第101話

 キュートは悪戯っぽく舌を出した。

「ごめん、ごめん。確かに今のお兄ちゃん、ぬいぐるみだもんね。ファーストキスってシチュエーションでもないしぃ、挨拶ってことで」

 そしてアイマスク越しにまじまじと『僕』を見詰め、意味深に微笑む。

「じゃあね、お兄ちゃん。そうそう、これ、キュートの番号」

 ふくよかな胸の谷間からカードが出てきて、またも『僕』は仰天することに。

 まるで怪盗の予告状を思わせるカードだった。サインも入っている。

「ええと……じゃあ、登録しとくよ」

「電話するね!」

 嬉しそうにキュートはスキップを交え、走り去った。

 その後ろ姿が紫色の煙で覆われる。それが晴れた時には、もう誰もいない。

 恋姫がきょとんとした。

「て、手品でしょうか……?」

 里緒奈は険しい表情で腕を組む。

「一体誰なの? Pクンも知らない、謎のメンバーだなんて……」

「わからないわ、ナナルにも。さっきのダンスにしても、どこで練習したのかしらね」

 菜々留の疑問ももっともだった。

 SHINYのメンバーと初対面でありながらも、キュートは違和感なくダンスを連動させている。パートデュエットも即興にしては絶妙な匙加減で。

「第一、ダンスの内容はレンキたちしか知らないはずよ? ファンが見様見真似でやっても、あんなふうには」

「リオナも同感。ひょっとして、マーベラスプロの関係者だったりしない?」

 里緒奈たちは互いに相槌を打ちつつ、キュートの正体について意見を並べた。

 それを一旦『僕』が締め括る。

「とにかく先に着替えちゃおうよ。汗もかいたでしょ」

「そうねぇ。ナナル、早くシャワーが浴びたいわ」

 SHINYのメンバーは控え室へ引きあげることに。

 けれども、最後に『僕』が同じ控え室へ入ろうとしたところで、

「Pクンって、男の子だよね?」

「うん。ぬいぐるみ界ではそれなりのイケメンを自負してるけど?」

「はいはい。閉めまーす」

 また『僕』だけ閉め出されてしまった。

(あ……そうか)

 S女の体育で女子更衣室に引っ張り込まれたりするのが日常茶飯事のせいで、感覚が麻痺していたらしい。男子がいては、女子が更衣できないではないか。

 プロデューサーの『僕』は自販機の傍で一息つく。

「それにしても……」

 頭に浮かぶのは、やはりキュートのこと。

 彼女の素性に実は心当たりがあった。

 あの顔立ち、あの声、あのスタイル――間違いない。あれは妹の美玖だ。

 おそらく美玖がアイマスクをつけ、仮面のアイドルを演じている。

 しかし理由には皆目見当がつかなかった。

アイドル活動に参加しようと思い立ったものの、恥ずかしくなってしまったのか。それとも話題作りとしての意図的なパフォーマンスなのか。

 煙を出して登場したのも、また姿を消したのも、魔法を使ったと考えられる。

(どう見たって……美玖だったよなあ、あの子)

 さらにもうひとつ解せないことがあった。

 どうして誰も正体を指摘しないのか。

 妹の美玖はSHINYのマネージャーとして、メディアで多々露出している。人気も上々で、ファンの間では四人目のメンバーと期待されていた。

 その美玖が満を持して登場した――にもかかわらず、誰もそれを明言しない。

(あの仮面に認識阻害の魔法は掛かってなかったし……)

 スタッフにしても、今日のサプライズには演出面で美玖に協力していたのだから、美玖の正体は知っているはず。

 なのに、ひとりとしてキュートの素顔に言及しなかった。

 里緒奈や恋姫、菜々留にしても同じことだ。美玖と幼馴染みの間柄にある彼女たちが、キュートの正体を見破れないわけがない。

 つまり全員が全員、あえて騙されたふりをして、調子を合わせている。

 それが『僕』の結論だった。

「とりあえず、さっきの番号を登録しとくか」

 『僕』はぬいぐるみの手でケータイを取り出し、キュートのデータを入力。

 キュートの電話番号は妹のものと違っていた。これだけのために、わざわざケータイを別で契約したのだろうか。

 ショートメールで『よろしく』と送ると、一分もしないうちに返信が返ってくる。

『きゅーとのメアドとか、まとめて渡しちゃうね! お兄ちゃん』

 メッセージの最後にはハートマークがびっしりと詰められていた。愛情表現とストーカー行為は紙一重、という誰かの明言を思い出す。

(しばらく様子を見てみるか)

 キュートの正体は無理に暴かない――そう決めた。下手に刺激するよりも、美玖からのアプローチを待ったほうが賢明だろう。

 だから揺さぶりを掛けるつもりはないが、妹に電話を掛ける。

 こちらも応答まで十秒と掛からなかった。

『もしもし。どうしたの? 兄さん』

 キュートと同一人物とは思えない素っ気なさが、『僕』の耳朶を乾燥させる。

「いや、あの……美玖、ライブの間はどこ行ってたんだ?」

『会場にいたけど?』

「あ、うん。それならいいんだ」

 嘘だとわかっていても、踏み込めない圧力を感じた。

 実際、『僕』と美玖はこの程度の関係でしかない。間違っても、どこぞのダーリン編のように添い寝してもらえるとか、一緒にお風呂に入るなどという展開はなかった。

 しかし妹の友達とは、それがあったりする。

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