memo

胆鼠海静

20200530

所詮は木偶人形と人はいうが、私たちの手先は、人よりもずっと繊細で、長持ちする。将来の家計のことを考えたり、痴情がもつれたり、修羅場をかいくぐらなければならない人と比べて、私たちの出生はとても単純で、煎じ詰めれば、土塊に図を書いて念仏を唱えるだけで済む。壊すことも同じように簡単だ。

 一辺は、大体五メートルといったところか。土壌から綺麗に切り出された立方体の表面一杯に刻まれた図象の入り組み様は、立方体の輪郭をはみ出てどこまでも拡がっていきそうだ。十数年前はこういった複雑な図形を何回も人の手によって書き記す必要があったそうで、材料を小分けにする必要がなくなった分、生産効率が上がった、というのも頷ける。道具の便利さは、ものぐさを加速させるらしく、人がやっていた詠唱も今では、私たちがやる始末だ。

 連鎖術式。術の発動と並行して、特定の方向に自身と同じ魔法陣を書き込み、発動させる魔術の総称。種子を残して世代をつなぐ植物のようなものと思えばいい。陣の増殖する規則、親世代の陣が次世代の陣を書き込む方向を調整すれば、陣を一発書くだけで、決まった数の術を連続して発現させることも可能だ。

 擦れる声が、一定のリズムを刻んだのを合図に、土塊の表面が蠢動する。連鎖を続ける術式は、その軌跡に無数の人形たちを生み出しながら立方体の中心部を目指して進んでいく。人の手によってこしらえられた土の卵塊。そんな比喩が頭をよぎるのは、虫の孵化と多分に似ているからだろうか。そう思う私の思考が、なぜ展開されているのかと、さらに不思議に思う私がいる。今群れている人形にはない私の特性を、あなたがどういった意図で私に植え付けたのか、私は考える。



 枝葉状に分岐した手足と、七色に輝く背骨と肋骨。骨の上を滑っていく色彩は、やがて壁の表面をせわしなく這いずる手足を伝っていき、壁画に細密に描画された人や天使の肢体の一部となる。こんな悪魔のような被造物に任せていい作業なのかと思うが、制作の過程よりも納期を優先させるのが今の風潮、というのが親方の謂いだ。それもまあ、納得はする。完成度の高さが人が作ったものと遜色ないものであれば、制作時間が短いに越したことはない。

 背中に染料が補給される振動を感じつつ、周囲に首をめぐらしてみる。作業員の中で、こういう行動を取る者は私以外にいない。皆黙々と天井に貼り付いて、自身の担当範囲の絵を仕上げている。彼らの背中(私のも含めてだが)から、伸びた管は床に向かってぶら下がり、床に設置された貯蔵装置から絶えず染料を引き上げている。

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