第331話

 ふたりきりの緊張感が、かえって心地よいくらいだ。視界の外で互いの手が触れると、自然と繋ぎたくなる。

(易鳥ちゃんが今、下着だけで後ろに……)

 それでも煮えきらないでいると、彼女のほうから距離を詰めてきた。

「じっ、実はな? ひとつ決めたことがあるんだ」

 観念して、『僕』も振り返る。

 すぐ目の前に可愛い幼馴染みがいた。

 隙だらけのスタイルで、不安と――懇願めいた健気な色をその瞳に浮かべながら。

 『僕』はごくりと生唾を飲み込む。

「えぇと……決めたことって?」

「こ、これからはな? ふたりきりの時は、昔みたいにお前を呼ぼうと……」

 幼馴染みの唇が綻び、わずかに震えた。

「お兄ちゃま」

 その瞬間、心臓を鷲掴みにされてしまったような気がして――。


   触っちゃったなあ。

   撫でちゃったなあ。

   揉んじゃったなあ。


 選択肢が『触る』『撫でる』『揉む』の三択という時点で、このルートは詰んだ。

 でもSHINYのお風呂デートと同じで、直接的なことはしてないからね?

 ええ、意気地なしで構いませんとも。

 そこまでの責任感や覚悟はないし、『僕』には大切な仕事があるわけで。

「おっ、お風呂で毎晩、背中を流してもらってるだと? 慣れてると思ったら、そういうことか! 貴様というやつは!」

「あ、あれ? 僕のことは『お兄ちゃま』って呼んでくれるんじゃ?」

 何より命の危険を感じたので、ぎりぎりでブレーキは働いた。


   悪魔「あ、あれだけやっといて、ブレーキ……だと?」

   天使「基準がおかしくなってるよなあ」


 ニャンニャンしたことで慣れたらしい易鳥が、下着だけで『僕』の背中に抱きつく。

(やわらか……っ!)

 その右手がケータイを拾いつつ、『僕』の正面へまわり込んできた。

「お兄ちゃま、写真を撮るぞ? こっちを向いてくれ」

「このカッコで? まあ、易鳥ちゃんが撮りたいなら……」

 『僕』のほうも上は裸なんですけどね。

 女子高生らしく易鳥がケータイでツーショットを撮り、上機嫌に鼻歌を交える。

「これがアレだろ? 『いんすたばえ』とかいう」

「ま――待って! ストップ!」

「わかってるとも。『なう』と付けるのがトレンドだったか、うむ」

 『僕』が慌てて制した時には、遅かった。

 ツーショットは易鳥の手でSHINY&KNIGHTSの共用ラインへ投稿される。

『お兄ちゃまとラブホなう。イスカが一番乗りだぞ☆』

 それではアイドルたちから『僕』へ届けられた、処刑宣告をご覧ください。


里緒奈『死』

菜々留『ん』

恋姫『で』

美香留『く』

郁乃『だ』

依織『さ』

陽菜『らなくていいですの!』

桃香『あれ? この写真のひと、イトコさん……ですよね?』


 知ってるかい?

