第139話

 『僕』はトイレに飛び込んで、奥から二番目の個室へ。鍵を閉め、必死で息を殺す。

 生徒はまだたくさん残っているのだ。

(お願いだから、入ってこないで! 入って……)

 しかし切実な願いも虚しく、彼女たちは同じトイレに入ってきてしまった。 

「やっぱ女子校じゃ男子と縁がないもんねー」

「だからって、友達のお兄さんや弟はありえないでしょ? 普通」

 会話のテンポからして、ふたりらしい。校舎の中にいるなら文芸部か、美術部か。

 ふたりは真中に男子がいるとも知らず、左右の個室へ。もぞもぞと衣擦れの音を鳴らしながら、お花摘みを始めようとする。

(だっだだだ、だめだあ~っ!)

 『僕』は全力で耳を押さえ、きつく目を閉じた。

 息さえ止めて、彼女たちが去るのを待つ。

 なのに、こういう時に限って思い出してしまう。子どもの頃、妹の美玖が不意に催し、パンツをびしょ濡れにしたことを。

(ちっ違う! 僕にそっちの趣味は……誰か記憶を消してぇ~!)

 やがてふたりの女子はお花摘みを終え、トイレを出ていった。しかし九死に一生を得たものの、『僕』はまた別の理由で動くに動けない。

(じ、状況がわかってないのか? コイツ!)

 妹のスクール水着越しに魔物を押さえつつ、やっとのことで外へ出る。

 まだまだ先は長かった。

 プールへは直進すれば早いが、職員室の前を横切るのはまずい。そうでなくとも生徒は多い。分の悪い賭けは避け、『僕』は上の階を迂回し、西へ抜けることに。

(もうキュートの言う通りにするよ……するから、助けて……!)

 だが、その途中で笛の音に驚かされた。

「ひっ?」

 音の出所を窓から見下ろして、『僕』はさらに慄然とする。

(よりによって、こんな時に?)

 下の中庭では警備員の一団が列を成していた。

「これより訓練を始める!」

 防犯訓練だ。プロの女性警備員たちが号令を受け、きびきびと動き出す。

(やばいぞ! 早く逃げないと!)

 慌てて『僕』も走り出した。

 脇目も振らずに階段を駆け降り、中庭とは逆方向の運動場へ脱する。

 陸上部の面々がウォーミングアップしていたものの、悠長にチャンスを待ってなどいられなかった。グラウンドの脇を一気に突っ切っていく。

 だが、それこそが浅はかな判断だった。

「え? ねえ、あれって……」

 陸上部のひとりが不思議そうに『僕』を指す。

 構わずに振りきるつもりだったが、女子は正面にも現れた。これから体育館で練習らしいバレー部が、『僕』の非常識な恰好にぎょっとする。

「え……ええええっ? やだ、何よこいつ!」

「いいいっい、いや! あのそのっ!」

 大急ぎで弁解しようにも、先に大音量の悲鳴が響き渡った。

「キャアアアアーーーッ!」

 陸上部とバレー部で三十人は下らない数の叫びが、大気を震撼させる。

 その騒ぎを聞きつけ、訓練中の警備員も急行。スクール水着(女子用)の恰好で、とうとう『僕』は大勢のレディーに包囲される。

「き、貴様ぁ! どこから入った?」

「うっわ、見て! あいつ、スクール水着なんか着てんだけど!」

「変態よ、変態! 死ねっ!」

 妹のスクール水着を握り締めながら、『僕』は痛切に訴えた。

「そっ、そうじゃないんだ! 僕は!」

「誰が見たって変態でしょーが!」

 一分もしないうちに警備員たちに取り押さえられ、無慈悲な手錠を掛けられる。

 こうして『僕』は人生のゲームオーバーを迎えた。

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