第432話
しかし大会のレギュラー陣はやはり真剣みが違った。
とりわけ一年の特待生、菫(すみれ)は25メートルを泳ぐたび、表情を曇らせる。
水泳部のコーチとして、そんな彼女を見過ごすわけにはいかなかった。
「あまり根を詰めるの、よくないぞ? 菫ちゃん。僕がいる時なら、いつでもプールで練習できるんだからさ。それこそ怪我なんてしたら、大会も……」
「すみません。わかってはいる……つもりなんです」
里緒奈たちも心配そうに見守っている。
「Pクンの言う通りよ。なんか見てて、危なっかしいってゆーの?」
「大会が近いから、とにかく練習したい気持ちはレンキにもわかるんだけど……」
マーベラス芸能プロダクションにも、こういった悪循環に陥るアイドル候補生は少なくなかった。結果を出さなくてはならない、そのために練習する、でも伸びない――。
この場合は闇雲に練習を続けるよりも、距離を取るべきなのだが、それで納得できる者もそういない。チャンスを喪失するように感じるからだ。
コーチの立場で『僕』が休息を指示しても、菫は反発するだろう。
(う~ん……どうしたものかなあ)
対応を決めあぐねていると、妹がさり気なしに提案する。
「いっそ思う存分、練習させてあげたら? 兄さんの十八番の魔法で」
「え? 魔法、魔法……」
「アレよ。恵菜が使ってたようなやつ」
魔法少女の名前でピンと来た。
水泳は自分との戦い――ならばこそベストな練習相手がいる。
「どうかな? 菫ちゃん。伸び悩んでるっていうなら、練習方法を変えてみるのは」
「何かアイデアがあるんですか?」
「任せてよ。思いっきり練習させてあげるからさ」
お得意の魔法で『僕』は菫の全身にスキャンを掛けた。……べ、別にスリーサイズを更新してるとかじゃないぞ? Aカップなのは間違いなさそうだけど。
そしてスキャンした情報を、彼女のすぐ隣で再構成。
同じ顔立ち、同じ体格、同じスクール水着(水泳部用)の菫がもうひとり並ぶ。
「あらまあPくんったら。こうやって3Pまで楽しもうだなんて」
「魔法で増やさなくても、昨晩だって菜々留ちゃんと恋姫ちゃんでサンドイッチ……」
「答えなくていいですから! 練習!」
自分の分身の登場に菫は呆気に取られていた。
「あ、あの……コーチ? これは」
「練習相手だよ。実体じゃないから、ぶつかる心配もないぞ」
分身は黙々とプールへ入り、練習を始める。
その泳ぎはいかにも作業的だが、確かな速度があった。
それを視線で追いながら里緒奈が呟く。
「なんか早送りで流れてる感じ? かなりのスピードよね? あれ」
「菫がベストコンディションなら、あれくらい出せるのよ。あの分身は筋力もフォームもすべて菫そのものなんだから」
美玖の説明に、はっと顔色を変えたのは恋姫。
「ま、まさかP君……レンキたちの分身を使って、夜な夜な変なことを……」
「毎晩お風呂で女の子と一緒なのに、そんなことしないってば! あと、あの分身に実体はないって言ったよね?」
「本当は実体つきの分身も作れるんでしょう? うふふ」
「どっちから突っ込めばいいか、わからないわ……」
妹の苦悩はさておき。
菫は顔つきを引き締め、手強いはずのライバルを見詰める。
「あの子はずっと泳いでるんですね」
「ビデオを再生するようなものだよ。映像だから疲れることもないしね」
水泳部の面々も見守る中、一年生のエース同士で対決が始まった。
分身に重なるように、本物の菫もプールへ飛び込む。
「さっすがP先生! こんな練習もできるんだ?」
「頑張れー! 菫さん!」
菫の不調については水泳部のメンバーも心配していたらしい。
菫は華麗なフォームで水面を駆け抜けていった。
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