第400話
改めて恋姫は椅子に腰を降ろし、ぬいぐるみの『僕』を睥睨する。
「わかりました、信じてあげます。ご用件は?」
冷たさが三割くらい増したなあ……あと二割で美玖と同じブリザードが発生するぞ?
などと『僕』は躊躇いながらも、恋姫に質問を投げかける。
「少女漫画に詳しい恋姫ちゃんに、参考までに教えて欲しいんだ。えっと、その……実際の話、一目惚れってあるの?」
「あります」
即答が返ってきた。百人一首の名人のごとき反射速度で。
恐る恐る『僕』は彼女に確認を取る。
「で、でもさ? それって、見た目で判断したってことじゃないの?」
「何も外見だけで恋に落ちるわけじゃありません」
「まあ初対面でも、少しくらい喋ったりはするだろうけど……」
「……はあ」
今度は大袈裟な溜息で呆れられてしまった。
恋姫が珍しく頬杖をつき、『僕』に講釈を垂れ始める。
「いいですか? 一目惚れというのは直感なんです。このひととなら絶対幸せになれるって、わかっちゃうんですよ。女の子は」
こ、これはロジカルな意見……なのか?
そんな『僕』の不安をよそに、恋姫は大真面目に続ける。
「P君は男の子だから、わからないかもしれませんが。女の子にはあるんです。第六感でもなく……そう、いわば第七感が」
「それは少年なら誰でも持ってる、心の翼じゃないかなあ」
「翼があるのも女の子じゃないですかっ!」
これは相談する相手を間違えた。
「は、話を戻すよ? じゃあ一目惚れしたとして……でも、そのあとで相手に幻滅して、冷めることはあるよね? それでも直感が働いたわけ?」
「それはそもそも一目惚れじゃありません。ただの勘違いです」
臆面もなく言いきったぞ、この恋愛悩……。
と思いきや、恋姫が穏やかな調子で『僕』に言い聞かせる。
「要するに……恋愛の形はひとつじゃないんですよ。長い年月を掛けて醸成していく恋があれば、一瞬で落ちる恋もあって……男の子には難しいでしょうけど」
「恋姫ちゃんは男子を何だと思ってるの? 毛虫?」
「頑張って蝶々になってくださいね」
有栖川刹那の影響かもしれないな、この男性アレルギーっぷりは。
「とにかく一目惚れを安易に否定しないでください。一目惚れだって恋なんです」
「う、うん……」
釈然としないものを感じながらも、『僕』は頷いた。
恋姫の意見は極端かもしれない……が、わかる部分もある。
本気の恋なら、出会ってからの時間など意味がないということだ。たとえ人間の『僕』と里緒奈の出会いから、まだ二ヶ月しか経っていなくても。
ふたりの関係はこれから一年、二年と続いていく可能性もある。
それに、ぬいぐるみの妖精さんとしてなら、『僕』は里緒奈と長い年月をともに過ごしてきたわけで。
里緒奈の純朴な気持ちを疑うのは、やめることにした。
「ありがとう、恋姫ちゃん。参考になったかも」
「お礼には及びませんよ。レンキもまあ……いえ、忘れてください」
ぬいぐるみの『僕』は恋愛マイスターに頭を下げ、その部屋をあとにする。
恋姫は溜息を漏らしつつ、呟かずにいられなかった。
「また抜け駆けってわけね。里緒奈は……まあ菜々留にせよ、レンキにせよ、一度はぶつからなくちゃいけないことだけど」
彼へのこの気持ちも、一目惚れから始まっているのかもしれない。
☆
懸念の通り、あれから里緒奈とはギクシャクしている。
「あれ? 里緒奈ちゃん、もう起きたの?」
「う、うん……なんだか目が覚めちゃったってゆーか」
とはいえ『僕』がぬいぐるみに変身している分には、お互いに楽だった。
「……ほんと、Pクンを見るたび目が覚めそうになるわ……はあ~っ」
「なんかわかんないけど……ごめん」
すでにメイドの陽菜が寮に来て、朝食を支度してくれている。
「おはようございますの、お兄さん先輩。里緒奈さんも」
「おはよう。今日から期末試験だね、陽菜ちゃんも頑張って」
「はいっ! うふふ」
ちなみに陽菜の成績は中の中といったところ。赤点を取る心配はないだろう。
一方で、デンジャラスゾーンの美香留は四苦八苦。
「おにぃ~! ミカルちゃん、こんなの無理!」
「わかってるよ。美香留ちゃんの場合は、転入していきなりの試験だからね。そこはS女も理解してくれてるから、美香留ちゃんのできるところまで頑張って」
「そ、それを先に言ってよぉ~」
先に教えたらダラけるのがわかっていたので、黙っていた。
「まあ万が一、赤点を取っちゃっても、補習がお仕事や旅行に被らないように調整はするからさ。菜々留ちゃんも恋姫ちゃんも肩の力を抜いて、ね?」
「結局、補修は免れられないのね……」
「赤点を取らなきゃいいだけのことでしょう? しっかりしなさいったら」
安全圏の恋姫は余裕で今朝のコーヒーを呷る。
「里緒奈はどうなのよ? 調子は」
その問いかけに里緒奈が反応するまで、五秒ほど掛かった。
「え? えぇと……ごめん、聞いてなかった。何の話?」
「期末試験よ、期末試験。あなたもヒイヒイ言ってたじゃないの」
「う~ん……やっぱダメかも? あはは……」
今度は取り繕うような空笑い。
おそらく恋姫や菜々留は里緒奈の不調に気付いているのだろう。しかし直接は聞かず、試験科目などの話題で間を繋いでいく。
妹の美玖もゲートを経由し、合流した。
「おはよう、みんな。変態」
「その変態って僕のこと? ねえ?」
キュートと同一人物とは思えない、この辛辣さ。ただ、今はキュートにベタベタされるより、美玖に冷たくあしらわれるほうが安心する。
(里緒奈ちゃんの前で、ほかの女の子とキャッキャしちゃいけないよなあ……)
水泳部も試験期間中は活動がないので、『僕』がスクール水着の女子高生と進展する心配もないか。ほんと、モテる妖精はつらいよ。うんうん。
「うへへ……」
「ほんっと、リオナ……どうしてこんな珍獣に……」
薄ら笑みを浮かべる、ぬいぐるみの『僕』と。
さめざめと両手で顔を覆い、うなだれる里緒奈。
ひとりだけコーヒーではない美香留が、牛乳をぐいっと飲み干す。
「里緒奈ちゃん、なんか昨日から変じゃない? どったの?」
「試験で参ってるのよ、多分」
ぼちぼち登校の頃合いとなった。
SHINYのメンバー(陽菜を含む)はS女へ。
『僕』はプロデューサーの業務のため、マーベラスプロへ出社する。体育の授業も水泳部の活動もないしね……ハア。
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