 生き残った者こそ、本物の勇者だ。


                   ☆


 KNIGHTS(の易鳥)がライブで暴走したのも、先日のこと。

 易鳥も反省し、その後はSHINYとKNIGHTSで良好な関係が続いている。郁乃がゲーム目当てに遊びに来るのも、しょっちゅうで。

「あっ? 美香留ちゃん、ずるいデス!」

「へっへ~ん。勝負の世界は厳しいんだもんねー」

 依織も恋姫に漫画を借りては、返しに来る。

「借りといて何だけど……恋姫は少し夢見がちが過ぎるんじゃないかな」

「な、何よ? 漫画と現実を混同するわけないでしょう」

 そんな中、里緒奈はメイドさんのお茶で一服。

「ふう……。易鳥ちゃんとお兄様の急接近はともかくとして、これで一段落ねー」

「ミカルちゃんも今度、おにぃとラブホ行こっと」

「油断のならない子がいたものねえ」

 易鳥の『お兄ちゃま』発言では荒れた菜々留も、奥ゆかしいお嬢様に戻っていた。

「でもまさか、お兄たまと下着で……なんて。ねえ? 恋姫ちゃん」

「ええ、本当に……幼馴染みなんて、少女漫画じゃ昔から噛ませ役でしかないのに」

「君たちがうちの易鳥をどう思ってたのか、よくわかる話だね」

 新しい漫画を試し読みしつつ、依織がリーダーからの言伝を伝える。

「そうそう……易鳥がね? 先日のお詫びに、みんなにお菓子をご馳走したいって。SHINYとKNIGHTSでお休みを合わせて、どう? お菓子パーティー」

「そんなに気を遣ってくれなくっても……まあ」

 里緒奈は肩を竦めると、SHINYのメンバーに目配せした。

「こっちはオーケーよ? あっ、場所はここでいいのよね?」

「お茶はナナルと陽菜ちゃんで用意するわ。手伝ってね、陽菜ちゃん」

「畏まりましたの」

 メイドの陽菜が控えめな物腰で付け加える。

「と……できましたら、お菓子の種類など、先に教えてもらえると助かるのですけど」

「KNIGHTSの行きつけのお店だったりするわけ?」

「んーとぉ……そのへんは、易鳥ちゃんに聞いてみないことには――」

 そのタイミングでマネージャーの美玖がやってきた。

 鋭い目つきでKNIGHTSのメンバーを見つけ、眉をひそめる。

「あなたたち、また来てたの?」

「ぶーぶー。美玖ちゃんが冷たいデス」

「お邪魔してるよ」

 恋姫が話題を戻した。

「それより美玖、あなたも参加するでしょう? お菓子パーティー」

「パーティー?」

 楽しそうに里緒奈も続ける。

「易鳥ちゃんがこの間のお詫びに、ご馳走してくれるんだって。場所はここ、お茶は菜々留ちゃんと陽菜ちゃんが担当で……リオナは食べる係でいい?」

「ミカルちゃんも食べる係~」

 和やかなムードの中、不意に美玖が表情を曇らせた。

「あぁ、お菓子……易鳥の手作りね」

 里緒奈たちは同じ疑問符を浮かべる。

「手作り? って……ひょっとして、あの易鳥ちゃんが?」

「そうよ。覚悟はしておくことね」

 何やら不穏な空気が流れ始めた。

郁乃と依織も顔色を変える。

「確かに不安はありますけど……易鳥ちゃん、言い出したら聞かないデスから」

「とりあえずお茶は苦めのがいいかも。あと当日まで、間食は禁止で」

 マネージャーを除くSHINYのメンバーは、ある想像に心胆を寒からしめた。

「ま、まさか……」

 嫌な予感がしてられない。

 何しろ『あの易鳥』の手作りお菓子なのだから。

(ものすっごく不味い……とか?)

 KNIGHTSの手前、恋姫や菜々留もテレパシーで応じる。

(不味くっても、食べられるならまだマシでしょうね)

(じゃあ、お菓子がハロウィンのオバケみたいになったり……?)

 テレパシーが使えない美香留も青ざめていた。

「易鳥ちゃんがお料理するなんて……ミカルちゃん、初耳なんだけど?」

「普段は全然デスよ? でも、たまに作りたがって、みんなを巻き込むんデス」

 郁乃の証言からして、間違いない。

 KNIGHTSの易鳥は料理が大の苦手なのだろう。にもかかわらず、高難度のお菓子作りに挑戦し――その結果、周囲の全員にトラウマ級の体験をさせる。

 里緒奈も恋姫も焦った。

(今からでも断ってくんない? 恋姫ちゃん!)

(な、なんでレンキなのよ? あなたが自分で……)

 一方、菜々留はお菓子パーティーに修正を掛けようとする。

「ち、ちょっと待ってもらえるかしら? 今度のティーパーティーはその、紅茶をメインにして……お菓子はね? クッキーを買ってくるくらいで……」

 それを郁乃が一蹴。

「あー、無理デスってば。易鳥ちゃん、自分で作る気満々みたいデスし」

「あれで結構、お菓子にはうるさいから。触らないほうが無難」

 すでに逃げ道は塞がれているようだった。

 美玖が淡々と日取りを決める。

「それじゃ、明後日の午後にね。兄さんにはミクが伝えておくわ」

「御意デスっ」

 楽しいはずのお菓子パーティー。

 それに命の危険さえ感じ、里緒奈たちは背筋を凍らせた。

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