第32話 人間より人間らしい僕ら


「ちょうどいい広さだわ。真咲君、ここ私の部屋にしていい?」


 リビングのサイドボードに、何も入っていない戸棚を見つけた杏沙が言った。


 なるほど、扉を閉めたら立派な『個室』だ。


「好きにしなよ。僕はそのへんのソファーででも寝るからさ」


 『ジェル』に慣れようと這いずり回り。さすがに疲れた僕は投げ槍気味に言った。


「ねえ不思議だと思わない?服も着てない、食事もお風呂もいらない身体なのに、『幽霊』だった時より人間っぽい気分だなんて」


 杏沙が口にした感想は、そのまま僕の気持ちでもあった。動けば床の感触がわかり、手足がなくてもドアを開けたり机によじ登ったりできる。

 ――わお、なんて素敵なんだろう。ジェル万歳だ。


 僕らが旅行に来た子供みたいにはしゃいでいると、なにやら機械のような物を手にした五瀬さんが姿を現した。


「だいぶ『ジェル』の身体に慣れたようだね。ちょっと落ち着いて話を聞いてくれないか」


 五瀬さんんはそう言うと、機械をダイニングテーブルの上に置いた。


「さっき食事を摂る必要はないといったけど、君たちの身体を動かしているエネルギーは人間と同じように減ってゆくんだ。空中から無意識に取り入れることはできるが、それでも時間と共にやはり減少してゆく。そしてある程度以下になると動けなくなってしまう」


「でもご飯は食べられないんですよね。どうしたらいいんですか?」


 僕が尋ねると、五瀬さんは「これを見てくれ」と言って持ってきた装置を目で示した。


 装置は、小型の発電機に透明な容器と手回しハンドルをくっつけたような形をしていた。


「これは小型バッテリーのような物で、ハンドルを回して発電すればエネルギーが確保できる。エネルギーを『ジェルに食べさせる』には、容器に君たちの片方が入り、もう一方がハンドルを回せばいい。十分も回せば半日分くらいの活動エネルギーは得られるはずだ」


「大変なんですね、ご飯を食べるのも」


 僕がぼやくと五瀬さんは「どんな生き物でも、それが一番大事だからね」と苦笑した。


「それから、適度に水分を取る必要もある。家の中ではどうということもないが、日差しの強い戸外では注意が必要だ。脱水状態になると大きさも十分の一以下になってしまい、碌に動くこともできなくなる。こいつで日に一回程度、『シャワー』を浴びるといい」


 そう言って五瀬さんが取り出したのは。観葉植物に使うような『霧吹き』だった。


「シャワーに食事か。これで少しは人間らしくなったってわけね」


 杏沙がどこか面白がるような口調で言った。


「エネルギーさえあれば君たちは五十時間でも百時間でも動き続けることができるが、やはり夜間は『人間らしく』一応、休んだ方がいいと思う。その姿は敵と戦うための仮の姿であって、いすれは本来の身体に戻るんだからね。『ジェル』に慣れすぎて目的を見失わないよう、ここにいる間の生活は極力、人間だった時の暮らしと同じにした方がいいと思う」


 五瀬さんはそう言うと、「それじゃ、ごゆっくり」といって研究室の方に戻っていった。

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