第309話

 十秒ほどの沈黙を経て、彼女は思いきったように口を開く。

「まだ今日の収録は終わってないが、その……イスカはな? 歌さえ歌えれば、どうにでもなると思っていた。それだけでSHINYに対抗できると思いあがってたんだ」

 天音騎士の誇りに懸けて――。

 易鳥は強情だが、一度認めた相手、認めたことには正直だ。それがたとえ自身の失敗であっても、真っ向から原因を見定め、改めようとする。

 だから暴走した分は、必ず反省する。そんな面倒くさい性分の騎士様で。

「お前の仕事ぶりや、宍戸直子のレッスンを受けて、痛感した。イスカたちは魔法の力に頼りきりで、何もしてなかったんだと」

「易鳥ちゃん……」

 そんな騎士様だからこそ、自慢の幼馴染みだった。

「今からでもやりなおせるよ。一緒に頑張ろう!」

「う、うむ! 無論、そのつもりだとも」

 『僕』が肩を叩くと、易鳥はほっとしたような笑みを綻ばせる。

 けれども易鳥の指コネは終わらなかった。親指の次は人差し指を捏ね、間を繋ぐ。

「で……あの、話はまだ……ほ、ほかにあって、だな?」

「うん。何か頼み事?」

「まあな。そのぉ……イスカと一緒に行って欲しいところがあるんだ」

 易鳥は遠慮がちな上目遣いで『僕』を見詰めながら、何とか言葉を出しきった。


   「イスカとらぶほに行ってくれ」


 脳内の扉で『審議中』の札が揺れる。


   天使「彼女は何か勘違いしてるね……それ以外にない」

   悪魔「だな。ラブホの意味がわかってねえんだろ」


 こいつら久しぶりだなあ……。

 咳払いで動揺を誤魔化しつつ、『僕』は幼馴染みに確認を取る。

「念のため聞くけど……易鳥ちゃん、ラブホって何か、本当にわかってるの?」

「当然だ。ラブホテルの略称で、カップル専用の旅館のことだろう?」

 平然と即答が返ってきた。

「その……中で何をやるか、知ってる?」

「お茶を飲んだり、映画を観たりするらしいな。瑠璃家さんに聞いたぞ」

 ちなみに瑠璃家(るりいえ)というのは『僕』の母親の名前で――あちこちで見え隠れする黒幕の存在に、『僕』は鉛のような息を飲む。

「母さんの言うことは今後一切、信用しないでくれるかな」

「どうした? 昔は『ママ』と呼んでたじゃないか」

「あれは母さんが、そっちの可愛すぎる母さんの真似をしただけで……ハア」

 何も知らず、何も考えずに母親を『ママ』と呼べた頃が懐かしかった。

「イスカはお前がマザコンでも気にしないぞ。シスコンでさえなければな」

「なんで、ここで美玖が出てくるの……」

「とにかく瑠璃家さんに言われたんだ。お前とらぶほに行け、と」

 母親には一度、問いたださなければならないことがある。

「……まあ、イスカは別にどこでもいいんだが。久しぶりにお前と、その……ふたりで積もる話ができれば、と……」

 易鳥の言葉に『僕』はひとまず胸を撫でおろした。

「ああ、そういう……ならいいよ。ホテルは無理だけど、日帰りで」

「『ご休憩』というやつだな。知ってるぞ」

「……やっぱり理解してないよね。易鳥ちゃん」

 そんなこんなで幼馴染みとデートの約束。

 ラブホというパワーワードに眩暈はするものの、スケジュールを空けておく。

(里緒奈ちゃんたちには隠したりせず話しとこう……うっ?)

 ところが不意に強烈な視線を感じた。

 恐る恐る振り向くと、自販機の陰には仮面の妹が。

「お兄ちゃん……易鳥とラブホ行くって、どーゆーことぉ……?」

「ち、ちがっ! ラブホには行かないって!」

「何を言ってるんだ? らぶほでお茶をするんだろう」

 『僕』が全力で否定する一方で、易鳥はしれっと勘違いを続ける。

「写真……いや、動画も撮らないとなっ。瑠璃家さんに頼まれてるんだ」

「ハ、ハメ撮り……?」

 キュートは愕然として、『僕』に疑惑の視線を憚らなかった。

「お兄ちゃん、きゅーととハメプリもしないで……」

「どっ、どこで憶えたの? そんな言葉!」

 アイドルにあるまじきパワーワードの数々に、眩暈どころか頭痛がする。

(いやまあ、易鳥ちゃんとハメ……じゃない、ラブホなんてことになったら……)

 ミニスカのレースクィーンは『僕』の煩悶に気付きもせず、無防備な巨乳を弾ませた。

「何だったら、これも次の勝負で決めるか? キュート。決勝レースで勝ったほうが、こいつとらぶほでお泊まりだ」

「……っ!」

 まさかの挑発に妹が目の色を変える。

「や、やるっ! きゅーと、お兄ちゃんとラブホ行くもん!」

「ちょっ、ふたりとも? そんな大きな声で……」

「いいだろう。この件はイスカとお前だけの話にするぞ」

 幼馴染みと妹が修羅場すぎて、臆病者の『僕』は震えるしかない。

(これってみんなにバレたら、ぼ、僕が殺されるパターンじゃないか……!)

 とばっちりってあるよねー。

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