第5話

【一日嫁】


五話


 変な空気になったし、当事者である自分でも驚く話なのだが、過去の彼女はどうやら俺の事が好きだったらしい。

 そんな話を聞かされてドギマギが収まらない中、奴とのデートはまだ続いていた。そして今、飯屋の書かれている看板の前でどれを食べるかを決めている最中である。

「私、肉食べたい!」

 彼女が一番恥ずかしかったはずなのに、今では忘れたかのようにケロッとして脳天気なことを言い出した。

 なら、俺も変わるって決めたんだし、さっきと変わらずに普通で居てやろう。

「まあ、お前らしいといえばらしいな」

「むぅ……太ってるって言いたいの?」

「肉食系ってやつだろお前。ん? 太ってるのか?」

「は、はぁ!? 全然! これっぽっちも太ってなんかないし!」

「必死だな……ま、いいや。じゃ、ステーキとかにするか?」

「おー! 太っ腹!」

「このデブが」

「はぁぁぁ!? どこがだし!」

 ガミガミ言う奴を横目にステーキ屋さんのある一階へと降りてきた。カップルはよく見るけれど、傍から見れば俺らだってそう見えるのかな。

 まあ、誰がなんと言おうが俺とこいつの関係など一日嫁以外の何物でもないし? 独り身の人に凄い目で見られたとしても関係ない。関係ないのだ。

「で? 肉原さんは何を食べるの?」

「そろそろやめようね? ぶん殴るよ?」

 拳を携えてニコッと彼女は微笑んだ。

「ま、まあ、胸もないし脂肪なんてないよな!そうだったそうだった!」

「……ふ、ふふ……ふふふふ」

 急に奴は肩を揺らしながら笑い声を上げ始めた。

「な、なんだ?」

 彼女がなんで笑ってるのかはさっぱり分からねえが、ひとつ分かってることがある。これはさっきよりもまずい状況になってしまったという事だ。どうヤバいかは分からねえが、とにかく身の危険を感じる。

 彼女はほとんどノーモーションでベルを鳴らすと、店員さんが飛んできた。

「ご注文は……」

 そんな店員さんの言葉を遮るように「これ一つ」と、彼女は呟いてメニューを指さす。写真ですら一際大きいのがよくわかる大きさのステーキ。多分、この店の最大サイズだろう。値段も普通のものと比べて三倍。化け物だ。

「胸のサイズだけが戦力の決定的な差ではないことを教えてやる」

「う、漆原……謀ったな?」

「君はまだ若すぎる」

 財布の中身、散る。


****


 奴に連れられるように俺はやつの後ろを呆然と歩んでいく。なんで俺こんな所にいるんだっけ?

「どーしたの? なんか暗くない?」

「なんでだろうな……」

 あんなに食べたのに平気なのか。こりゃ今度どっか行くってなったら食べ放題だな。じゃないと俺の財布が持たない。いや、もう行かないだろうけど。

「あ、そうだ! ひろ君の服見たげる! さっきご馳走になったし!」

 彼女は急に立ち止まり、こちらに振り返って嬉々とした表情を見せる。

 ……本当に変わらない。昔と同じいたずらっぽい笑顔に俺は見蕩れていた。

「なに? どーしたの? 早く行くよ!」

「……え、う、うん……」

 それからは着せ替え人形のように扱われた。そして奴がいいと言ったものは買う。気に入らないものは買わない。俺の意見なんて全く聞いてなんかない。全く、どのお嬢様だよ……

