第438話

 恐ろしいことに、これが夏休みに入ってからの『僕』の日常だった。

 今朝もレオタードのメイドさんにコーヒーを淹れてもらう。

「朝からお兄さん先輩とこうして過ごせるなんて……ヒナ、幸せですの」

「うん……でもその幸せに、レオタードは必要かなあ?」 

「本当にいいんですか? お兄さん。レオタードを着てもらえなくなっても」

 ついに恋姫も諦めたようで、エロゲーじみた早朝の光景を受け入れてしまった。

 ちなみに易鳥は恵菜とともにケイウォルス方面へ撤収。

 やっと里緒奈が洗面所から戻ってくる。

「おはよ、お兄様っ」

「おはよう。長かったね、髪のセット?」

「トーゼンでしょ? 寝起きのカオなんて彼氏に見せられないもの」

 先日『僕』との交際が始まった、恋人ならではの台詞だ。

 その言葉通り、顔つきや髪に抜かりはない。

 今朝も大きな寝癖をアホ毛にしている美香留が、きつね色のトーストを食む。

「もぐもぐ……里緒奈ちゃんもおにぃの正式な恋人になったんだっけ。で……その彼氏彼女って、具体的にどんなことするのぉ? やっぱ今までとは違うんっしょ?」

「えええ~? それ聞いちゃうわけ?」

 『僕』の恋人は嬉し恥ずかしの表情でクネクネし始めた。

「そりゃあ、晴れて『彼氏と彼女』の関係になったんだし? お兄様を満足させてあげるのが、リオナの義務……ううん、ハッピーっていうの?」

 恋姫と菜々留がぴくっと反応する。

「あーでもぉ、みんなにはちょっと早いかもねー? リオナとお兄様の関係はぁ、オトナの男女の関係でもあるわけで……そんなに聞きたい? 聞きたい?」

「ミカルちゃんは別に……」

 美香留は呆気に取られるも、里緒奈の自慢は止まらなかった。

「でっしょー? まあ興味あるのはわかるけどぉ、お兄様のプライバシーにも関わることだしぃ? みんなも頑張ってね、としか言えないのよねー」

 バキッ、と何かが割れる音がする。

 いつぞやのように、また菜々留が握力ひとつでカップをだめにした音だった。ファンタジー編だとパワータイプの女の子なのかなあ……。

 穏やかなはずの笑みに青筋が浮かぶ。

「里・緒・奈・ちゃ・ん? もしかして調子に乗ってるのかしら?」

「ひいっ!」

 お調子者の恋人は情けない悲鳴をあげ、ソファーの後ろへ。

 恋姫も鋭い視線で裏切者をねめつける。

「抜け駆けはなしって言い出しの、あなたよね? SHINYのセンターさん」

「ナナル、そろそろセンターを交替すべき時期だと思うの」

「あっ、それ! ミカルちゃんセンターやりたい!」

 三対一で追い詰められながらも、里緒奈は必死に弁明を続けた。

「い、いいじゃない! 遅かれ早かれ、お兄様とはこうなってたんだし? 菜々留ちゃんと恋姫ちゃんだって、もう攻略寸前でしょ?」 

「そ、それは……」

 攻撃ターンのはずの恋姫が口ごもる。

「むしろ攻略するのは、兄さんのほうだと思うけど?」

「そうよねえ。こんなことになったの、お兄たまにも責任はあるわ」

 妹の淡白なツッコミも吸収しつつ、菜々留は怒気を鎮めた。さっきまでカタカタ震えていたテーブルが、ようやく静止する。

「ええと……僕に?」


   悪魔「言葉は慎重に選べよ? 死ぬぞ」

   天使「ここで『無責任』な発言をしようものなら、死ぬね」


 わかっているからこそ、『僕』はごくりと固唾を飲んだ。

 菜々留が内緒話のように唇に指を添え、『僕』にだけウインク。

「ナナル、いいこと思いついちゃったわ。この件はあとでね? お兄たま」

「う、うん……」

 一方で恋姫は頭を抱え込む。

「ま、また出遅れたじゃないの……これじゃ、レンキが最後に……!」

「恋姫ちゃん、がんばっ! ミカルちゃんも応援してるから」

 その一部始終を、妹は馬鹿馬鹿しそうに眺めていた。

「ファンが知ったら泣くわよ? これ」

 『僕』はプロデューサー失格。

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