第78話 君がどこかへ消えてしまう前に
「二人だけで行く?本気なの?」
瞳さんに詰め寄られた僕は「はい。七森と相談して二人で決めました」と答えた。
「危険よ。だってそこには街の人たちの心が閉じ込められているんでしょ?どんな罠が待っているかわからないわ」
「それでも、二人で行きたいんです。今まで僕らを助けてくれた大人の人たちは、みんな危ない目に遭ってるんです。そんな思いをするのはもう……嫌です」
僕が言葉に詰まると、瞳さんは「わかったわ」と苦い表情のまま頷いた。
「まあとにかく、できるだけのバックアップはさせてもらうぜ。……この地図によると、マーカーの場所は工業団地の中だな。位置からして公営住宅と考えて間違いないだろう」
マー坊が那智さんから渡された地図を見て言った。そしてふんと鼻を鳴らすと「郊外のゴーストタウンとはまた、敵もうまいところに目をつけたもんだな」と言った。
「工業団地まではバスで行けるみたいですね。その先は……出たとこ勝負か」
僕は思わず杏沙の方を見た。杏沙はとっくに覚悟を決めているらしく、僕の不安げな顔を見ても何の反応も見せなかった。僕らが持っている武器と言えば那智さんから貰った『ショックワーム』と、四家さんにもらった『敵になりすませる眼鏡』だけだ。はたしてこれだけで、博士の元にたどり着くことなどできるのだろうか。
「とにかく今日中に戻ってくるつもりなので、うまく行くようここで祈っててください」
僕は心もとない決意を口にすると、バギーと発電機の入ったリュックを背負った。
「危ないと思ったら、意地を張らないですぐに助けを呼ぶのよ。いいわね?」
「はい、そうします」
僕らは数少ない味方の人たちに別れを告げると、どんよりと曇った空の下を歩き始めた。
※
工業団地前という停留所でバスを降りた僕らは、地図を頼りに歩き始めた。
人気のない通りを歩いて団地の入り口に到着した僕らは。中へ入ってゆく道がバリケードで封鎖されているのを見てその場に立ち尽くした。
「どうしよう。これじゃ中にはいれないぜ」
「こっちが北側でしょ?この地図によると公営住宅があるのは敷地の南側みたいだから、ぐるっと回って近くまで行けばなんとかなるんじゃない?いよいよとなったらフェンスを乗り越えるって手段もあるし」
杏沙のいささか乱暴な提案に従い、僕らは敷地の周りをフェンス伝いに歩き始めた。
雨雲が広がり、暗くなってゆく空の下を歩いていると突然、杏沙が足を止めてフェンスにもたれかかった。
「どうしたの?」
「なんだかわからないけど、頭が痛いの」
「そりゃまずいや。探索は中止してどこかで休憩しよう」
僕が周囲を見回しながら、そう声をかけた時だった。突然、杏沙が「うっ」と呻いたかと思うと、ものすごい勢いで歩道を逆に走り始めた。
「おい、どこに行くんだよ」
僕は杏沙の後を追いながら、あることを思いだしてはっとした。たしかジャックが杏沙の頭にコントロール・チップとか言う物を取りつけようとしていたはずだ。
――まさか?
杏沙の次の異変は、走っている最中に現れた。急に足取りが乱れたかと思うと、歩道から外れて住宅の間の空地へと入っていったのだ。
仕方なく後を追ってゆくと、杏沙がうねうねとでたらめに走り回ったあげく、小さな廃屋の前で前のめりに倒れこむのが見えた。
「――七森!」
僕はうつぶせで倒れている杏沙に駆け寄ると、迷わず首の付け根にある頭部の開閉ボタンを押した。後頭部がぱかんと開いて現れたのは、つやを失ってぐったりしている杏沙だった。
「……あった、これだ!」
杏沙の近くには、不気味に点滅を繰り返す装置があった。僕は装置を力任せにむしり取ると、近くの草むらに放り投げた。
「畜生、ひどいことしやがって……だめだ、エネルギーが切れかかってる」
このままでは杏沙は『ジェル』の身体を保てなくなって死んでしまう。僕はリュックからバギーと発電機を出すと、杏沙を頭部からとり出して発電機の容器に入れた。
「待ってろよ、今、充電してやる」
僕は発電機のスイッチを入れると、ハンドルを回し始めた。ひたすら回し続けるとやがて容器のランプがぼうっと灯り、杏沙の身体の上で青白い火花が二、三度散るのが見えた。
「……畜生、これくらいじゃ動くには全然足りない!」
僕はハンドルを回し続けた。すると突然、ランプがふっと消えて容器の中の火花も見えなくなった。さらにハンドルを回し続けると、今度は発電機自体が力を無くしたかのように、いくら回しても何の変化も起こらなくなった。
「くそっ、どうしてチャージされないんだ!」
僕はいったん発電機の傍を離れると、電気をもらえそうな場所を探してあたりをうろつき始めた。だが、歩き始めて間もなく僕は自分の身にも異変が起きていることに気づいた。
――なんだ?身体が重い……脚が思うように動かないぞ。
異変はまたたく間に僕の全身を支配した。僕は数歩歩いただけで、まるで糸が切れた操り人形のように地面に倒れ込んだ。
コントロール・チップのせいじゃない。アンドロイド・ボディそのものに何かの不具合が起きているのだ。
まったく身動きが取れなくなった僕は、真っ暗な自分の頭の中で少しづつ『ジェル』だった時の感覚を取り戻していった。アンドロイド・ボディから切り離され、小さな『ジェル』に戻った僕はハッチを開けるとぎこちない動きで頭の外へ這い出していった。
――なんてこった、空地ってこんなに広かったのか。
強さを増した雨に打たれながら、僕ははるか遠くに見えるバギーを見て真っ暗な気持ちになった。雨で『ジェル』自体の大きさは増していたものの、僕の身体にはもうエネルギーがほとんど残っていないようだった。
――畜生、なんて遠いんだ。人間の身体だったらこんな距離、ほんの数秒なのに。
雨に打たれ、僕は泥まみれになりながらバギーまでの距離をずるずると進んでいった。
僕はおそろしく長い時間をかけてバギーにたどり着くと、発電機の傍でへたり込んだ。
――五瀬さんも四家さんもいない。助けを求めることすらできない。
僕は『ジェル』の身体で発電機のハンドルにしがみつくと、無駄かもしれないと思いつつ、ゆっくりと回し始めた。
――七森、ごめんよ。こんなに近くにいるのに、僕にはこれくらいしかできない。
僕が『ジェル』の身体でハンドルを回しても、いっこうに変化は起きなかった。それどころか容器の中の杏沙の身体はどんどん色あせ、小さくなっていくように見えた。
――七森、たのむから消えないでくれ。どこかに行ってしまわないでくれ。
僕は必死でハンドルを回し続けた。すると一瞬、杏沙の身体の上に青白い火花が走るのが見えた。
――神様、お願いします。一秒でもいいから七森に生きるエネルギーを与えて下さい。
僕はそう祈りながら残ったエネルギーをすべて、ハンドルを回す手に込めた。だが、必死の願いもむなしく火花はたちまち消え失せ、点いたり消えたりを繰り返していた発電機のランプもふっと消えて灯らなくなった。
――ごめん七森。頑張ったけどだめだった。これ以上、僕にはどうすることもできない。
僕はガラスの向こうの杏沙に語りかけると、そのまま深い闇の底へと沈んでいった。
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