第237話
そんなこんなで、『僕』はガチで女装する羽目に。
スーツはこちらの世界の実家にある、母のものを拝借した。
(母さんはぺったんこだから、胸のあたりは僕にもぴったりだけど……)
菜々留がウィッグを持っていたことは、あとで小一時間ほど問い詰めたい。
「これで完成……よ、ねぇ……」
その菜々留を始め、全員が『僕』の女装に絶句した。
「……………」
「だから言ったじゃないか。僕が女装したって、気色悪いだけだって」
『僕』は姿見でそれを確かめる気にもなれず、嘆息する。
いきなり里緒奈が癇癪を起こした。
「なんでよおっ? これじゃお兄様じゃなくて『お姉様』じゃないのっ!」
恋姫は歯噛みしつつケータイで『僕』を撮る。
「許し難いわね……くっ」
菜々留や美香留も動揺していた。
「もういっそ、こっちをデフォにしたら? お姉たま」
「おにぃ、男のひとだよね? 昨夜、お風呂で洗ったげたもんね?」
「ストップ、ストップ! プレイを捏造しないで!」
ちなみにパンツだけは男物を許可してもらえた。パンツだけは。
「知らないぞ? 僕。認識阻害が失敗しても」
「その場合は姉さ……兄さんが叩き出されるだけだから、問題ないわ」
「大問題だよ!」
時間も押しているので、これで行くしかない。
『僕』たちはシャイニー号に乗り、梅雨の曇り空を突っ切った。
ラブメイク・コレクションはカタログとはいえ、撮影は舞台で行われる。もちろん現場のスタッフは全員が女性で、開催の準備に追われていた。
里緒奈たちが元気な挨拶で始める。
「おはようございまぁーす!」
「おっ、SHINYさん? おはようございますー!」
幸いにして、『僕』の認識阻害も働いているようだった。
「あれ? 恋姫ちゃん、そちらのかたは?」
「えぇと……男子禁制ですので、今日はその、女性のかたを代理に……」
「そういうことでしたか。初めまして、よろしくお願いします」
オカマの『僕』は臆病なりに安堵しつつ、メンバーに指示を出す。
「みんなは先に着替えてて。美玖も……今日は僕がいるからさ。美香留ちゃんをフォローしてくれる?」
「了解」
里緒奈がきょろきょろと周囲を見渡した。
「ところでキュートちゃんは?」
「いないんなら、美玖ちゃんに出てもらいましょうか。うふふ」
「よ、呼んでくるから!」
秘密の多い妹は、慌てて会場を飛び出していく。
(菜々留ちゃんは気付いてるんじゃないかなあ……キュートの正体に)
里緒奈たちも更衣室へ向かい、現場には『僕』だけが残った。
魔法で女性のふりをしているとはいえ、『僕』はれっきとした男性。それだけに居たたまれず、何かと挙動不審に陥る。
「今日はシャイPの代理ということで……どうかされましたか?」
「あっ、いえ! ……ナンデモアリマセン」
すでに準備ができている出演者もいた。大きめのパーカーを羽織り、今のところはセミヌードを隠している。
「眼福ね。SHINYのプロデューサーさん」
「……っ?」
不意にそう呼ばれ、ぎくりとした。
振り向くと、トップアイドルの有栖川刹那が意味深に微笑む。
「まさか女性になりきってまで、侵入するとは思わなかったわ。そんなにランジェリーにご執心なの? うふふ」
「ちちっ、違うんだよ? これはその……」
声のボリュームを抑えつつ、『僕』は必死に弁明した。
ただ、彼女に『僕』を軽蔑する色はない。
「いいわよ、見逃してあげる。あなたが網膜に焼きつける分には……ね」
「ハ、ハイ……」
さすがに相手が悪かった。
どういうわけか、有栖川刹那には『僕』の認識阻害が通用しないのだ。しかし『僕』のためか、面白半分なのか、黙ってくれている。
「刹那さんも出演するんだっけ?」
「いいえ。今日は呉羽陽子のお誘いで、見学に寄っただけなの」
さり気なくファッション界の大物を呼び捨てにするあたり、次元が違った。
そんな彼女が『僕』に意外な提案を持ちかけてくる。
「急な話なのだけど……来週の火曜と水曜、SHINYの予定は空いてるのかしら?」
仕事上の守秘義務はさておき、『僕』は正直に明かした。
「火曜は朝から新曲のレコーディングなんだ。水曜は普通に学校で」
「なら、無理ってこともなさそうね」
刹那は眉をあげると、内緒話のように人差し指を唇に添える。
「どう? 火曜の午後は温泉で骨休め……なぁんて」
「へ? 温泉?」
「ええ。来週の火曜、温泉宿を貸しきりで予約してるのよ。本当は定休日なんだけど、依頼……先方の都合でね」
何でも刹那たちのSPIRALは、老舗の温泉宿を丸一日独占できるとのこと。
しかしSPIRALの4人だけでは部屋が駄々余りでもったいない。そこで、
「SHINYもいらっしゃいよ。手配はわたしのほうでしておくし、お金のことも気にしなくていいから。……ね? あの子たちにもご褒美をあげないと」
こうして聞く分には、悪くないお誘いだった。
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