第3話 話し相手がいると物語は進む

 眩い光に包まれた後、目を開けるとそこは森の中だった。人陰はなくなっていた。

 手にはいつの間にやら分厚い本が握られており、これが手引書だということがなんとなく解った。


 助言どおり手引書に目を通すため、落ち着ける場所を探して周囲を見渡すと、今立っているこの場所がちょうど良さそうであった。

 老木が倒れ、ぽっかりと空いた樹冠から日が射し込み、日が落ちるまで幾ばくかの時間があると思えた。


 ゴブリンやドラゴンの棲息する世界と言っていたことを思い出し、周囲の気配を探ろうとするが、生まれてこの方、荒事の経験なんてないのだ。

 襲い来る気配なんて分かろう筈もなく、諦めつつも与えてくれたという加護に期待しながら倒木に腰を掛ける。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 

 手引書に一通り目を通す間に日はだいぶ傾いており、日の周りが早いことも体感できた。


 服装は飛行機に乗ったときと同じくスーツ姿だった。胸ポケットに入れていたボールペンや、引率の腕章は無くなっていたし、パンツのポケットも何もなし。

 手引書にあるまま、用意されていた旅装に着替えた。

 革靴で森を歩くのは億劫だったのでちょうどよかった。


 一連の着替えで【収納】の出し入れを行ったが、マナや魔核なるものの実感はなかった。

 別世界・野生環境といった非日常が、少なからず感情を昂らせているからだろうか。

 些細な体内変化を感じ取る程の余裕はなかった。


 【収納】の使用と対象物を意識しながら、取り出す動作で物が出てくるときには驚いた。

 しまい込むときには【収納】を意識するだけでできたので、出し入れの際の相違点は要検証か。

 マナ、魔核とともに確認すべき点は多そうだ。


 もしやと思い、腕章やスマホ、筆記具など機内に持ち込んだ覚えのある物を意識して【収納】から取り出そうとしたが、案の定何も出てこなかった。

こちらは完全にロストしたようだった。


 【着火】や【発光】は何かを呼び寄せてしまうかもしれないのでひとまずおいておき、【地図】の確認をする。


 見渡す風景を、瞼を閉じた状態で脳裏に浮かべる。直近の短期記憶だ。ここに俯瞰視を意識すると平面図への落とし込みとなる。

 それくらいは普段から出来ることだから、【地図】の効果ではないだろう。


 あらためて周囲を見渡し、五感をフル稼働させる。

 目で見える情報に加え、匂い、音、風の流れ、地面の起伏、温感や冷感を意識していく──生態観察など、フィールドワークをするときの“感察”だ。

 木々の葉が擦れる音、鳥の囀り、水の流れる音…。

 地面に僅かながら傾斜を感じるから川で間違いなさそうか。

 森の中の肌寒さを感じつつ今一度深呼吸をし、深緑と腐葉土ほのかな水気の匂いを吸い込んだ。


 再び【地図】を意識すると今度は立体的にイメージが脳裏に浮かび、自分のいる位置が分かった。

 先程はなかった川が追加され、囀りの音源と思しき位置に光点が現れた。


 【地図】の再現の仕方として、視界の隅に地図が現れるのも覚悟していたが、記憶の中で地図を開いている感じだ。

 視覚情報を遮られこともなく、意識の大半をもっていかれることもなさそうだった。


 立体イメージは任意に回し見たり、接近、離隔したりすることもできた。

 立面図となるように角度を調整すると、地面の起伏から落ち葉の厚さまで分かり、実際足下の落ち葉と比較してその精度も確認できた。


 川があることが分かったので、先ずは川を目指すことにした。

 野生生物の水源となっていることは大いに考えられたが、人間の文化圏もまた水源近くに築かれるのだ。

 ここでも加護があることに期待する。

 なんだかんだ自称管理者のことを信用しきっている自分に、知らず笑みがこぼれてしまう。


 いかんな。

 このままだと独りでニヤつく怪しいヤツだ。

 早くも人肌が恋しくなってきた。

 独り言が出る前に何としても人里を見つけなくては。


 川沿いを目指して移動するべく、『木の杖』を取り出し歩みを進める。


 登場人物は2人ずつといった鉄則を生み出した巨匠に思いを馳せつつ、自らの境遇に少なくない不安を抱くのだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 薄暮のいろが濃くなりはじめ、疲労感が出てきたところ。

 川へはすぐに辿り着き、上流か下流かの二択も下流で迷うことはなかった。


 河川合流による大河の形成も、海への流入も下流域での現象だ。

 河川環境の拡大に伴う生態系の充実は、人間に齎す影響もまた大きいのだ。

 自然と集落は下流に集まりやすい。


 反面、上流とは標高が高い──つまり山へ入って行くことになる。

 肉や毛皮などの動物資源、木材や山菜などの植物資源、鉱石や原石などの鉱物資源は期待できるが、そもそも森に人の手が加わってないのだ。

 森を拓かずに山に集落など期待できるはずもない。

 人がいたとしても、より上流の清流を求める人か世捨て人だろう。

 修行がしたいわけではない。


 下流に歩を進めると、程なく踏み均された道に行き当たり、人里への期待が高まる。

 【地図】には森の終わりが見えていた。

 森の外まであと一息。

 水筒の水で軽く喉を湿らせ、逸る気持ちを抑える。


 道中思い至ったことは、この森の素性が判らないこと。

 野盗の潜む無法地帯なのか、または有力者の私有地なのか。

 つまりこの森で遭遇する人物は善人とは限らないし、こちらが不作法を働いているかもしれない。


 当たり障りのない地域と言ってはいたが、だからこそ野盗は潜み易いだろう。

 地権者のいる土地であれば、不法侵入で裁かれてしまうかもしれない。


 見つかる前に村へ行けという指示だった可能性は否定できない。

 遭遇するならするで、可能なら相手より先に発見して、接触するかどうかを選びたいものだ。

 加護ニ期待シテイルワケ、ナイジャナイデスカー。


 深呼吸をし五感を研ぎ澄ませ、気持ちを入れ直す。


「───ッ!!」


 女性のものと思われる悲鳴が聞こえた。

 すぐさま【地図】を確認すると、20m程だろうか、道を外れた先に音源を示す光点が現れていた。


 音源の方向を意識して耳を澄ますと、光点の周りに2つ、新たな光点が出現した。

 女性と思われる光点に対して、2つの光点はジリジリと近付いていく。


 まさかの懸念事項実現か。決断のときは思いの外早くきた。加護を疑うんじゃなかった!


 野盗のお勤め現場だろうか。

 地主婦人の災難現場だろうか。

 一目散に逃げ出すか。

 標的を此方に変えてくるかもしれない。

 此処まで歩いてきた疲労、元来の体力を考慮すると追いかけっこは避けたいところだ。


「─────!!」


 迷っている間に再び女性の声。と、ともに大気が震えた気がした。

 先のとは別人だったのか、女性の光点の脇に光点が1つ増える。


 2対2、自分も加われば3対2で有利に進められるかもしれない。

 そもそも助太刀が必要ないかもしれない。

 そう思うと少し気が楽になった。


 困っている人は助けるように育ってきたが、現状困っているのは此方だ。

 それでもただ素通りするのは気が引けた。

 損な性分かなとは思いつつも、近付いて様子を伺うことにする。


 なるべく物音を立てないように気遣いながら、道を逸れ茂みをかき分けていく。

 見えてきたのは蹲る女性と、庇うように立ちふさがる十代半ばの少女だった。

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