第81話
意外にも恋姫の要望したランチは、ハンバーガーだった。席が多い分、客も多い窮屈な店の中、必然的に『僕』たちの距離も近くなる。
これならと、一日彼氏の『僕』はつい調子に乗ってしまった。
「恋姫ちゃん、それ。あ~ん」
頬杖のポーズで口を開け、チキンナゲットを待つ。
「ああいう映画を一緒に観たからって、彼氏気取りですか? まったくもう……」
恋姫は渋々と『僕』の口へナゲットを運んだ。
「うんうん。ありひゃ、おろぉおっ?」
ところが予想だにしない味の辛さに、『僕』は目をちかちかさせる。チキンナゲットには激辛のマスタードがたっぷりと塗ってあったらしい。
愉快そうに恋姫が笑う。
「あははっ! 女の子をからかうからですよ? 猛省してください」
「仰る通りで……」
ほとんどマスタードのそれを咀嚼しつつ、『僕』はうなだれた。
しかし恋姫の悪戯が嬉しくもある。普段はSHINYのブレーキ役として気を張っている彼女の、女の子らしい一面を垣間見た気がした。
「もう一個食べさせてよ、恋姫ちゃん。次はマスタードなしで」
「懲りないひとですね……んもう」
ランチを堪能したら、また腕を組む。
アイドルの日曜日をプロデューサーの『僕』が独り占め――。
(き、今日だけだし? あとは買い物するだけで……)
優越感と背徳感の境界線をふらつきながら、『僕』は彼女とCDショップを訪れた。アイドル楽曲のコーナーにはSPIRALや観音玲美子のポップが飾られている。
その中にSHINYの新曲もあった。チャート5位に輝いたことが紹介され、ファーストアルバムの予約も始まっている。
自分たちのCDを手に取り、恋姫が呟いた。
「やっぱりP君はすごいですね。中学生の仲良しグループでしかなかったレンキたちを、本物のアイドルにしちゃうんですから」
プロデューサーとして『僕』はこれを否定する。
「いいや。恋姫ちゃんたちが一生懸命、頑張ってくれた成果だよ」
確かにSHINYの躍進には魔法の力が大いに関与していた。マーベラスプロの資金力も背景にある。それでも『僕』はアイドルたちの努力を一番に評価したかった。
「僕の魔法はお膳立てに過ぎないよ。恋姫ちゃんと、里緒奈ちゃんと、菜々留ちゃんがたくさん練習して、ライブも頑張ったから、今のSHINYがあるんだ」
プロデューサーの手柄に数えるつもりもない。少なくとも『僕』は彼女たちに見返りを求めず、ひとりのファンとして応援している。
意外そうに恋姫は瞳を瞬かせると、可憐な笑みを綻ばせた。
「きっとP君のそういうところが、SHINYを支えてるんですよ。美玖だって本当はP君のこと、すごく尊敬してるんですから」
「それはないって。あの美玖だよ?」
「まあ……美玖は妹だから、構いませんけど……」
急に声が小さくなり、よく聞き取れない。
「え? なんて?」
「な、なんでもありませんっ。本屋さんにも寄っていいですか?」
お喋りしながら、午後はショッピングを楽しむ。
その道中で『僕』はプリントメートの筐体を見掛けた。今日のデートの記念に――と思い、恋姫を誘う。
「プリメやっていこうよ、恋姫ちゃん」
「いいですけど……レンキ、操作できませんよ? いつも里緒奈任せで」
「大丈夫、僕が教えてあげるからさ。ほら空いてるうちに」
さすがに三回目となると、男子の『僕』でも大体の使い方は把握できていた。タッチ用のペンは恋姫に持たせ、ひとつずつレクチャーする。
「フレームは好きなやつで」
「えっと……こ、こうですか?」
自信のなさげな恋姫も、相手が『僕』ひとりなら焦る必要もなかった。
「せっかくだし、腕組んでるとこ取ろうか」
「だ、誰にも見せないでください? 約束ですよ?」
「わかってるってば」
ふたりで腕を組み、アップで顔を並べる。
出来上がったサンプルへの落書きは、小さなハートマークがひとつだけ。恋姫は湯気が立ちそうなくらい顔を赤らめ、おずおずと『僕』にシールの半分を差し出した。
「ど、どうぞ……はっ、張ったりしないでくださいよ? これ」
「シールは張るものなんだけど……」
「シールでも、です」
完全に『僕』のペースになってしまい、悔しそうにする意固地な表情が心にくい。
(可愛いなあ、恋姫ちゃんも。守ってあげたくなるってゆーか……)
その後もふたりでショッピングを満喫。
「っと……そういや僕、パジャマ持ってなかったんだっけ」
何気なしにぼやくと、恋姫が横目がちに詰ってきた。
「夜はどうしてるんですか? 女の子と一緒に住んでるのに、自分は着の身着のままで寝てるなんて、感心しませんよ?」
やけに具体的な彼女の言葉に、『僕』は目を点にする。
「いやいや、パジャマは要らないんだよ。ぬいぐるみなんだし」
「里緒奈たちの前ではそうですね。でもお部屋で会う時は、要るじゃないですか」
『僕』と恋姫の間で何かが食い違っていた。
彼女は今、就寝の際はなるべくパジャマを着るべきです――と言っているわけではないらしい。『僕』を男子としたうえで、パジャマデートを前提にしている。
「……え? 部屋に来るの?」
「ひ、飛躍させないでください! レンキはちょっと、可能性の話をしただけで……」
いよいよ安全圏(逃げ場)がなくなり、『僕』は心の中で悲鳴をあげた
(こ、こいつは部屋でも油断できないぞ?)
パジャマが欲しい、と口に出してしまったのが大失敗。
「さあ行きますよ。えぇと、パジャマは……」
(ひい~っ!)
破滅の時は近いのかもしれない。
やがて三時を過ぎ、デザートが恋しくなってきた。
「恋姫ちゃん、スイーツはどう?」
「いいですね」
大通りに屋台はあったものの、外はうるさいうえに座る場所もない。『僕』たちは手頃な喫茶店へ入り、窓際の席で落ち着く。
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