第332話
キッチンのほうから鼻歌が聴こえてくる。
「ふんふん、ふ~ん」
易鳥はエプロンを着け、楽しげにボウルの中身をかき混ぜていた。
緑色の液体がびちゃびちゃと跳ね、鼻の奥に刺さるような異臭を漂わせる。
材料はチョコレートと思しき別の生地には、血走った目玉も。半ばモンスターと化し、断末魔じみた奇声をあげる。
そのデスメタルをBGMに、易鳥は無邪気な笑みを弾ませた。
「いい香りだろう? 好きなだけ食べていいぞ!」
「いっ、いや……いやあああ~~~っ!」
里緒奈の悲鳴もまた断末魔として木霊する。
S女の細長い廊下を、恋姫は息も絶え絶えに走っていた。
「はあ、はあ……っ」
自分以外の生徒は誰もが倒れている。
里緒奈や菜々留も失神し、開きっ放しの口から紫色の液体を垂らす有様だ。
後方からは恐るべき刺客が追いかけてくる。
「待て……どうした? とっても美味しいトリュフだぞ……?」
その手には真っ黒な爆弾。
あれを口に放り込まれたら、自分も死体の仲間入りに違いなかった。
否――死体ではない。里緒奈が、菜々留がおもむろに起きあがり、追跡に加わる。
「れんきちゃんも、たべなさいよぉ……いすかちゃんのとりゅふぅ……」
「ひとりだけたすかろうなんて、だめよ? ほぉら、ナナルたちといっしょに」
「~~~っ!」
恐怖に涙さえ浮かべながら、恋姫は辛くもトイレへ逃げ込んだ。
一番奥の個室へ飛び込むとともに、鍵を掛ける。
(お願い……来ないで!)
しばらくの間、ゾンビどもの呻き声は止まなかった。
しかし十分……二十分が過ぎただろうか。殺気はなくなり、静寂だけが続く。
「はあ……た、助かったんだわ……」
そう安堵しつつ、恋姫はふと天井を見上げた。
すると、今にもトイレの仕切りを超えようとする悪魔がいて――。
「どうした? イスカのトリュフがいらないのか?」
「きゃあああああっ!」
甲高い絶叫がトイレに木霊する。
菜々留は法廷の中央で立たされていた。
威厳に溢れる老齢の裁判官が、木槌を鳴らす。
「検察官の質問に答えなさい! なぜメンバーの毒殺など企んだのですか!」
先月のティーパーティーにてSHINYとKNIGHTSは親睦を深めるはずだった。ところが茶菓子に毒物が混入されており、大事に。
幸いにして全員が一命を取り留めたものの、まだ事件は終わっていない。
ひとりだけ毒物の茶菓子を食べなかったために、菜々留は重要参考人として出廷。半ば容疑者として、すでに立件、及び逮捕まで視野に入っているのだとか。
「ち、違います! あのお菓子は易鳥ちゃんが作ったんです!」
痛切に訴えるも、検察官に鼻で笑われる。
「だとすると……あなたは、ゴリラがお菓子作りをした、とでも言うのですか? それこそ信じられませんね。それに彼女が犯人なら、動機は何なんです?」
「本当なんです! 易鳥ちゃんは、その……」
「動機と言えば、あなたのほうがずっと怪しいんですよ。あなたは易鳥さんの『お兄ちゃま』呼びを快く思っていなかった……だから今、そうやって彼女を犯人に仕立てあげようとしてるんじゃないんですかっ?」
何をどう訴えたところで、徒労に終わるだけだった。
菜々留の潔白など誰も信じていない。
有罪――。
その二文字が菜々留を絶望させる。
☆
そんな悪夢を三人揃って見たせいで、翌朝は沈痛な雰囲気だった。
「うん、まあ……リオナの夢が一番、健全……よね? 易鳥ちゃんはゾンビの親玉じゃないし、ゴリラ扱いもしてないし……」
テレパシーのせいで、夢の内容は互いに駄々洩れ。
「たまにエッチなイメージが急に飛んでくると思ったら、恋姫ちゃんだったのねえ」
「自分の夢が印象最悪だからって、レンキをスケープゴートにしないっ!」
易鳥の扱いはさておき、全員の不安とするところは一致していた。
KNIGHTSの易鳥にお菓子作りなどさせたら、大変なことになるのでは?
不味いだけで済むのか?
爆発物の処理班が出動する事態にならないか?
かといって、彼女に『怖いからお菓子を作らないで』と言えるはずもない。
恋姫が神妙な面持ちで呟いた。
「郁乃と依織は多分、レンキたちに処理させるつもりなのよ。お菓子パーティーはセッティングできたんだから、当日はドタキャンするなんてことも……」
里緒奈も声のボリュームを落とす。
「美香留ちゃんはまだ知らないのよね? 美玖ちゃんは?」
「美玖ちゃんなら、お兄たまに全部押しつけて、済ませるんじゃないかしら」
菜々留に至っては諦めさえして、どこか遠くを見詰めていた。
「きっとみんな、お腹が痛くなるのよ。そしてお兄たまがいる前で、真っ青な顔でおトイレを出たり入ったりするんだわ……うふ、うふふ……」
「アイドル! レンキたちはアイドルなんだから、そっちに持ってくのはやめて!」
「ファンには絶対に聞かせられない話ね……KNIGHTSのファンにも」
SHINYの初期メンバーは悲嘆に暮れる。
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