第280話

 ただ、キュート(美玖)はどうにも要領を得ない様子だった。

 巽Pが肩を竦める。

「キャラ付けってのはわかるんだが……お前の場合は、そのアニメ声がなあ……」

「うっ」

 美玖とキュート、声自体は同じはず。

 しかしキュートの声は一段高くなっており、それがかえって音域の幅を狭めていた。

「ちょっと普通に声出してみろ」

「う、うん。……あ~っ」

 かといって歌を優先すると、声が完全に美玖のものとなる。

 つまりキュートのキャラクター性を取るか、楽曲の完成度を取るか。

 綾乃がハキハキと提案する。

「少し様子を見たほうがいいんじゃないですか? ひ……巽さん。指導したからって、その日のうち・その通りに百パーセント歌えるとは思いませんので」

「だな。焦らず行くか」

 やがて窓の外で六月の陽が傾き始めた。

 巽Pのもとで全員が整列する。

「今日はこれくらいにしとくか。各自、ボイトレはしっかりやっとけ」

「ありがとうございましたーっ!」

 里緒奈も、恋姫も、菜々留も、美香留も、今日の練習に手応えを感じたのだろう。プロデューサーの『僕』もこれからの成長を期待せずにいられない。

(アルバムのレコーディングまで、まだ一ヶ月……すごいことになりそうだぞ)

 一方で、妹のキュートは溜息をひとつ。

「はあ……」

 その背中を里緒奈が軽めに叩く。

「気にすることないってば、キュートちゃん。今だけ、今だけ」

「あ、うん。ありがとう、里緒奈ちゃん」

 メンバーもキュートの不調を心配しているみたいだ。

 ようやく慣れてきた人間の姿で、『僕』は皆に指示を出す。

「じゃあ、そっちは先に寮に戻ってて。僕はまだ仕事が残ってるからさ」

「なんか今日は仕事熱心ね? Pクン」

「いい傾向よ。プロデューサーはこうあるべきだわ」

 里緒奈や恋姫が『僕』の評価を改めてくれた。

 ……なぜ? いつだって『僕』は一生懸命やっているのに?

 解散の間際、綾乃が『僕』に念を押す。

「シャイP、練習前の件、よろしくお願いします」

「すぐに送るよ。じゃ、行こうか」

「待て~~~っ!」

 その夜、寮で『僕』はメンバーから尋問を受けるのだった。……なぜ?


                  ☆


 オフィスのデスクで、舘林綾乃はSHINYの企画書を開く。

「早く帰りなよー? 舘林さん」

「はい。これだけ読んだら、上がりますので」

 モノがモノだけに、自宅へ持ち帰るわけにはいかないのが面倒だった。無論のこと、マーベラス芸能プロダクションには残業時間についてコンプライアンスもある。

 それでも綾乃はぎりぎりまで残り、その企画書に目を通していた。

「すごいわ……」

 無意識のうちに感嘆の息が漏れる。

 MOMOKAの企画書にしても、SHINYの企画書にしても、それは綾乃の想像を遥かに超えていた。

 特に目を引いたのは『世界制服』の企画だ。

 第一印象はイロモノでしかなかったが、実際のそれは、巧妙な戦略と緻密な計算のうえで成り立っている。

 奇抜なアイデアで一発勝負、などという安直さは欠片もない。

 また、『これをやれば儲かる』という短絡さもなかった。

 世界制服の企画書は、ターゲット層の動きを事細かに分析するとともに、他業種への影響までカバーしている。

 この資料があれば、グッズの売り上げひとつについても即座に回答できるだろう。

 それほど世界制服の企画書は内容が多岐に渡り、また先見の明を備えている。

「井上さんの企画もすごいと思ったけど……」

 何より綾乃が驚いたのは、この企画書が臆することなく『責任の所在』を明確にしているところだった。

 この手の企画書は具体的であればあるほど、失敗した際の攻撃材料にされる。

 そのため、急所は曖昧な記述に留め、解釈の余地を残しておく。

 しかしシャイPの企画書はそこを妥協しなかった。

 『責任はすべて自分が取る。だから企画書の通りにやれ』――これだ。

 ゆえに、誰も手柄欲しさに介入できない純粋なプロジェクトとなっていた。

「あの雲雀さんがスペシャリストを引き受けるわけだわ……」

 だからこそ一流のプロも応じ、力を貸す。

「これよ。私にもこれができたら」

 そう確信しつつ、綾乃は企画書に目を走らせていく。

 のちにロリータ系アイドルグループ『パティシェル』を大ヒットさせる、プロデューサー兼マネージャー。館林綾乃がスタートを切った瞬間だった。

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