第362話

 早朝から中ボス戦(負けイベント)をこなして、レッスンへ。

 マーベラス芸能プロダクションの練習用スタジオにて、SHINYのメンバーは二時間に及ぶ稽古に励んだ。妹もキュートの姿で合流し、懸命に声を張りあげる。

 コーチの巽Pが大きく手を叩いた。

「大分よくなってきたじゃねえか。こっちも指導の甲斐があるってもんだぜ」

「あっ、ありがとうございます!」

 『僕』と一緒に見学中の綾乃が、誇らしげに物語る。

「雲雀さんって、たとえ気休めであっても、滅多にひとを褒めないんですよ。あのひとが褒めたのですから、SHINYは本当に伸びてきた、と考えるべきです」

「うん。本当にレベルアップしたよ、みんな」

 春頃まで、SHINYはパフォーマンス重視のアイドルグループだった。

 プロデューサーの『僕』が企画を練りに練り、時には奇策も用いて、SHINYのイメージに弾みをつける。

 それは決して間違ってはいないのだが、裏を返せば、SHINYが実力だけでは勝負できないという実情の表れでもあった。

 しかしこの一ヶ月足らずで、メンバーの歌唱力は飛躍的に成長。

 歌が上手い恋姫のみならず、里緒奈や菜々留も、観音玲美子の小難しい楽曲を歌えるくらいにまでレベルアップを果たしている。

「お前らはもともと、そこそこ歌えるグループだったんだよ。ただ、楽譜をそっくりそのまま歌うだけで、応用ができてなかったんだな。これが」

「応用……」

「それぞれに心当たりはあるだろ?」

 はっとするメンバーを一瞥し、巽Pがやにさがった。

「けどよ、最初から『それ』を学ぼうたって、無理は話だ。基礎ができてねえからな。お前らが幸運だったのは、その基礎がしっかり固まってたってことでな」

 その眼鏡越しの視線が、プロデューサーの『僕』を射すくめる。

「基礎、基礎、基礎……レッスンを受けるほうにとっちゃ、つまらねえよな。それでも、お前らのプロデューサーは基礎を徹底的に教え、お前らもそれを素直に吸収した。だからこんな短期間でも、一気に伸ばせたんだ」

 聞いてみれば『なるほど』の一言で片付く話だろう。

 しかし実践するには相応の辛抱強さ、いわゆる忍耐力が要求される。

 練習したからといって、すぐに伸びるわけではないためだ。

 そんな練習をSHINYは地道に続け……おかげで今、こうして巽Pの指導にも食らいつき、さらに上のステージを目指しつつある。

 その功労者である巽雲雀が、プロデューサーの『僕』を呼んだ。

「……で、最初の頃に言ってた新曲の件なんだが」

「はい?」

「しっかりしやがれ、プロデューサー。SHINYに作曲家を紹介して欲しくて、私にコンタクトを取ってきたんじゃねえのか」

 里緒奈たちが俄かに湧き立つ。

「巽さん! それって」

「おう。今のお前らなら、いいぜ。相性抜群の作曲家を斡旋してやらぁ」

 スタジオに甲高い快哉が響き渡った。

「やった、やった!」

「今から作曲してもらうとしたら……リリースは年末?」

「そのあたりはPくんが前倒しで進めてるんじゃないかしら」

 気の早い初期メンバーに美香留が釘を刺す。

「その前にファーストアルバムの収録っしょ? 忘れないでよねー」

「ご、ごめんなさい。レンキもすっかり」

 ファーストアルバムのリリースに、新曲の発注。これで秋以降も、ひとまずSHINYのアイドル活動は保証されたか。

 けれども『中身はマネージャー』のキュートが、警鐘を鳴らした。

「みんな、待って? アルバムにしても新曲にしても、まずはアイドルフェスティバルでしょ? そのステージを最優先で成功させなくっちゃ」

 全員の口が同じ動きをする。

「アイドルフェスティバル……」

 毎年八月の末に催される、アイドル界のビッグイベント。

 このアイドルフェスティバルで健在ぶりをアピールできないことには、秋以降の活動に多大な影響を及ぼすのだから。

 研修生の綾乃が腕組みのポーズで嘆息する。

「アイドルフェスティバルは本当に何が起こるか、わかりません。春の時点まで順調だったアイドルが、呆気なく脱落したり……逆に無名も同然だったはずのアイドルが、いきなりのし上がって来たりもするんです」

 業界のプロフェッショナルとして巽Pも眉をひそめた。

「この手のビッグイベントはな、普通はもっとスポンサーや事務所の利権が絡んで、建前ばかりが肥大化するもんなんだよ。スポーツで言やぁ、オリンピックがそうだろ」

 皆のためのお祭りも規模が大きくなればなるほど、利権を目当てに介入したがる輩が増える。その結果、本来の主旨から外れていく。

 目的を失ったまま、鈍重な図体だけが残るわけだ。

 ところがアイドルフェスティバルは名実ともに崇高なる『年に一度のアイドルの祭典』であり続けている。

 一端の人気アイドルならば、これに出場しないという選択肢自体がありえない。敬遠のつもりであっても、それはアイドル業界からの脱落を意味する。

 まさしくアイドルにとっては強制参加のサバイバル。

「な、なんかミカルちゃん、怖くなってきたんだけど……」

「ナナルだってそうよ? 美香留ちゃん。それでもみんな、出場するの」

 また仮に出場できたとしても、凡庸なステージを晒してしまっては、評価は一日のうちに急降下する。秋以降は落ち目を迎えるだろう。

そうなってしまったら、新曲のリリースやドラマの出演が白紙になる、といったキャンセルも相次ぐ。

「一番怖ぇのは『出場したのにパッとしなかった』ってパターンだな。そりゃ作曲家も脚本家も売れ筋に行きてえから、余所にチャンスがありゃあ、即座に切り捨てる」

「ウワァ……聞くんじゃなかったかも」

 里緒奈や美香留が怖気づくのも無理はない話だった。

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