第348話
ぞくっと寒気がした。
(なんだろう? 猛獣に睨まれてるような気配が……)
梅雨も明け、一気に蒸し暑くなったせいかもしれない。体調管理には気を配っているつもりだが、いきなりダウンというパターンもある。
実際、昨日はスタッフがインフルエンザで欠席などというアクシデントもあった。
先ほどのミーティングではそれも議題となり、皆が肝に銘じている。普段はぬいぐるみの『僕』とて例外ではない。
「さてと。少し早く終わったし、お夕飯の手伝いでも……ん?」
いつものようにマーベラスプロの中をふわふわと飛んでいると、SPIRALの面々とすれ違った。後ろの三人は舌打ちするも、有栖川刹那がわざわざ足を止める。
「うふふ、こんにちは。あなたも今から帰るところ?」
「こ、こんにちは。そっちも忙しそうですね」
ぬいぐるみなりに『僕』は姿勢を正し、トップアイドルと対面した。
(やっぱり今でも緊張するなあ……)
そんな『僕』の様子など意に介さず、刹那がまくし立てる。
「こっちで過剰気味だったお仕事、SHINYとKNIGHTSで引き受けてもらえて助かったわ。あと、旅行のお話は聞いたかしら?」
「八月の後半に一泊だってね。僕は遠慮させてもらうつもりですけど」
「女子会に気を遣ってくれてるのね? ふふっ、ありがと」
SPIRALとはこの夏もあちこちで縁がありそうだ。
トップアイドルと懇意なのだから当然、見返りは大きい。おかげでSHINYもKNIGHTSも貴重な仕事を獲得できている。
ただ『僕』としては里緒奈たちに、そういった打算を抜きに、有栖川刹那と親睦を深めて欲しかった。刹那のほうもそれを望んでいるはず。
「夏は一緒にお仕事する機会もあるみたいだし、楽しみにしてるわ」
「こちらこそ。その時はよろしくお願いします」
マーベラスプロのスタッフは遠慮がちに廊下の端を通りつつ、驚いていた。あの有栖川刹那と対等に話せる敏腕プロデューサー、とかいう評価が独り歩きしているらしい。
ところがひとり、『僕』たちには目もくれずに行く者がいた。
背丈が2メートルにも迫る大男だ。
ビキニパンツ一丁で、鍛え抜かれたマッチョボディを照り返らせる。
「な、ななな……」
あまりの異様に『僕』は度肝を抜かれてしまった。
筋骨隆々とした巨躯はともかくとして、なぜビキニパンツ一丁なのか。
何よりビキニパンツの股上から溢れる剛毛――伝説のギャランドゥが目を引く。
有栖川刹那が淡々と語った。
「あなたは知らなかったみたいね? 彼こそがマーベラスプロの誇るアイドル・ボディビルダー。その名を『アラハムキ』よ」
天使「そういえば聞いたことがある」
悪魔「し、知ってんのか? お前」
数々のボディビル大会を制覇したという、生ける伝説(リビング・レジェンド)。アイドルにボディビルダーという逆方向の言葉がくっついているインパクトも圧倒的だ。
それほどの巨漢が、うわごとのように呟く。
「いるぞ、近くにいる……女子高生と一緒に暮らす、不届き者の気配だ……!」
(ヒイッ?)
「許さん……必ずオレのギャランドゥで鉄槌を下してやる……」
その後ろ姿を見送りながら、刹那が付け加えた。
「聞いたことはないかしら? このマーベラスプロではね、どんなセクハラも彼が嗅ぎつけて、報復してくれるんですって」
「ソ、ソウデスカ……」
「あなたも気を付けなさい? プロデューサーだからって、担当のアイドルにちょっかいを出そうものなら……うふふ、あとは言わなくても、わかるでしょう?」
その先を頭ではなく本能で理解し、『僕』は竦みあがる。
魔法使いの『僕』を採用する、あの豪胆な月島社長のことだ。おそらくアラハムキもセクハラ対策の切り札として採用し、さまざまな権限を与えているのだろう。
SPIRALのヤンキートリオが嘲笑する。
「まっ、私らがボコボコにしてやってもいいんだけどよォ?」
「てめえが何かやらかしたら、サンドバッグにして遊んでやんぜ。なあ?」
「変な真似しやがったら、マジ殺すぞ」
これがファンの前だと『みんなー! 今日も来てくれてありがとー!』なんて笑ってるんだから、アイドルって詐欺だよね……。
「そ、それじゃ……僕はこれで」
へこへこと頭を下げまくって、『僕』はSPIRALと別れた。
ひとまず危機は去ったものの、アラハムキの存在は『僕』にとって脅威以外の何物でもない。彼の台詞が今なお『僕』の心胆を寒からしめる。
『いるぞ、近くにいる……女子高生と一緒に暮らす、不届き者の気配だ……!』
『許さん……必ずオレのギャランドゥで鉄槌を下してやる……』
おそらく『僕』がぬいぐるみの姿だったため、捕捉しきれなかったのだろう。
仮に変身を解いていたら――女子高生アイドルと6股交際(里緒奈・菜々留・恋姫・美香留・キュート・易鳥)する不届き者として、どうなっていたことやら。
ぶるぶるぶるっ!
とはいえ、これはタイミングがよい話かもしれなかった。
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