第337話

 素っ気ないほうの妹が呆れるついでに呟く。

「別にいいじゃないの。綾乃さんにだって恋人はいるんだし、兄さんにそういう相手がいても。それに相手が易鳥なら、トントン拍子に丸くだって収まるもの」

「うーん、まあ……」

 まだ実感はないとはいえ、充分に可能性のある話だった。

 幼馴染みの易鳥も意識はしているようで、実際に『結婚』の二文字も出ている。

 里緒奈たちはリビングの隅っこで小さな輪になると、何やら内緒話を始めた。

「恋姫ちゃんが『幼馴染みは噛ませ犬』なんて言うから……」

「だ、だからそれは漫画の話よ? 漫画の」

「困ったわね……このままじゃナナルたち、モブになっちゃいそう」

 大人気アイドルグループの代表格メンバーが何を言っているのだろうか。

 あと丸聞こえだし。

「と……そうだ。陽菜ちゃんもどう? 夏休みに三泊四日」

 話題を変えるべく、『僕』はメイドさんに声を掛ける。

「え? 旅行に……ヒナもよろしいんですの?」

「うん。ひとりやふたり増えても問題ないからさ。この面子だと陽菜ちゃん、まだ馴染みきってないだろうから、遠慮したくなる気持ちもわかるけど」

「ですけど……」

 それでも遠慮したがる陽菜に、桃香がやんわりと言い聞かせた。

「モモカもSHINYの部外者みたいなものだけど、一緒に行く予定なんです。陽菜さんもきっと楽しめると思いますから」

「そうそうっ! ミカルちゃんも陽菜ちゃんと一緒がいいなー。みんなで遊ぼっ!」

 屈託のない美香留にまで促されては、陽菜も頷くしかない。

「でしたら、その……ヒナもお世話になりますの」

「オッケー、数に入れておくよ。あと、夏は現場の仕事も手伝ってもらうつもりだから、水場のロケ用に水着も……美玖には前に話したよね?」

「ええ。こっちでやっておくわ」

 いよいよ夏も本番。

 八月末のアイドルフェスティバルを見据え、SHINYもエンジンが掛かってきた。


                  ☆


 そのパワーを、今夜はデスクワークに全力投球していただく。

「聞ーてないってば~~~!」

 真っ先に里緒奈が慟哭をあげた。

「いや……聞くも何も、カレンダーにも書いてあるよね? 期末試験」

 美香留も見開きのテキストに突っ伏している。

「こっちの歴史なんて、ミカルちゃんが知るわけないじゃん……マギシュヴェルトの歴史だってよく知らないのにぃ」

 そんなふたりを尻目に、優等生の恋姫は試験範囲を洗っていた。

「まったく……アイドル活動も高校生活も両立する、それが約束だったでしょう?」

「ミカルちゃんは今初めて聞きました~」

「リオナも今初めて聞きました~」

「だめよ? SHINYのセンターがそんなこと言っちゃ」

 そう窘める菜々留も表情が沈んでいる。

 実のところ、菜々留の成績はそれほど芳しくなかった。試験の順位は毎回『中の下』といったあたりで、とにかく苦手教科が多すぎる。

(何かと里緒奈ちゃんをダシに使って、サボるからなあ……菜々留ちゃんも)

 常に二十位前後をキープしている恋姫が眩しいわけだ。

「恋姫ちゃんは数学さえ底上げできたら、十位も狙えるのになあ」

「数学だけは、ちょっと……」

 勉強嫌いの三人がひそひそと声を潜ませる。

「数学はちょっぴり苦手とか、狙ってない? 狙ってるでしょ、絶対」

「あざとさで言ったら、恋姫ちゃんが一番よねえ」

「この勉強会だって、自分がおにぃにアプローチするのが目的っしょ? ウワァ」

 優等生はこめかみに青筋を立てた。

「あなたたち……赤点取ったらどうなるか、わかってるんでしょうね……?」

「ヒイッ!」

 ゴネてばかりいた三人が震えあがる。

 この夏、けしからんアイドルにはお仕置きが用意されているのだ。

 企画の名はそのままで『赤点取りました』。これは『僕』が提案し、社長の鶴の一声によって立ちあげられたもので。

 中高生のアイドルが芸能活動を言い訳にして、勉学を疎かにするようなら、この企画で点数を世間様に面白おかしく公開するぞ、と。

 悔しそうに里緒奈が歯噛みする。

「なんて企画作っちゃったのよ? Pクン!」

「前々からマーベラスプロで問題になってたからだよ」

 これは芸能事務所にとって頭の痛い話だった。

 未成年のアイドルが芸能活動にだけ傾倒しては、卒業後の進路で詰む。当然、事務所のイメージもダウンするだろう。

 だからこそ、月島社長は『僕』のやり方に期待しているのだ。

 芸能活動と学校生活を両立させること。そのために『僕』はSHINYをプロデュースする傍ら、S女で教師も務めている。

 そのノウハウを得て、マーベラス芸能プロダクションも動き始めていた。

 『赤点取りました』もそのひとつ。未成年のアイドルに少しでも学業を意識させようという、マーベラスプロなりの苦肉の策だったりする。

「Pクンはいいと思ってるわけ? 可愛い教え子が晒し物にされるのよ? それ」

「赤点を取らなきゃいいだけの話でしょ。該当者がいなかったら、『赤点取りませんでした』ってタイトルで放送する予定だし」

「あのね、Pくん? プロデュースの才能をそういうふうに使うの、ナナルは間違ってると思うのよ。とっても」

 往生際の悪い不出来なトリオに、恋姫がぴしゃりと言い放った。

「グダグダ言ってないで、勉強しなさいったら」

「……ハイ」

 里緒奈も美香留も観念して、問題集と対峙する。

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