刹那の煌きを

きさらぎみやび

刹那の煌きを 

 鉄蔵は幼い時から何かを描くことがたまらなく好きだった。

 紙に硯に筆があれば後はなんにもいらない。

 紙が手に入らなければ木の枝を拾ってきて地面にがりがりと書きつける。

 およそ目に入るものを自らの手で写し取らなければ気が済まなかった。


 とはいえ鉄蔵は百姓の家に生まれ、今は養子の身である。いつもいつも絵を描いているわけにもいかない。使いを頼まれればそこは養われている立場、しぶしぶと頼まれごとをこなしに出かけるのだが、それはそれであたりのものが気になって仕方がない。やれ川沿いの柳が風に揺れるさまが目に入るだの、居酒屋の店先の猫が身をかがめて伸びをするさまが気にかかるだのと、普通の小僧の二倍も三倍も時間がかかって使いをこなすのだ。


 そんな鉄蔵が何より好きなのが喧嘩だった。といってもするほうではなく見るほうである。「火事と喧嘩は江戸の華」とはよく言ったもので、ちょいと路地裏を覗きこめば揉め事の一つや二つはざらにある。本人も随分と喧嘩っ早く、のちのちは養子先を飛び出してしまうのだが、それはひとまず置いておく。


 趣味が悪いといえばそれまでだが、人が拳を握って殴りあう様子を見るのが殊の外鉄蔵は好きだった。殴られた刹那に歪む頬の肉、きしむ筋肉、捻りあげられた骨格のそのさまを彼はたまらなく美しく感じたのだ。


「おれぁやっぱりおかしいのかねぇ」


 自分でもわかってはいるが、こればっかりは生まれついての性分である。


 そんなある日、お使いで町はずれの寺にまで届け物を頼まれた。出歩くこと自体は嫌いではない。いつものようにへえへえ、と神妙に荷物を持って出発した。寄り道するんじゃないよ、と養父に強く言い含められ、本人もそれは分かっているので承知しました、と返事だけは良い。

 幸いにも寺までの道は人通りも少なく、彼の興味を引く出来事はそれほど起こらなかった。無事に和尚さんに荷物を渡して、さて帰るかと近道となる裏手の墓地を抜けて行こうとしていたその時、先にある竹やぶにきらりと光る何かが見えた。こうなると気になって仕方がないのが鉄蔵である。

 そろりそろりと近づいた鉄蔵が見たものは、対峙する二人の侍だった。


 片方はすでに息も絶え絶え、頭や胸からどろりと血を流しながら、ようやく両の手で刀を掴んでいるといったさま。もう片方の侍は編笠を深くかぶったまま泰然自若と刀を鞘に収めてその場に立っている。

 先ほど鉄蔵の目に入ったのは血だらけの侍が持つ刀の照り返しのようだった。


「果し合いか…?」


 小声でつぶやく鉄蔵の眼はふらふらとしている侍に釘付けとなっていた。

 髪は乱れ、目はうつろ、足元はふらつき、今にも倒れそうだが、しかしその肉体はまだ命の輝きを保っている。筋肉は収縮し、肺は膨張し、血流はいよいよ体の外側へあふれ出している。

 その様子を鉄蔵は純粋に美しいと感じていた。


 瞬く間のことだった。


 編笠の侍がすっ、と一歩前に出たかと思うと目にもとまらぬ速さで刀を抜き放ち、相手の喉元をすぱりと断ち切った。

 吹き出る血しぶきを見事に一滴も浴びずに躱しながら刀を納め、もはや興味はないという風にくるりと踵を返してその場を去っていく。

 首を切られたほうの侍は無駄な足掻きと知りながらも噴き出す血潮を両手で押さえる。もちろんその程度で止まるはずもなく、あたりに血の花を咲かせながらがくりと膝をつき、そのうちびくびくと痙攣を始めると徐々に動かなくなった。

 侍の命の炎が消え去るまでの一部始終を、鉄蔵は息をするのも忘れて見つめている。彼を支配していたのは「その一瞬」を見逃すまいとするただその思いのみ。


 ああ、ああ、命の散る瞬間のなんと美しいことか!


 そうだ、刹那だ、物事の刹那、刹那の煌きこそをおれは描きたいのだ!


 これこそがおれが一生かけて描くべきものだ!


 その日どうやって帰ったのか、鉄蔵は二度と思い出すことはできなかったが、侍が事切れるあの瞬間については齢九十で亡くなるまで彼の脳裏から離れることはなかった。



 鉄蔵の晩年の名は画狂老人卍。良く知られた名では葛飾北斎という。

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