第137話
久しぶりの情事でタガが外れたのかもしれない。
無論、最後までコトを成したわけではないものの――翌朝には野生化も鎮まり、ぬいぐるみの『僕』は後悔の念に苛まれていた。
「ご褒美とか言って、またヤっちゃったぞ? ハア……」
昨日のハグをエネルギーにして、SHINYはますます輝くだろう。それはよい。
しかしプロデューサーとアイドルの関係としては不埒に過ぎる。
(あんなに気持ちいいんだもんなあ……うぅ)
そのことを頭では理解できているつもりでも、誘惑に抗えなかった。彼女たちが望むのなら、と都合のよい言い訳を繰り返し、受け入れてしまう。
ただ、今回は以前とは少し毛色が違っていた。
(でもみんな、どうして僕の『妹』ってところに拘るんだろ?)
『僕』と美玖の関係がずっと淡白なのは、里緒奈たちも知っているはず。そんな美玖に今さら対抗心を燃やすとは思えない。
なのに、菜々留も恋姫も『妹』であることに固執した。
『お兄さん』と、妹の友達として呼ぶ分にはわかる。しかし『お兄様』や『お兄たま』は、明らかに兄妹の関係を含めているのだから。
「別に……その、僕が恋愛対象ってわけじゃないんだよな? みんな」
里緒奈たちの気持ちはあくまで親愛。妹が兄や家族を慕うものとしての。
それ以上の感情を期待するのは、『僕』の勝手な勘違いでしかない。
あくまで妹として――だからこそ里緒奈や菜々留、恋姫はああも大胆に迫ってくるのではないか。そう考えると、物足りなさと安心感とが一緒くたに込みあげた。
ひとりの男性としては物足りない。
けれども、兄貴分としては安心できる。
「そ、そうそう……ぎゅってするだけ。それだけなんだ」
もう何度目かの言い訳でお茶を濁しつつ、『僕』はベッドを降りた。
キュートが加わったライブコンサートから、早くも一週間。カーテンを全開にし、青々と晴れ渡った月曜日の朝を迎える。
「ん~っ! 今日もいい天気になりそうだなあ」
今日の放課後はS女の水泳部で指導に当たる予定だった。
いつものように菜々留は洗面台を占拠し、恋姫はコーヒー豆を挽いている。
「おはようございます。P君、里緒奈を起こしてきてもらえますか?」
「オッケー」
昨日の情事は嘘だったかのように穏やかな朝だ。
(女の子のほうが案外、割り切れるものなのかなあ……)
『僕』はぬいぐるみの姿で里緒奈の部屋へ飛び、一応ノックしたうえで覗き込む。
「朝だよー、里緒奈ちゃん。今日は学校、行くんでしょ?」
「うぅん……Pクン? はあ~い」
里緒奈は起きあがるも、眠そうに目を擦った。
それから各々顔を洗い、食卓を囲む。
「いただきまーす」
上品にトーストを齧りつつ、菜々留が『僕』に尋ねてきた。
「ねえ、Pくん? 昨日のこと、キュートちゃんにはフォローしたの?」
「え? キュートは知らな……ああっ、コスプレのこと?」
ニャンニャンの件と間違えそうになりながら、『僕』はケータイを取り出す。
里緒奈や恋姫も心配そうに呟いた。
「キュートも『ユニゾンヴァルキリー』が好きなのに、仮面のせいで昨日は参加できなかったもんね。残念がってるんじゃない?」
「美玖が代わりに出演したことは、知ってるんですか? あの子」
「うん、まあ……」
キュートの正体はほかでもない美玖なのだから、その心配はいらない。しかし妹の面子のため、『僕』は適当にはぐらかす。
「明日もレッスンだし、その時にでももう一度……ん?」
そのタイミングでキュートからメールが届いた。
『お兄ちゃん、お話したいことがあるの。鍵は開けておくから、放課後、一年一組の教室で待っててね。ただしSHINYのみんなにはぜ~ったい、内緒でっ!』
(何の話だろ?)
妹からの呼び出しに『僕』は首を傾げる。
「どうかしたの? Pクン」
「いや……今日は絶好のプール日和だなあ、って」
てきぱきと朝食を済ませて、全員でS女へ。
放課後には水泳部の部員たちがプールへ集まってきた。スポーツバッグを抱え、ぞろぞろと更衣室へ入っていく。
「今日もよろしくお願いしまーす! P先生」
「うん。先に準備体操して、シャワー浴びてて~」
「はぁーい!」
ミキやシホ、マコの一年生トリオも慌ただしく通り過ぎていった。
「P先生、今日はミキから教えてよね」
「ずるぅい! またミキだけー」
「マコだっているんだから。P先生、またあとでねっ」
夏に向け、水泳部の面々は気合充分。
(じきにシーズンだし、今日もしっかり教えてあげなくっちゃ)
コーチとして『僕』も気を引き締めつつ、朝一で一年一組の教室へ急ぐ。
メールで聞いた通り、鍵は掛かっていなかった。
「キュート? あれ、いないの?」
しかし一年一組の教室にキュートの姿は見当たらない。メールを読みなおし、場所を間違えていないことを確認する。
「おかしいなあ……」
こちらから電話を掛けても、応答はなし。
ただ、窓際の机で『僕』は一枚の手紙を見つけた。キュートのサインが入っている。
「えーと、なになに?」
そこには美玖らしい達筆でこう綴られていた。
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