第199話
けれども美香留は動じない。
「その程度、おにぃには効かないもんねー。ドラゴンだってやっつけちゃうんだから」
「う、うぐぅ……」
「評価すべきは恋姫ちゃんのキックだと思うわよ? ナナルは」
実は菜々留のエルボーや里緒奈のコークスクリューも威力が上がってきていることを、『僕』は知っている。『僕』だけは知っている。
助けてくれるのは水泳部のトリオだけ。
「大丈夫? P先生」
「これって修羅場ってやつ?」
美香留は爆乳越しに腕組みを深め、ライバルをねめつけた。
「ミカルちゃんね、今日は美玖ちゃんと勝負に来たの。おにぃのパートナーと妹の座を掛けて、ミカルちゃんと決闘よ! 美玖ちゃんっ!」
一方的に挑戦状を叩きつけられ、美玖は面倒くさそうに溜息をひとつ。
「兄さんのパートナーの座なんていらないんだけど……ミクが勝って黙らせるほうが、早そうね。いいわ、勝負してあげる」
「その言葉、すぐに後悔させたげるっ! ミカルちゃんが勝ったら、おにぃのこと『お兄ちゃん』って呼ぶの、二度と禁止だからね?」
「あのぬいぐるみを、『お兄ちゃん』なんてふうに呼ぶわけないでしょ。『兄さん』でさえアレに敬意を払いすぎてるくらいなのに」
美玖と美香留の間で今、開戦の狼煙が上がった。
兄の『僕』は仲裁に入ろうとするも。
「ふたりとも、もっと穏便に……ほら、僕の背中の流しっこ競争とかで、さ?」
「菜々留ー。P君プールに沈めるから、何か重りになるもの持ってきてー」
これ以上のダメージは御免蒙るので、勝負を見届けることに。
ふたりの妹はシャワーを浴びると、スクール水着のレッグホールを整えた。そして部員たちも見守る中、飛び込み台の上からプールへ臨む。
勝負の方法はクロールで、先に50メートルを泳ぎきったほうの勝ち。
「いーい? 勝ったほうがおにぃの妹!」
「はいはい。シホ、合図をお願い」
審判のシホが手を挙げた。
「じゃあ行くよー? よぉーい……スタート!」
合図と同時に、美玖も美香留もプールへ飛び込む。
「美玖は一年生で一番速いもの。そう簡単に負けるわけ……」
「どうかしら? 美香留ちゃん、離れそうにないわよ」
ふたりのクロールはまったくの横並びだった。
美香留はマギシュヴェルトに住んでいるとはいえ、魔法は使えない。その分、マギシュヴェルトならではの方法で身体を鍛えている。
当然、水泳くらいはお手の物。巧みなクロールで美玖とデッドヒートを繰り広げる。
25メートルで折り返したところで、その差は如実に表れた。
「嘘っ? 美玖ちゃんが……抜かれたのぉ?」
美香留のほうが身体の半分ほど前に出て、リード。
美玖も全力のクロールであとを追うが、距離が縮まらない。
「ゴーーールぅ!」
先に50メートルを泳ぎ抜いたのは、美香留だった。プールから飛び出すと、優勝トロフィーのように『僕』を空へかざす。
「ミカルちゃんの大勝利~っ! これでおにぃはミカルちゃんのモノ!」
「ちょ、ちょっと美香留ちゃん? 降ろして?」
あとから美玖もプールサイドへ上がってきた。しかし顔を上げようとしない。
「……」
そんな美玖に恋姫が励ましの言葉を掛ける。
「あの……美玖? あなたもすごく速かったから……」
「少し外すわ」
妹は踵を返すと、プールサイドからすたすたと出ていってしまった。
「あれで美玖ちゃん、負けず嫌いだものねえ」
「Pクン? 美香留と遊んでないで、フォローしてあげてってば」
「だから降ろして! 僕だって美玖のことが心配で……」
お兄ちゃんの『僕』は美香留の手から逃れられず、じたばたともがくだけ。
ところが、妹はすぐに戻ってきた。
――仮面をつけて。
「美玖ちゃんに代わって、お次はきゅーとが相手よ! お兄ちゃんを返しなさいっ!」
水泳部の皆がざわつく。
「え……もしかしてSHINYの?」
「キュートよ、キュート! 噂の新メンバー!」
SHINYのメンバーも驚きを隠せない。
「ど、どうしてここに……あれって、S女のスクール水着よね? 水泳部の……」
「もうびしょ濡れよ? いつの間にシャワーなんて」
その中心で『僕』は今すぐ暴露してしまいたい衝動に駆られた。
(どっからどう見ても、さっきの美玖だよ? ねえっ?)
水泳部仕様のスクール水着も、たわわな爆乳も、ずぶ濡れなのも、美玖だからだ。しかし認識阻害の魔法が働いているわけでもないのに、誰もその事実に気付かない。
よもやのライバルの登場に、美香留は勝気な笑みを浮かべた。
「ふぅん……もう出てきてくれたんだ? ミカルちゃんのアイドルデビューを横取りしちゃった、泥棒猫さん。こっちから探す手間が省けたってゆーやつぅ?」
同じ恰好のキュートを見据え、親指で飛び込み台を示す。
「おにぃのこと『お兄ちゃん』ってのも聞き捨てならないしぃ、望むところよ。ここでハッキリと白黒つけてあげるんだから」
対するキュートも怒りと嫉妬に燃えていた。
「きゅーとの台詞よ! お兄ちゃんは絶~っ対、渡さないもん」
キュートの正体がバレるのでは、という意味でも『僕』は内心、はらはらする。
(み、美玖が……自分でやってるんだよね? これ?)
ふたりの妹は再び飛び込み台に立つと、前傾姿勢で水面を睨んだ。
「それじゃあ今度も私が……よーい、どんっ!」
シホの合図とともにレースが始まる。
しかし残念ながら結果は見えていた。水泳においては美香留のほうが一枚上手で、やはり一回戦と同じ折り返しのターンで、差が生じる。
(僕が美香留ちゃんに教えたんだっけ……クロールのコツ)
決着まで、あと十メートルもない。
ところが突然、プールで大きな水柱が噴きあがった。
それを弾みにして、キュートは一気に加速。
「えーいっ!」
あっという間に美香留を追い抜き、勝利を掠め取ってしまう。
美香留はしばらく水の中で唖然として……勘付いたのか、いきり立った。
「ち、ちょっと? 今の魔法っしょ? 魔法! 反則っ!」
「魔法じゃないですよーだ。手品でぇーっす」
キュートは悪びれもせず、アッカンベーを返す。
(美玖のやつ……みんなが見てる前で)
幸いにして部員たちは、キュートのラストスパートを手品と思ったらしい。里緒奈や恋姫も不思議そうに首を傾げていた。
「ええっと……とりあえずキュートの勝利ってこと?」
「そ、そうみたいね……」
キュートと美香留は延々と物言いを続ける。
「何者なのよぉ? あなた! どう考えてもマギシュヴェルトの魔法使いじゃん!」
「そっちこそイトコのくせに差し出がましいんじゃないのぉ? お兄ちゃんにはキュートとね、美玖ちゃんっていう、とびっきり可愛い妹がいるんだから!」
この調子では当分、決着がつきそうになかった。
『僕』は水泳部の顧問として笛を吹く。
「みんなは練習してよっか」
「はーい」
一部を除いて、充実の部活だった。
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