、突き詰めていけば馬鹿に出来ない要素だ。


 ひとつの動作に関与する筋肉群を、的確に動かすことによって生み出されるパフォーマンス。

 物を投げることをとっても、握り込んで腕を畳む屈筋群に、運動エネルギーを与える回転筋群、畳んだ腕を伸ばして放り出す──生じる遠心力を最大限にするため、回転円周外側へと作用点を移動させる伸筋群。


 本来、反復練習によって最適化される筋肉の連動を、マナで補助させる。

 とるべき筋肉の動きを再現・補助してくれるパワードスーツを、マナで構成する。


 注意すべき点として、誤った解釈は自らの肉体を使った、人形遊びとなること。

 マナという糸で操る|糸繰り人形(マリオネット)。

 有り得ない動きをさせてしまえば、筋肉も関節も破壊してしまう恐れがある。


 例えば、右足を宙に浮かせてみると、通常は転倒しない。


 ロボットのプラモデルなんかで同じことをすると、すぐさま転倒してしまう。

 片足立ちをさせるには、残った足の関節の角度や、上体のバランスを取り直してやる必要があるのだ。


 何故、我々は転倒しないのか。

 簡単なことだ。バランスの取り直しを“無意識下”で行っているのだ。


 この“無意識下”が厄介だ。


 意識的にマナで補助しようとして、無意識に使っている筋肉が疎かになってしまえば、バランスを崩してしまうだろう。

 一朝一夕で身に付くものではないが、少しずつマナの補助さえ無意識下で行うように慣らしていくしかない。



 以上が所謂【身体強化】と呼ばれるものに当たるのだろう。

 “どれか”ではなく“すべて”を、可能な限り無意識に、自然体で出来るようにしていく。

 気分は細胞遊びのときの、野菜の星の人参な人。超野菜人の日常化。

 きっとマナの消費は今までの比じゃない。



 この世界の住民は生まれたときからマナがある生活なのだから、それこそ無意識下で制御しているのかもしれない。


 親しみ始めたマナを更に身近なものに。

 構成元素を改変して人外になるのはその後だ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 湯上がりの温まった身体をストレッチで解していく。

 筋肉にマナを馴染ませ、発揮できる力の底上げと、身体とマナの連携を高めていく。


 戦闘は未だ不慣れなため、討伐隊には同行できない。

 それでも最悪の想定のもとに、いつも通り可能な限りの準備はしておく。



 裏腹に、事態は想定してない方向へ進んだ──。

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