「ほら! 持って持って!」

 両手に紙袋を沢山持ってるやつから押し付けられるように渡された。

「お、おう……って、重! どんだけ買ったんだよ……」

「別にいいのよ! 次からは旦那にこんな恥ずかしい格好して欲しくないしね!」

「次があるのか……もう勘弁して欲しいんだけど」

「ダメだよ! 私と手を繋いでデート出来るようになるまではずっと一緒だからね!」

 そう言って彼女はニッコリと笑ったが、すぐに顔を赤く染めた。どうやら自分で言って恥ずかしくなっちゃったらしい。

「ち、違うよ!? ひ、ひろ君のためにだからね?」

「……へいへい。わかってますよ」

 奴に背を向けて、駐車場の方へと向かっていく。背後に女が居るというこの状況は芳しくないが、なぜだか背筋が凍る感覚が薄いような気がする。

 怖くない訳じゃない。だけど、なぜかちょっとだけ。ほんのちょっぴりだけ肩の力がぬけていた。


****


「はぁ……疲れたぁ……」

 家に帰って早々に奴はコートを脱ぎ捨てると、だらしなく腹を出してソファに転がった。でも、体型はだらしない訳ではなく、程よく絞まっていて白く澄んだ肌が童貞には眩しい。

「は、腹出てるぞ」

「ん? もっと見たいの?」

「だ、誰がそんなこと……」

「ほらほら~」

 そう言って奴は座り直すと悪魔のような頬笑みを浮かべて、ブラウス裾に手をかけ、悪戯に微笑んだ。

 くそ! 童貞だと思いやがって! という思いとは裏腹に鼓動が高鳴り、ごくりと唾を飲み込む。

「や、やっぱやめた! ほら、早く服しまうよ!」

 奴は頬を赤く染めて、俺が持っていた紙袋半分を持っていく。

「……あ、おい! 俺の部屋には入るなよビッチ」

「はぁ!? 奥様に向かってビッチ呼ばわりですか? 旦那様?」

「俺は結婚した覚えなどない。ソファで寝てていいから少し待ってろ」

「え?」

「夕飯作るのは面倒だろ?」

「それは……」

「その……なんだ。お前にだって休みは必要だからな」

奴は何も言わずにキョトンとした顔でこちらを見ていた。

「そ、それじゃまた後でな!」

部屋に駆け込むとドアを閉め、片付けを始める。

「……優しいんだね。ひろ君は」

「なんか言ったか?」

「ううんっ! 別になんでもないよっ!」

 彼女は嬉しそうに言って、軽い足取りでドアの前から去っていった。

「……優しさなんかじゃないっつの」

 それから片付けを済ましリビングに戻ると、やつは気持ち良さげに眠っていた。

「永眠してればいいのに」

「それは酷くない!?」

「なんだ。起きてたのか」

 そう答えながらキッチンに入り、冷蔵庫から水を取り出し飲む。

「そりゃそうだよ。寝てる間に悪戯なんてされたら困るしね!」

「はっ!なんでそんな面倒くさそうなことしなきゃいけねえんだよ。出来れば視界にすら入れたくねえ」

「そう……だよね」

 やつの声音にいつものような迫力はなく、捨てられた子犬のような虚ろな瞳をしていた。

 この目を俺は昔も見た。今とは違うが前も同じような言葉を投げた。

 あれは小学校高学年に上がりたての時のことだ。小さな小学校とはいえその年もクラス替えがあり、奴にまた一緒だね! なんて明るく声をかけられた。

 それに気分が高揚したのはよく覚えてる。でも、あの時俺はこの気持ちを恥ずかしさを隠そうと「うぇー。お前なんかと一緒になんてなりなくなかった」と、心にもないことを彼女に言ったんだ。

「ご、ごめん。私今日ご飯いらないや。ごめんね」

 そう言って彼女は奥の部屋に去っていった。

「……本当に俺は変わってねえな」

 でも、変わるって決めたんだ。自己嫌悪してる暇なんてない。きっかけはくやしいが奴が与えてくれた。人と関わることなんて大っ嫌いだが、少しくらいなら。せめて奴のために立ち上がらなければ。

