第13話 お気の毒ですが冒険の書は消えてしまいました
見知った天井だった。
ここ2週間ほどお世話になっているんだ、見慣れたと言っていい。
──エドガー!?
叫ぼうとするが声にならない。
傍らで人が動く気配がした。
気配に顔を向けることさえ億劫だった。
「起きたかい。先ずは水でも飲むんじゃ」
そう言って差し出された水差しに口を付ける。
貼り付いていた喉が剥がれ、漸く声を発する。
「リナさん、エドガーは!?」
「安心をし。お前さんより先に目を覚まして、ゆっくり孫の名前を考えとるよ」
期待した答えが得られて、再びベッドへ倒れ込む。張り詰めたものが解けた。
「寧ろお前さんの方が危なかったくらいじゃ。あそこまでマナを使い切るなんて、阿呆でもせんぞ」
呆れた声を零すリナの口許は緩んでいた。
「じゃが、そのおかげで助かった命があった。礼を言うぞ」
「あれからどれくらい経ったのですか?」
「お前さんらが村に戻ってきてから、2人の容態が安定するのに一晩かかった。そのあと、丸一日寝とったわい──」
意識を失ってからも、騒動が落ち着くまで大変だったという。
丘の上の麦畑から煙が立つのを見つけた見張り役が、手の空いていた男衆を集めて駆け付けた。
収穫を目前に畑で火の手が上がるなど、向こう一年の食い扶持を失う事になるのだ。
ゴブリンの仕業かも知れないと女衆は村から出ることを禁じられた。とは言え、火元がダンと判明するまでだが。
合流した男衆らと手分けして村に運び込まれ、エドガーは仮処置だった骨や筋肉の本処置が施された。
そのまま村二番の魔法の使い手であるリタが看ることになり、村一番のリナが此方を看てくれたという。
「マナが完全にスッカラカンじゃった。【巡廻】でワシのマナを補充したんじゃが、呼吸も心拍も弱っとった。骨が折れたわい」
「お手数をお掛けしました」
「じゃから、礼を言うのはこっちの方じゃて。ワシより若い御霊を送らずに済ませてくれた。本当にありがとう」
「私がエドガーさんを助けたのは、とてもお世話になったからです。リナさんにお礼を言われることじゃないですよ。それにリナさんだって目の前で怪我した人がいたら助けるでしょう?」
「それでもじゃ。──まぁこれで2人とも目を覚ましたから、今晩こそ祝いの宴じゃな。沢山食って、精を付けるんじゃな。とは言え、丸一日以上何も食っとらんのじゃ。胃に優しいものを用意してやるからちょっと待っとれ」
数分後、温かいスープを持ってきてくれた。野菜がトロトロに煮込まれており、いつ目が覚めてもいいように作ってくれていたことが分かる。
食後【巡廻】をしてもらい、からだの調子を整えがてら家の周囲を散歩する。
家の裏には大量の木が置かれていた。
少し歩いただけで動悸が激しくなり、疲労感がこみ上げてくる。
初めてのマナの欠乏を噛み締めながら、太陽の眩しさに目を細めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
午後からは家でリナと話をする事にした。
エドガーの様子も気になったが、夜の宴で会えるだろうし、気を遣わせることになるのは不本意だ。
何より、狩りのときに気になったことを早く訊きたかったのだ。
「魔法について、幼い頃から身に付けようとすると、病気に罹りやすくなったりしませんか?」
「お前さん、本当に鋭いのぅ。その通りじゃ。15を過ぎてから練習を始めるのも、それ以前に魔法に慣れてしまうと、病でコロリと逝くことがほとんどじゃ。魔法で神童と呼ばれた者なんざ、直ぐに大病しておっ死んじまう。──何か心当たりがあるのかの?」
「狩りで魔核を見せてもらいました。心臓の脇に在るのですね。マナを使う際の感覚的にも、おそらくヒトも同様でしょう──。ちょうど隣に胸腺が在ります」
野鳥や猪を解体した時を思い出し、元の世界で見た人体模型や解剖図に照らし合わせる。
「胸腺とは病に対しての抵抗力を育てる器官で、成長とともに役割を終えて小さくなっていきます。胸腺が小さくなり始めた頃から魔核が成長し始めると、互いの大きさが入れ替わるだけなので問題ないのが、魔核の成長が早すぎると、胸腺のはたらきが阻害されてしまうのではないかと」
「なるほどのぅ。さすが“渡り人”と言ったところじゃな。知っての通り【回復魔法】は当人の治癒力を活性化させるだけじゃ。当人に病に対する抵抗力がなければ、【回復魔法】が役に立たんのも道理じゃて」
