第118話

 サイズはぴったり、里緒奈が履き心地を確かめるように弾む。

「これって、もらえるの? Pクン」

「うん。スポーツ向けだし、ダンスの練習用にいいんじゃないかな」

「こういうお仕事ならナナルも大歓迎よ」

 菜々留も爪先を曲げたり、踵を床に押しつけたりした。

 一方で、キュートは靴の紐に四苦八苦。

「お兄ちゃん、結んでぇ?」

「エ? 結べって言われても……」

 あの手先の器用な美玖が、靴の紐ひとつ結べないわけがない。それに加え、ぬいぐるみの『僕』の手で、どうやって結ばせるつもりなのか。

 箸は使えるのだから、できるとは思うが。

 恋姫が横目がちに『僕』を睨む。

「結んであげればいいじゃないですか。男の子になって」

「それは……認識阻害の都合で、ちょっと」

 『僕』は躊躇うものの、メンバーの視線が有無を言わせなかった。

「Pクンは男の子のほうがいいってば」

「お兄ちゃん、早く早くぅ」

「ナナルも賛成よ。やっぱりプロデューサーはぬいぐるみより……ねえ?」

 水着とスニーカーのコラボを強要している立場だけに、今回は従うほかない。

 SHINY用の控え室で変身を解き、着替えて戻ると、スタッフ一同が目を点にした。

「……あれ? シャイP、なんか急に雰囲気変わりました?」

「いやまあ、寝癖を直してきただけで……」

 急に認識阻害の魔法を調整したことで、違和感が生じてしまったらしい。しかし現場の面々はさして気にすることもなく、各々の作業へ戻る。

(別に僕が人間でも、ぬいぐるみでも、仕事自体は変わらないもんなあ)

 とりあえず『僕』はキュートの靴紐を結んでやった。

「ありがとっ! お兄ちゃん」

「どういたしまして」

 喜ぶキュートの一方で、里緒奈たちは何やら相談を始める。

「なんかキュートって、Pクンの妹みたいなポジションだよね? Pクンもまんざらじゃなさそうだし……」

「美玖が素っ気ないから、余計に可愛く感じるのよ。多分」

「ナナルたちも『お兄ちゃん』って呼んだほうが、いいのかもしれないわね」

 しかし『僕』は内心、妹どころではなかった。

(スニーカーと水着で、この威力……!)

 アイドルたちのあられもないスタイルを目の当たりにしたせいで、胸が高鳴る。

 ほかのスタッフは認識阻害でスケベ心を遮断されているため、それほど意識せずに済むのだろう。ただ、『僕』だけは彼女たちの色香をもろに受けるわけで。

 いつぞやのように、無性に抱き締めたくなってしまった。

(これだから人間の身体は……我慢しろ、我慢っ!)

 マギシュヴェルトが男性に魔法の行使を禁じるのも、わかる気がする。

 それでもメンバーの手前、平常心を保つ。脳内で『You,be cool.』と警告の声が聞こえるうちは、理性が勝っているのだから大丈夫だろう。

「恰好が恰好だし、早く始めようか」

「P君が言いますか? それ」

「またPクンが撮るんでしょ? なんだかなあ……」

 恋姫や里緒奈は若干の抵抗を示しながらも、撮影のスタンバイへ。

 ところが不意に菜々留が躓き、転びそうになる。

「きゃっ?」

 すかさず『僕』は手を伸ばし、彼女の身体を抱きとめた。

「よっと……こっちの姿でよかったよ。怪我はない?」

「え? あ……Pくんったら」

 腕の中で菜々留は恥ずかしそうに笑みを綻ばせる。奇しくも彼女をエスコートするような形になり、気取る『僕』。

「慣れない靴のせいで、躓いたんだろうね。撮影中も気をつけて」

「ええ。ありがとう」

 もちろん内心は、穏やかではいられなかった。

(ささっ、さ、触るつもりはなかったんだけど……!)

 薄生地越しに菜々留の温かい感触を感じ、どぎまぎする。とても柔らかい。

 しかしラッキースケベを堪能することは許されなかった。

「お兄ちゃんっ!」

 キュートが『僕』と菜々留のハグをねめつけながら、頬をぷっくーと膨らませる。

「ごご、ごめん! 菜々留ちゃん!」

 慌てて『僕』は菜々留を離した。菜々留は名残惜しそうに『僕』を一瞥する。

「んもう……せっかくPくんに、ぎゅ~ってしてもらえたのに」

 一方で、こういう時こそ怒りそうな里緒奈や恋姫が、声をあげなかった。何かを決めたように頷き、ふたりして前へ出る。そして

「ひゃっ?」

「あー!」

 『僕』の手前で同時に躓き、同時に転びそうになって、ぶつかった。

 ふたりは押し合いへし合いとともに火花を散らす。

「何よ、恋姫! 真似しないでくれる?」

「真似なんて……里緒奈こそ、どういうつもりなのっ?」

 すかさず『僕』は仲裁に入った。

「ま、まあまあ……ちょっとぶつかったくらいで、大袈裟だよ? ふたりとも」

 里緒奈も恋姫も不満げに言葉を飲み込む。

「う……」

 後ろの菜々留が投げやりに呟いた。

「だめねぇ、Pくん。今のは減点だわ」

「エッ?」

 プロデューサーとしての責務を果たそうとしただけの『僕』には、何が何やら。多感な女子高生のグループを扱うのは、やはり難しい。

「むぅ~っ」

 撮影が始まるまで、キュートはずっとむくれていた。

 それでも競泳水着とスニーカーのPV撮影は、つつがなく進行。これは『僕』の要望に過ぎないこともあって、すぐに終わる。

「お疲れ様。控え室に次の衣装があるから、着替えておいで」

「はーい」

 SHINYの面々は一旦、控え室へ。

「あれー? 美玖ちゃん、またいませんね」

「えぇと、控え室のほうで今、事務所と連絡を取ってもらってるんだ」

 やがてTシャツとスパッツという快活なスタイルで、全員が戻ってきた。キュートもアイマスクはそのままに、さっきと同じスニーカーで地面を踏み締める。

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