 やつの駆け込んだ部屋のドアをノックすると、「空いてるよ」と、弱々しい声が帰ってきた。

 入ると奴はニコニコとしていたが、どこか元気がない。

「あはっ。どうしたの?」

「……そのさっきは言い過ぎた」

「うん? なにが?」

「そのつまりだな。し、視界にくらいは入れてもいいかなって……」

 頬が熱くなるのを感じながらも奴に目をやると、ニヤリと悪い顔をしていた。

「と、とにかく! そういうことだから!」

 逃げるように部屋から出ると、自分の部屋に戻ると、恥ずかしさのあまりベットに潜って反省会だ。

 自分の無能さを体感する。小学校低学年程の子供ですら『ごめんなさい』が言えるのに、いい大人が自分のやったことに責任が持てずにこうも四苦八苦してるのは馬鹿らしい。自分でだってそんなのよくわかってる。でも……

「はぁ……全く、しょうがないなぁ」

「な、なんで入って……!?」

 、ドアの方を見ると、奴は俺の部屋にズカズカと入ってきていた。

「なに?なんで?」

「まだ聞きたかった事聞けてないから」

「……全部お見通しってか?」

「まあ、そんなとこ!」

彼女は笑って言った。

「……その、悪かったな」

「いえいえ!元はと言えば私が悪いんだしね!」

「いや、俺も悪かったよ……さっき、思い出した。昔もこんなことあったなって」

「あー……あはは」

彼女も多分思い出したのだろう。なんとなくだがそんな気がする。

「だから、もう昔のことは忘れないか?」

「……それは嫌かな」

その答えに俺は驚きを隠せなかった。

「な、なんで?」

「なんていうか……昔が無ければ今みたいにはならなかったと思うから……嫌だ」

そんなタイミングで、横に住む住人の激しい物音に彼女の声がかき消される。

「……ん?なんだって?よく聞き取れなかった」

「むぅ……絶対にあの時みたいに言わせてやるんだから! 覚悟しておく事ね!」

「ん?何の話だ?」

「知らない! それよりお腹減った!」

「……まあ、そうだな。飯行くか」

「うんっ!」

話はウヤムヤになってしまったが、これでよかったような気がする。


****


「もう遅いしラーメンでもいいか?」

「えー?」

少し嫌がってるように思えたが、十時を回ったこの時間までやってる店などはほとんど無く、ラーメン屋と牛丼屋、あとは飲み屋くらいなもんだ。

「お前ってさ、酒飲めるの?」

なんとなく車で飲み屋の前を通ったので気になり、訊いた。

「うーん……苦手だと思うよ」

「お前も酒は無理か」

「お前もってことはひろ君も?」

「そうだな。苦手だ。あの後味がな……」

「それわかる!一体何が美味しいんだろう?みんなむっちゃくちゃ美味そうに飲むけど」

「俺らお子様にはまだ、世間一般で言うところの大人の味ってのは向かないんだろうな」

「なんか馬鹿にされてるような気がする……」

「親しみを込めた最大の同意だろ?」

「親しみ……ね。そりゃどうも!」

そんな会話をしていると、そこからすぐ近くのラーメン屋さんに着いた。よくある横浜家系の店だ。

「ここ?」

「あぁ……なかなかに美味いぜ」

「いらっしゃい!」

中に入ると厨房にいた白髪の目立つ店主が威勢のいい声で出迎えてくれた。

店に入るとラーメン屋によくあるあの足元がヌルヌルしてる現象に襲われつつも席に着く。夜だからかカウンターに一人二人程度であとは誰も居ない。

「家系ラーメン大盛り、麺硬めで」

「……私もそれで」

「はいよ!」

まあ、今日の昼の出来事からして大盛りくらいペロッと食べてしまうだろう。

「やっぱり深夜のラーメンは別格だな……明日も休みだし気兼ねなくニンニクも入れれたし」

「……悔しいけど美味しかった」

奴はむくれながらも言った。

「満足したなら何よりだ」

会計を済まして車に乗り込むと、やつも俺も何も発さなかったが、悪い気分ではなかった。

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