第55話

「ナナルたちが身体を張るんだもの。Pくんも何かしてくれないと、不公平よね」

「……エ?」

 『僕』と恋姫は同時に動きに止めた。

 里緒奈が人差し指を立て、得意満面に微笑む。

「じゃあじゃあ、Pクンの奢りでお姫様デートとか? えへへっ!」

「エッ?」

「そうね……P君が反省するなら、それもいいかしら」

「エエッ? それって……」

 お姫様デートという言葉は、彼女のいない『僕』でも知っていた。デートの間、彼氏は彼女のおねだりをすべて聞かなくてはならないという、恐るべき慣例だ。

 しかも『僕』の場合、相手は女子高生が三人も。財布だけで済むならまだしも、何を命令されるか、わかったものではない。

「どーお? Pくん。ナナルたち、お姫様デートで手を打ってあげてもいいけど……」

 それでも企画のため、背に腹は代えられなかった。

「わ、わかったよ。何でも言うこと聞くから……そ、そのぅ」

 頭を下げると、菜々留に念を押される。

「スクール水着を着てくださいって、ちゃんと大きな声で、約束して?」

「う……うん。スクール水着を着て、く、ください……」

 次の瞬間、菜々留の手元でケータイが音を立てた。

『スクール水着を着て、く、ください……』

 まさかの録音。『僕』は愕然として、菜々留の柔らかい笑みに戦慄する。

「もし約束を破ったら……これ、美玖ちゃんに聞かせちゃうわね」

「ヒイッ!」

 『僕』の頭脳は一瞬のうちにバッドエンドまでの全ルートをシミュレートした。今の台詞を妹に聞かれたら最後、修行に物言いがつく可能性もある。

 お調子者の里緒奈はウインクを決めた。

「いいじゃない、Pクン。リオナたちの水着も拝めるんだし」

「妖精さんじゃなかったら、とっくに死刑ですよ? 猛省してくださいね」

 恋姫の言葉がさらに『僕』の心胆を寒からしめる。

 彼女たちが酌量してくれるのは、あくまで『僕』が人畜無害な妖精さんだから。もし本当は人間の男子だと知られたら――死ぬ。

 同時に『僕』はもうひとつの可能性に気付いた。

(ひょっとして……?)

 恋姫の『妖精じゃなかったら』という言葉は、裏を返せば、『僕』が本当は人間だという事実を知らないことになる。

 つまり――SHINYのメンバーは『僕』をぬいぐるみの妖精と思っている。

 思い返せば、『僕』は里緒奈たちの前で一度も変身を解いたことがなかった。『僕』の技量では変身の魔法と、服の出し入れを同時にできず、素っ裸になるために。

 もちろん、今さら『本当は人間だよ』と白状できるはずもない。

(部屋の着替えとか、異次元ボックスに隠しといたほうがいいか……)

 臆病風に吹かれながら、ひとまず『僕』は誤魔化す方向で進めることにした。

「じゃあ今週は水曜がCMの撮影で、木曜は雑誌のインタビュー。土曜は朝から世界制服のスタートってことでいいかな」

「リオナはりょーかい」

「ナナルも了解よ」

「レンキは納得したわけじゃありませんからね?」

 こうしてSHINYのアイドル活動は繁忙期へ突入する。



 昨日に続き、今日も生憎の雨。

 とはいえS女のプールは屋内のため、天候に左右されずに練習できる。金曜の放課後は『僕』も水泳部に合流し、指導に力を入れていた。

「P先生、バタフライ教えてぇー」

「オッケー。それじゃ、僕の頭に跨って……そうそう、それからうつ伏せに」

 バタフライは全身を波打たせるところに難しさがある。

 これを習得するには、習うより慣れろ。プールサイドでうつ伏せに寝そべる女の子のデルタへ『僕』が潜り込めば、バタフライの理想的なフォームになった。

 あとは『僕』が繰り返し跳ねて、相手にバタフライの動きとリズムを教えるだけ。

「きゃっ? こ、こんなふうに、やん、腰を動かすんですかあ?」

「次は自分でやってごらん?」

 この方法は効果がてきめんで、水泳が苦手な女の子でもバタフライを習得できた。今回の女の子も、最初のうちは腰つきがぎこちなかったものの。

「ンッ、はあ……あっ、できました! こおですか?」

「うんうん。その調子」

 『僕』を支点にして、お尻を小気味よく弾ませる。

 水泳部の皆は順番待ちの様相を呈していた。

「フォームを見直すなら、やっぱりP先生の個人レッスンだよね!」

「次は私に平泳ぎ教えてよ~。ほら、後ろから浮き身を支えてくれるやつ」

「任せてよ。すぐに僕が泳げるように――」

 ところが『僕』の眼前に、何やら鋭いものが飛び込んでくる。

「んばぶっ!」

 部員の股下からボールを掠め取るような、ストライカー級の一撃。『僕』は水平近くに蹴り飛ばされ、プールの水面をホップ、ステップ、ジャンプで沈む。

「ほんっと、ヘンタイなんだから!」

 殺人蹴りを放ったのは、妹の美玖だったらしい。

 ぬいぐるみの『僕』はプールを横断し、反対側へと辿り着く。

「はあ、はあ……コーチとして、バタフライを教えてただけなのに……ハッ?」

 ところが、すでに先まわりされていた。美玖と同じ水泳部の部員でもあるSHINYのメンバーが、仁王立ちで『僕』を見下ろす。

「すっごく楽しそうよねー、Pクン」

「スクール水着の女の子だと、誰でもいいのかしら……」

「ぬいぐるみは怪我をしないから、助かります」

 罪人の立場で『僕』は声を震わせた。

「あのぉ……ほんとに僕、疚しいことなんて何も……これは水泳部の……」

「だったらぁ、リオナたちにも教えてくんないとー」

 ぎくりとする。

 ぬいぐるみの姿とはいえ『僕』も一端の男子。水泳部の女の子たちとキャッキャウフフすることに一片の邪念もない――と言えば、嘘になった。

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