第329話

 そんなこんなで、KNIGHTSとのイザコザも一段落。

 それでも易鳥にはまだ罪悪感が残っているようで、『僕』に先日のデートの続きを提案してきた。放課後の空き時間を利用して、『僕』たちは街へ繰り出す。

 まあ買い物くらい……と思っていた。

 ところが『僕』たちは今、LOVEな宿泊施設の一室で。

 ダブルベッドに横並びで腰掛け、気まずい沈黙に耐えていた。

「……………」

 ラブホテルって、きゅ、休憩と宿泊で値段が違うんだ? ふーん……。

 などという感想を、頭の中ですでに八回は繰り返している。

 ラブホテルなんぞに来たのは、易鳥の要望だ。『僕』が連れ込んだんじゃないぞ。

『お前はまだ誰とも入ったことがないんだろう?』

『そ、そりゃまあ……(お風呂はほとんど毎晩、誰かと一緒だけど)』

『ならイスカと初体験と行くか……いやっ! 今の初体験は、そういう意味じゃなくて……とっとにかく入るぞ? お前も腹を括れ』

 とまあ、こんな流れで。

 もちろん『僕』にはわかっていた。

 幼馴染みは『僕』と生命誕生の儀式をしたいわけではない。単純にラブホとやらに関心があったのと、おそらくは『一番乗り』を果たしたかったから。

 結局のところ易鳥にとって、『僕』からの優先順位は重要なことらしい。

 後まわしにされたら怒るし、一番に選ばれたら喜ぶ。

『いくら女っ気……いや妹っ気が多いお前でも、ラブホはないものな? うんうん』

『妹とラブホって選択肢があるほうが怖いよ……』

 そうして易鳥は『僕』とラブホテルへ一番乗りを……つまり本来の目的を果たした。仮にこの先、『僕』が誰とここへ来ようと、易鳥が一番という事実は揺るがない。

 しかし彼女は、ラブホテルへ入ったあとのことは考えていなかった。そのことに今さら気付いたようで、恥ずかしそうに頬を染め、ずっと俯いている。

 当然『僕』とて、ラブホテルだからといって強引に迫れるほど、短絡的にはなれなかった。先日の正拳突きを人間の身体で食らえば、普通に死ぬし……ぞぞぞっ。


   悪魔『いいじゃねえか。相手もその気があるから、誘ってきたんだろ?』

   天使『ようやく彼女と仲直りできたのに、また拗れるよ?』


 珍しく天使と悪魔がまともに論争している。

 そして実際、その両方が『僕』の葛藤とするところだった。


   もしかしたら、易鳥は『僕』を求めているのでは?

   いやいや……自分に都合のよい勘違いで、彼女を傷つけてどうする?

   でもラブホテルで、何もしないというのも……。

   だから待て? 『僕』と彼女は交際してるわけじゃないんだぞ?


 そんな堂々巡りが延々と続く。

 易鳥のほうも思い悩んでいる様子で、空気が重かった。

 これは何か話さなければ――と、『僕』はおもむろに口を開く。

「あ、あのさ?」

「そのっ」

 しかしお互い同時に切り出してしまって。

 先手にも後手にもまわれず、また黙るしかなくなる。

「~~~あーもうっ! これくらいのことで怖気づいてられるか!」

 それでも天音騎士の意地なのか、易鳥は自分で膝を叩き、気合を入れなおした。勢い任せに顔をあげ、数分ぶりに『僕』と視線を交わす。

「せ、せっかくのラブホだぞ? 色々、そのっ、確かめておこうじゃないか」

「そそ、そうだね。別に何かするわけでもないし……? う、うん」

 居たたまれなくて、すかさず『僕』のほうからも便乗した。

 何かするわけでもない――その言葉をボーダーラインに置くことで、とりあえず『僕』も彼女も行動できるだけの余裕を確保する。

(裏返せば、意識してるってことだよなあ……今の)

 まだ胸の中はモヤモヤしていたものの、やがて空気が軽くなってきた。

 ラブホテルといったらスケベな密室を想像していたが、この部屋はリゾートホテルのスイートルームにも引けを取らない。

 ダブルベッドには天蓋がついているわ、オーディオ機器は一式が揃っているわ。

 壁の一面を丸ごとガラスに取り換えたような窓からは、ミニチュアサイズの街並みを一望できる。その窓際にはティーセットまで完備。

 ご休憩の代金を全額彼女に払わせたことが、申し訳なくなってきた。

「あのさあ……易鳥ちゃん? やっぱり僕も半分、出そうか?」

「気にするな。綾乃に招待券をもらったおかげで、タダみたいなものだぞ」

「そんな生々しい話は聞きたくなかったよ……ハア」

 このホテルは明らかに世間一般のものと一線を画している。

 ただ、どうやらマーベラス芸能プロダクションが経営に関わっているらしい。

 芸能事務所がラブホテルの経営などスキャンダル必至の気もするが、著名な芸能人にとっては必要な場所なのだろう。

 易鳥が声を弾ませる。

「こっちへ来てみろ! すごいぞ、ここの風呂は」

「え? どれどれ?」

 浴室は透明のパーテーションで仕切られているだけだった。

(まあ湯気で曇るんだろーけど……)

 脱衣所に当たる空間はなしに、いきなり湯舟へドボンできる間取りだ。その浴槽も、ふたりで一緒に浸かれるだけの広さと深さがある。おまけにバスユニット付き。

 当然のようにトイレも広々とした作りだった。

(やっぱ、その……カップルでアレをする場所なんだなあ)

 一応、勉強にはなった。

 しかし時間はまだたっぷりある。

「おっ、映画もあるぞ? 何か見てみるか?」

「やめといたほうがいいよ。多分、どれもピンク映画だから」

「そ……そうか」

 やがて新しい発見もなくなり、お互い手持ち無沙汰となった。

 『僕』は最初のベッドに腰掛け、一息つく。

「そろそろ出ようか?」

「あ、いや……郁乃たちには誤魔化して出てきてな? あと二時間はどこかで時間を潰さないと、説明がつかん、というか……」

 しかし易鳥は座ろうとせず、暇潰しにはもってこいのティーセットにも目を向けなかった。俯きがちに、胸の高さでもじもじと親指を捏ね繰りあわせる。

「……少し待っててくれ」

「え? うん」

 そして意を決したように鞄を持ち、トイレの中へ。

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