第368話

 レオタードの股下をびちょびちょ(注:汗です)にした陽菜が、また真っ赤になる。

「ななっな、なんてことをなさいますのっ? あ、あんなことまで……っ!」

 そんな彼女に対し、『僕』は首を傾げながら

「え? 僕と一線を越えたいんでしょ? だから……」

「そうでなくてっ! キス! キスの話に決まってるでしょう!」

 それを聞いて、ようやく今までのことに合点が行った。

(ああ……そういうことか)

 里緒奈たちがあれほど積極的にアプローチを仕掛けてきたのも、目的はセックスではなくキスだから。そりゃそうだ。

 なぜ彼女たちがそこまで『僕』のキスを欲しがっているのかは、さておき。

「ごめん。その、キスは……特にファーストキスはさ? 女の子にとって特別なものだと思うから、僕も相手の唇にだけは一切、触れてないんだ」

 これが『僕』なりの線引きだった。

 夜な夜なアイドルたちとソーププレイなんぞを繰り返しているとはいえ、ボーダーラインは常に意識している。

 衝動的な欲求のために、彼女らの大切な唇を奪う真似だけはしたくない。


     天使「こいつは何を言ってるんだ……」

     悪魔「テ○キやス○タがキスより軽い、だと……?」


 そんな『僕』なりの真剣な言葉に、陽菜はしっかりと耳を傾けてくれた。

「お兄さん先輩のお考えはわかりましたわ。ヒナは……いえ、『自分』は尊重します」

 その言い回しに『僕』は、はっとするとともに確信する。

「ずっとおかしいと思ってたんだよ。さっきの分身攻撃も、実体がひとつにしては、明らかに攻撃の手が多かったからね」

「あら、お気付きでしたのね。だったら……もういいでしょう? 陽菜」

 バスルームに隠れていたらしい人物が起きあがった。

 透明のパーテーション越しにも、その顔立ちははっきりと窺える。

「騙したりして、ごめんなさいですの。お兄さん先輩……」

 目の前に今、陽菜がふたりいた。

「ご紹介が遅れましたわね。恵菜、と申しますわ」

 ふたりとも体操部のレオタードで、こちらの青いほうが恵菜。

 そして今しがた現れたピンク色のほうが、『僕』のよく知る陽菜だ。

「双子だったんだね」

 陽菜を自宅まで送った時も、確か母親が言っていた。

『芸能プロダクションでお仕事されてるかたなんですってね? 娘たちがお世話になっております! わざわざ送っていただいて……』

 娘たち、と。

 つまりSHINY寮のメイドは、双子の魔法少女。

 もしかしたら、ふたりは前々から入れ替わっていたのかもしれない。

それなら恵菜が『僕』たちのことを知っているのも頷ける。

(陽菜ちゃんのレオタードまでびしょびしょなのは……触れないでおこう、うん)

 恵菜と同じ恰好で、陽菜がベッドへにじり寄ってきた。

「お兄さん先輩は、みんなのファーストキスを大事にしてるんですのね」

「うん……誰と約束したわけでもないけど」

 そして恵菜の隣に並ぶと、四つん這いのポーズで瞳を潤わせる。

「でも! でも……ヒナはお兄さん先輩のファーストキスが欲しいんですの。ヒナ、みなさんに……SHINYのみなさんには絶対、負けたくありませんから」

「陽菜ちゃん? それって……」

 こうもストレートに好意をぶつけられ、『僕』はたじろいだ。

 里緒奈や易鳥の時は何かとはぐらかし、結論を先送りにしてきたことだ。

 関係の急激な変化に困惑し、覚悟を要するラインに差し掛かったら、あとずさる。そうやって臆病風に吹かれているくせに、相手に求められる分は、自分も求めて。

 そんな『僕』に、陽菜が一生懸命に気持ちをぶつけてくる。

「ううん、キスだけじゃなくて……さっき恵菜にしたみたいに、ヒナのこともいっぱい、気持ちよく……してくれませんか? お兄さん先輩……」

 さらに隣の恵菜まで。

「サ、サポートくらいならしますわよ? エナ、今しがた経験したばかりですもの。何でしたらファーストキスも、エナで練習……」

「ちょっと、恵菜? 練習って何よ、ファーストキスの練習って!」

 隙だらけの恰好で、双子の姉妹が揉みくちゃになる。

(3Pはキュートと美香留ちゃん以来……そうじゃなくて!)

 禁断の果実を目前にしながらも、『僕』は必死に理性を奮い立たせた。

 陽菜と恵菜のためにも、またSHINYのメンバーのためにも。プロデューサとして、また兄として、『僕』は今こそ命を懸ける。

「悪いけど、僕はね……初体験は妹の美玖と、って決めてるんだ」

「え……?」

 まさかの爆弾発言に陽菜も恵菜も面食らった。

 もちろん作戦だ。あえて妹を第一候補に挙げることで、彼女たちの気勢を削ぐ。

 里緒奈や菜々留の名前では競争心を煽るだけだが、妹となっては疑惑や驚きが先行するはず。重度のシスコンにドン引きしてくれれば、なおよし。

「そんなわけだから。じゃあ、また学校で!」

 その隙に窓を開け、腹を括って外へ。 

「おっ、お兄さま先輩?」

「ま、待ってくださいですの!」

 素っ裸のまま、雑多とした街並みを屋根から屋根へと伝っていく。

 S女を裸で戦々恐々と歩きまわった、あの時の経験が勇気を与えてくれた。

「ウワアアアッ! なんだあれ、裸の男が走ってんぞ?」

「やべえぞ、あいつ! ド級の変態だ!」

 こちとら丸裸で女子高生(陸上部の面々)に囲まれ、もっと辛辣な罵声を浴びせられたことがあるのだ。この程度のどよめきなど、涼風も同然。

 魔法が使えなくとも、自分の脚でひた走る。

 捕まったら捕まったらで、またあの時みたいに変身して逃げればいいや。

 そのうち魔力も回復するだろうし。

 今後人間の姿で出歩くにしても、認識阻害があるし。

(ってぇ、何やってるんだ? 僕は~~~っ!)

 そうとでもして、とにかく自己正当化を続けないことには、心が折れそうだ。

 気分はまさしく忍転身・命駆。

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