第398話

 しかし里緒奈は一言も口にせず、ずっと神妙な面持ちでいる。

「里緒奈ちゃん? どうかしたの?」

「あ……えぇと、うん。Pクンに聞きたいことがあって」

 『僕』は彼女とともに階段の踊り場で足を止めた。

 ほかの面子は『僕』たちに気付かず、さらに下へ。S女は授業中のため、階段は『僕』と里緒奈のふたりきりとなる。

「僕でよければ相談に乗るよ。何かな?」

「うん。あの……あ、あのね? Pクン……ううん、お兄様は……」

 里緒奈は視線を泳がせたり、親指を捏ねたりしながら、やっとのことで口を開いた。

「今日の収録で思ったの。お兄様って、SHINYのことすごく大事にしてくれてて……だから今日もリオナたち、最高のお仕事ができたのよね?」

 いつものように『僕』は答える。

「僕はサポートしただけだよ。今日の大成功は、みんなが頑張ってきた成果さ」

 何も格好つけたつもりはなかった。

 プロデューサーの『僕』はあくまで手伝いをしただけ。これは今までにも幾度となくメンバーに言ってきたことだ。

「みんな……」

「うん。SHINYの全員が、ね」

 ただ、それは里緒奈の求める回答ではなかったらしい。

 里緒奈は『僕』を上目遣いに仰ぎ、つぶらな瞳を潤ませた。

 その健気なまなざしに――どきりとする。

「ずるいこと聞いちゃうかも、だけど……SHINYとリオナだったら、お兄様は……その、どっちが大事なの……?」

 正直に答えなくてはならない。それだけはわかった。


  「どっちが大事ってことはないよ。

   僕が応援してるのは、SHINYのアイドル。里緒奈ちゃんだからさ」


 その言葉が里緒奈の、鼓動ばかりがうるさかった胸を貫く。

「……っ!」

 大事なのはひとりの女の子か、それともSHINYか。

 もし彼が自分を選んでくれたなら、それが嘘でも舞いあがった。

 逆にSHINYを選んだなら、『リオナを見て』と駄々を捏ねたかもしれない。

 しかし彼は『SHINYのアイドル』としての自分を見てくれていた。

 そのことが、自分と彼との間に絶望的なまでの距離を感じさせる。

(……そっか。だからお兄様は、いつも……)

 男の子としての彼と出会ってから、里緒奈は彼との関係にばかり気を揉んでいた。

 肝要なのは自分と彼。

 その点と点を一本の線で繋ぐことでできれば、それでよかった。

 ところが彼は、里緒奈という女の子を、さらに多くの点の中で見ている。

 周囲には菜々留や恋姫、美玖や美香留が。少し離れたところにも易鳥を始め、たくさんの人間がいる。

 里緒奈という存在は、そんな無数の点と結びつくことで、形を得ていた。

 S女の一年三組としての里緒奈。

 アイドルとしての里緒奈。

 仲良しグループの一員としての里緒奈――。

 そういった全体の一部、一部の全体としての『里緒奈』を、彼は尊重してくれている。

 にもかかわらず、里緒奈は自分と彼の関係だけを安易に求めてしまった。

 プロデューサーの彼は里緒奈という女の子の全部を大切にしてくれているのに。

 自分は彼との繋がりだけを欲し、ほかをないがしろにしている。

(最低だわ、リオナ……)

 プロデューサーとアイドルの関係に、今日ほど壁を感じたことはなかった。

 ライバルに負けてられないとか、脱落したくないとか、浅はかなことばかり考えて。

 アルバムの収録という大一番を迎えて、やっと自分の成長に気付いたくらいだ。その成長もまた、彼が里緒奈をたくさんの点と繋いでくれたおかげなのに。

 子どもじみたことをしている自分が恥ずかしい。

 それでも『彼さえ手に入れば』などという欲求を断ち切れないのも、悔しい。

「……里緒奈ちゃん? 急に黙り込んで、どうしたの?」

 これ以上は堪えきれなかった。

 里緒奈は彼を見上げ、懸命に笑みを浮かべる。

 そして、


   「リオナね、お兄様のことが好きなの。ひとりの女の子として」

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