第352話

(なかなか乗ってこないわね)

 と、里緒奈はターゲットの様子に目を光らせていた。

 昨日の企画では彼が執事だったり、アクシデントがあったりしたせいで、せっかくのメイド姿を彼にアピールしきれていない。

 そのためメイド戦線を仕切りなおしたかったのが、ひとつ。

 また、最近の彼は何かとメイドの陽菜を気に掛けていた。その彼女に未知なる脅威を感じたのも、ひとつ。

 普段と違ったご奉仕のスタイルで迫れば、彼も――そういった思惑と同意があり、里緒奈たちは今夜、メイドとなって彼を迎えた。

 ところが彼のほうが警戒してしまい、思うようにアプローチが届かない。

(とにかくお風呂以外の場所で、まずはBよ。いつものBで……)

 それに里緒奈たちとて『一線を越える』ことに、少なからず抵抗はあった。

 お風呂なら艶めかしいスタイルで迫っても、遊び半分に『背中を流してあげる』で誤魔化せるが、ほかの場所ではそうはいかない。

 しかも今回の勝者はひとりだけ。

 彼のファーストキスは一回限り。それを全員で奪いあっているのだから。

 そのため、いつぞやの世界制服のように『皆で一斉にパンツを見せる』といった方法も使えなかった。あくまで自分の力で、彼のファーストキスを奪取しなくてはならない。

(お兄様の唇はリオナがいただきよ! ふふん)

(それはどうかしら? ナナルもいること、忘れないで?)

(あなたたちに任せられるわけないでしょう。ファーストキスはレンキが……)

 美香留や陽菜にしても虎視眈々とチャンスを窺っているはず。

 これは彼のファーストキスを賭した、乙女の聖戦。

(まずはB! その勢いでAよ、Aっ!)


 ぞくっと寒気がする。

(な、なんだろ? また狙われてるような……)

 猛獣と同じ檻に閉じ込められたら、この感覚だろう。

 それでも『僕』は平静を装いつつ、ノートパソコンの正面へ戻る。

「ご、ごめん。ほんとにお仕事するから、ゲームはおしまいで」

『んはぁあ……! おにいひゃんのれ、わたひ、べとべとになっひゃったよぉ~』

 LCLでどろどろのCGは見なかったことにした。

 音声も切っていたはずなのに、このメイドたちは……。

 ゲームを閉じ、面白みのない表計算を立ちあげると、里緒奈たちの関心も薄れる。

「そ……そうそう! じきに七月だもの。カレンダーに印つけとかなくっちゃ」

 里緒奈はわざとらしく宣言すると、壁掛けのカレンダーに赤色のペンを走らせた。数日置き、週によっては連続でハートマークを描いていく。

「あらあら、出遅れちゃったかしら。ナナルも描いておくわね、お兄たま」

「へ?」

 菜々留に続き、恋姫もおたおたと立ちあがった。

「レ、レンキも! その……まっ万が一ってことも? あるものね?」

 菜々留は緑色、恋姫は紫色でハートマークをどんどん増やす。

 その意味がまったくわからず、『僕』は率直に尋ねた。

「それって何の日なの?」

 メイドたちはまんざらでもない様子で顔を赤らめる。

「んもう、お兄様ったら。ほんとはわかってるくせに……リオナに言わせたいの?」

「女の子としてオーケーの日よ。さっきもゲームで出しちゃったでしょう?」

「でっですから! ご、合意の意思表示……と言いますか……」

 『僕』の認識が甘かった。

「いやっ、その……え? 何言っちゃってんの?」

「このどれかがナナルとお兄たまの、愛の記念日になるのねえ。うふふ」

 純真無垢な美香留がけろっと言ってのける。

「安全日ってやつぅ? ミカルちゃんも書いとこうっと」

(ヒイーーーッ!)

 トントン拍子の展開に『僕』は戦々恐々とした。

 大人気のアイドルグループが、スケジュールに『エッチの予定』なんぞを書き込んでいるのだから、眩暈さえする。

 ただ、これは『僕』のせいでもあった。

 お風呂デートが恒例化し、毎晩のように濃厚なソーププレイを嗜んでいるのだ。

 そのせいで、彼女たちにとってもハードルが下がっている。

 考えろ……考えろ、僕……っ!

 その甲斐あって、名案が脳裏をよぎった。

「あーうん、だねー。女の子同士、そういうこともあるか、女の子同士」

「え……?」

 里緒奈がぽかんと口を開ける。

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