第4話

 こちらの世界でも『イネーガー掃討』のためなら、魔法の使用が許可されている。

 その日も『僕』は分身に放課後の雑務を任せて、プリンに変身、初夏の空を駆け抜けていった。世間にとっては飛行物体がドローンでもヌイグルミでも変わらない。

(この姿じゃないと、魔法は使えないもんなあ……)

 行き先は男子禁制の秘密の花園,L女学院。

 男子がこのテリトリーに足を踏み入れようものなら、もれなくレーザー光線で焼かれたうえ、番犬やらデスマシーンに総出で迎えられるという。娘の美玖が入学したことで、両親がマギシェヴェルトの技術を提供し、L女学院は要塞と化した。

 それでも美玖は親の素性を知らない。

 当然、兄とはいえ『僕』も男子のため、L女学院に入ることは許されない。

 しかし実害のないプリンの姿なら顔パスとなっていた。教師も『僕』のことは警戒したりせず、気軽に声を掛けてくれる。

「プリン氏、今日も水泳部の練習? 頑張ってくださいね」

「ま、任せてください! 今年こそ全国大会ですっ」

 不思議な力も、この『僕』の存在も、L女学院の人間はまともに認識できなかった。

 それもそのはず、『僕』は魔法で強力なジャミングを掛け、ヌイグルミが喋って動くことを関係者全員に受け入れさせていた。

 認識が『男子』であっては頑なに抵抗されるものの、『不思議なヌイグルミ』であれば、ここの女性はそれ以降の思考を中断する。知覚の穴というやつだった。

 生徒もプリンのことは面白半分に歓迎してくれる。

「あっ、プリン氏~! 今日の家庭科部、クッキー焼くから。あとでおいで~」

「う、うん! あとで寄らせてもらうよ」

 無論、男とばれたら最後――『僕』というひとりの青年は『変態』の烙印を押され、二度とお日様のもとを歩けなくなるだろう。ごく一部で称賛はされるにしても。

 幸いにしてプリンの身体なら、新体操部のレオタードを見ようと、テニス部のスコートを見ようと、心穏やかでいられた。あとのフィードバックは怖いが。

「……っと! どこを飛んでるんだよ、僕は」

忍び寄っていたらしい煩悩を払いつつ、『僕』はプールへ急ぐ。

その途中で菜々留が合流した。

「お兄たま~! 司令室? うふふっ、お姉ちゃんと一緒に行きましょうね」

「あの、菜々留さん? 僕のほうが年上なんだけど……」

「プールはあっちよ? どこに行ってたのかしら~」

『僕』は彼女に抱っこされ、無意識の成せる寄り道ができなくなる。

L女学院ではC等部、K等部ともに同じプールを使用していた。体育館の一階に位置し、ガラス張りの屋根から午後の陽が差し込む。

 表向きは私立の豪勢なプール。顧問である『僕』の魔法で、プールの水をお湯にも替えられることから、今年度は新入部員もかなり増えた。

 名門女子校の水泳部で顧問――。

『僕』は今、無限の大宇宙を体験しているのかもしれない。

 けれども水泳部というのは世を忍ぶ仮の姿だった。普通の人間には何の変哲もないプールだが、同じ座標の異相空間はクリミナリッターの基地となっている。

「お兄たま、まだプリンちゃんでいるの?」

「うん」

『僕』はプリンの姿でプールサイドの隠し通路を抜け、秘密の司令室へ。

恋姫は本日の宿題をこなしつつ、司令官の『僕』を待っていた。

「また堂々と侵入してきたんですか? お兄さん」

「侵入だなんて……」

 自覚はあるだけに後ろめたい。

 勉強が苦手な里緒奈はテキストを広げるだけ広げて、ブー垂れる。

「あ~あ。テストでも魔法が使えたらいいのに」

「そんなことしたら、マギシュヴェルトに怒られるのはお兄さんでしょう? 仕返しに何を要求されるか、わかったものじゃないわ」

「はぁーい」

「僕が何を要求するっていうんだよ……」

 相変わらず恋姫の言葉はきつかった。お兄さん、と敬称ではあるものの、それだけ司令官の『僕』にも模範的な振る舞いを要求してくる。

 里緒奈は『僕』に教科書を差し出した。

「あ、そうそう。お兄様ぁ、りおな、美玖ちゃんから英語の借りっ放しなの」

「また? しょうがないなあ。僕のほうから返しておくよ」

 念のため『僕』はそれを開き、目立った落書きがないか確認しておく。

 マイケルの頭には愛らしいネコ耳が書き足されていた。小学生男児の手に渡らなかったことが、マイケルにとって最上級の幸運である。

「THE・MOST・HAPPY……それ間違ってるよ? 里緒奈ちゃん」

「え? どこぉ?」

「HAPPYの最上級。これはYをIに変えて……」

 C等部生を相手に、『僕』もK等部生としての面目は保てた。

 菜々留も席につき、おずおずと『僕』に甘えてくる。

「ナナルにも教えて? お兄たま~」

「菜々留ちゃんは割とできるほうでしょ?」

「古典は苦手なの。授業でやったとこ……ほら、こことかぁ」

 C等部生の中でも彼女は群を抜いて、大人びた容姿をしていた。長い髪などはモデルさながらで、新入生向けのパンフレットではL女学院の制服姿を披露している。

 胸もC等部生にしては大きめで、それがなおさらプロポーションを波打たせ、たおやかな印象を際立たせていた。

 クラスのある男子は『僕』に語った。

 おっぱいは性欲の対象にあらず。母性の象徴なのだ、と。

「信じられません」

 不意に恋姫に指摘され、『僕』はぎくりとする。

「お兄さん、れんきたちに教える時だけ、学力が人並みになってませんか?」

「普段は人並み以下だってこと、よくご存知で……」

 菜々留の胸に見入っていたことは、どうやら誤魔化せた。

 C等部の水泳部はK等部との兼ね合いもあって、練習は二日に一度。練習のない日は体力トレーニングや、このように勉強会を開催している。

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