得心がいったようで頻りに頷く。
「もう一点、【回復魔法】の効きやすさについて、同程度の怪我の場合、若い方が早く治りますよね?」
無言で首肯される。
「同じ年齢でも、見た目が若々しい方、活動的な方、過去の負傷歴が少ない方が治りが早くありませんか?」
「うむ、その通りじゃ。ワシらは魂の年齢と呼んでおるんじゃが、これが寿命を迎えると、【回復魔法】を受け付けんようになって、直に死に至るようになる。ワシもこの通りじゃ、遠くない内に迎えが来よるわ」
「長生きしてくださいね。お世話になるばかりで孝行出来ていませんから。──今日からお風呂の準備は私がしますよ」
話を切り上げ、重い身体を引きずり、薪割りと湯の準備をしておく。
宴の後、火を焚けばすぐ風呂に入れる状態にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
風呂の下準備が出来たときには日は傾き、一日の労働を労う風が優しく人々を撫でていた。
村の中央にある教会に三々五々、人々が集まり始めていた。
「トモーさーん、お婆ちゃーん。準備できたよー」
料理の手伝いをしていたリズが呼びに来てくれた。
肩を貸すと申し出てくれたが、散歩できるほど回復しているからと断ると、リナが支度していた料理を持っていくように、御遣いを頼まれていた。
目元に輝いていたのはきっと汗だろう。
教会前の広場には即席のかまどが作られ、分厚い鉄板が準備されていた。
猪はさらに解体され、部位ごとに下拵えが進められている。
「おぅ、トモー。一人で歩いて大丈夫か? リズを遣いにやっただろう?」
火の番をしていたダンが見付けて声を掛けてくれた。
「大丈夫ですよ。ありがとうございます。猪は丸焼きじゃないんですね?」
「お祭り感が強くなっちまうからな。来週にでも収穫祭が行われるから、派手にやるわけにもいかねぇ。なんせ収穫祭は誕生祭も兼ねてるからな」
普段の豪快さからてっきり丸焼きと思い込んでいたが、繊細に考えることもできるのかと感心した。
「どなたかのお誕生日なのですか?」
「トモーの生まれは違うのか? この村のほとんどは先月くらいから今の時期が誕生日になるから、まとめて祝っちまうんだ。そこで盛り上がっちまうから、また同じ時期の誕生日が増えるんだぜ。寒くなると肌を重ねることも増えるしな」
前言撤回。ゲスい顔と、その手をやめろ。子どもたちが見ているぞ。
「中にリザとエリックがいるぞ。娘を連れて神様へ報告してる。2人ともトモーのことを大層気にしてたから、顔見せてやってくれ。こっちはもう少し掛かりそうだ」
鉄板に向かい直したダンに示されるまま、教会の中に足を踏み入れる。
教会に入るのはこの世界に来ることになった修学旅行以来。
それ以外でもやはり観光地としてしか入ったことはなかった。
中は宗教画も聖人の像もない。
入り口の扉から延びる通路の両脇に長椅子が並び、突き当たりには講壇が立つ。
講壇の奥には、鳥が翼を広げた姿をモチーフにしたような、十字架が飛翔していくような像が据えられ、その上には採光用の窓にステンドグラスが填められていた。
日の高い時間であれば、色とりどりの光が降り注ぎ、荘厳な風景に化すと思えた。
講壇の前では、エリックと赤子を抱いたリザが頭を垂れて祈りを捧げていた。
「おめでとう」
驚かせても悪いかと思い、気配を殺すことなく進み、気付いてくれたところで声をかける。
「トモーさん。その節は大変お世話になりました」
「エリック。お世話になったのはこっちの方だよ。エドガーさんにも君にも沢山学ばせてもらった。可愛い娘さんだね」
「それもトモーさんがリザのいた森にいてくれたからですよ? トモーさんがいなければ今頃僕は独りぼっちだった」
「皆生きている。それで良いじゃないか。そんなことよりも主役がいつまでもここにいて良いのかい?」
エリックたちを促してやる。美味しそうな匂いが辺りに立ち込め始めたからだ。
「すみません、先に行きます。トモーさんもしっかり楽しんでいってくださいね。麦酒も出ますから!」
「ああ。せっかく一緒に狩りに行ったんだ。ありがたく頂くよ。今日という日に感謝してからね」
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