第302話

 大慌てでレースクィーンたちが上着を取りに行く。

 このレース場には大勢のスタッフが詰めていることも今、思い出したらしい。

 プロデューサーの『僕』も席を外した。

「すぐ戻るよ。綾乃ちゃん」

「わかりました」

 何やら鼻を押さえているスタッフたちの前を横切り、化粧室の中へ。

 ひとりになったところで、『僕』は顔を真っ赤にする。

「~~~っ!」

 正直な話、油断していた。これほどの威力とは思わなかった。

 レースクィーンの瑞々しい姿が網膜に焼きつき、『僕』を煩悶とさせる。

「あっ、あんなカッコのみんなと、今日一日……?」

 おまけに今回は変身せず、人間の身体だ。男子の部分が勝手に反応するわけで。

 不自然な前屈みの姿勢で、『僕』は波が引くをの待つ。

(そうか……わかったぞ)

 ただ、おかげでひとつの疑問が解消された。

 女の子に対するドキドキが、ぬいぐるみの時と人間の時で異なるのは、なぜか。

 男性の身体におけるそれは、いわゆる『ムラムラ』だ。本能的な欲求――身体の中から込みあげてくるもので、同時に後ろめたくも感じる。

 だからこそ、いやらしい気持ちで見てはいけない、と自制が働く。

 しかしぬいぐるみの身体だと、その高揚感は純粋な『ワクワク』となった。

 園児がニチアサのアニメで興奮するのと同じだ。罪悪感や背徳感がないため、『僕』はハイになってしまえる。

(なるほど……)

 どれも自己分析とはいえ、『僕』を納得させるには充分だった。

 これを前提にすれば、人間の時は一応の自制が効くことも説明できる。

(だけど……ぶっちゃけ、ムラムラしてるってことだよなあ)

 それはまた、今の『僕』がレースクィーンたちに興奮している根拠にもなった。

 スクール水着の次は下着で、下着の次はレオタードで……チアガールは当然、とうとうレースクィーンにまで。何とも節操のない話だ。

 『僕』はなかなか前屈みから姿勢を正せず、悶々とする。

(お、落ち着け? 心を無にするんだ……)

 だから血液! ほんと、その一ヶ所から引いてくんないかなあ?



 再びサーキット場へ戻ってくると、血のにおいがした。

 スタッフの一割くらいが鼻血を噴いたのだとか。女性スタッフも悶絶している。

「SHINYのレースクィーン、凄まじい破壊力ですね……」

「う、うん……」

 あの魅力的なスタイルを大勢に目撃されてしまったことが、少し悔しかった。

 しかしそれ以上にスタッフの容態が心配になる。

「宍戸さんは平気なんですか?」

「あら? ワタシはピュアな心の持ち主だもの。レースクィーンで動じたりしないワ」

「ピュアという言葉の意味、ご存知ですか? 直子さん」

 認識阻害の魔法で多少はマイルドになっているとはいえ、レースクィーンはいささか刺激がストレートだったか。

(やっぱり汎用性ではスクール水着に分があるな。うんうん)

 やがてSHINYのメンバーが上着を羽織った恰好で、戻ってきた。

「さ、さあってお仕事よ! お仕事っ!」

「ええ……そのためにレンキたち、ここへ来たものね?」

 里緒奈も恋姫もプロ意識で羞恥心を克服しようとする。やや疑問形なのは心配だが。

「どうしても恥ずかしかったら、言ってね? 認識阻害を強化するからさ」

「ありがとう、Pくん。でもナナルは平気よ」

「ミカルちゃんも! 今日はバッチリ決めてあげるねっ!」

 菜々留はペースを取り戻し、美香留は持ち前の元気印を発揮する。

「キュートも頑張って。期待してるぞ」

「うんっ! KNIGHTSなんて、きゅーとが軽ぅくやっつけちゃうんだから」

「え……そっち?」

 そして妹はライバルを前に戦意を高揚させつつあった。

 KNIGHTSの面々も対抗してくる。

「忘れるなよ? 優勝者は明日のウエディング体験で、花嫁役だ」

「あとあとっ、最下位を出したほうは罰ゲームデス」

「まあ、そっちに優勝賞品は関係ないと思うけど……ね」

 一触即発。

 それを綾乃が窘めた。

「あとにしなさい。まずはホムラ・サーキットを成功させること、でしょう?」

「はーい」

 企画書の出来ひとつでプロデューサーの評価が決まるわけではない。担当アイドルのモチベーションやコンディションも管理できてこそ。

(そのあたり、綾乃ちゃんはしっかりしてるよなあ……今後が楽しみだ)

 後輩の成長を頼もしく思いながら、『僕』も仕事に励む。

 里緒奈たちも割りきったのか、レースクィーンの恰好で堂々としていた。

「いよいよね! こういうレースって初めてだわ」

「美香留ちゃんは詳しいんでしょう?」

「んーん、そこまでは……でもほら、あれとかカッコよくない?」

「P君もクルマに何か感想ないんですか?」

 レースを楽しむ余裕も出てきたか。

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