第28話 憑りつく身体もない僕ら


「七森先生、いらっしゃるなら私にわかるように証拠を示していただけませんか。お願いします」


 五瀬さんは杏沙ではなく僕のいる方を向いてそう言うと、引き出しから小さなハンドベルを取り出して机の上に置いた。


「これから私が質問をします。イエスなら二度、ノーなら一度、このベルを振って下さい」


 五瀬さんは壁際まで後ずさると、ふっとため息をついた。


「ふふ、もし生体エネルギーが僕の思い込みだったら、こいつはイカれた学者の一人芝居にしか見えないだろうな」


 五瀬さんは僕らのいる方……つまり何もない壁に向かって「最初の質問です。……あなたは七森博士ですか?」と尋ねた。


  杏沙はすっと動くと机の上のハンドベルを掴もうとした。だが、杏沙の指の動きに対し、ベルは何の反応も見せなかった。


「――駄目か。所詮、生体エネルギーなんて物は理論上の存在でしかないのかな。交霊術と同じで、なにかのからくりでもない限り椅子や机が勝手に動くなんてことはないんだ」


 五瀬さんの諦め顔とは対照的に、杏沙の目は真剣だった。どうして肝心な時に動いてくれないの、そう思っていることが僕には痛いほどよくわかった。


 やがてベルの柄がわずかに傾いたかと思うと、リン、と澄んだ音が空気を震わせた。


「一度……先生じゃないってことか?」


 五瀬さんは目を大きく見開き、絶句した。それはそうだろう。幽霊から返答があったと思ったら、想像していた相手ではないというのだから。


「じゃあ……あなたは誰なんです?……私の知っている誰かですか?」


 五瀬さんの問いかけに、杏沙はベルをリン、リンと二度鳴らした。


「そんな……私を知っている人で、この研究施設の場所まで知っている人と言ったらごくわずかなはず。……まさか、四家君か?」


 杏沙が間髪を入れずにリン、と鳴らすと、五瀬さんの表情が困惑の色で一杯になった。


「四家君でも先生でもない……わかった、それじゃあこうしよう。この研究所に生体エネルギーを物質に保存できるシステムがある。まだ開発中だが、今が試運転のチャンスかもしれない。誰かは知らないが、私と一緒に隣の実験室まで来てくれないか?」


 杏沙がベルをリン、リンと二度鳴らすと、五瀬さんはほっとしたように頷き「ではこちらへ」と言って隣室に続くドアへと向かった。


「……どうする?ついていくかい?」


「もちろんよ。このチャンスを逃したら一生、幽霊のままだわ」


 僕らは五瀬さんの後に続く形で、隣の実験室へと移動した。ドアを通り抜けることにすっかり慣れた僕は、五瀬さんがわざわざ僕らのためにドアを開け放ってくれたことが妙に嬉しかった。


 隣の部屋には一目でそれとわかる奇妙な装置が据えられていた。機械の一方から出ているチューブには掃除機の吸い込み口を思わせる先端がついており、反対から出ているチューブには、上に何かを乗せられそうな円盤が接続されていた。


「いまからあなたに『新しい身体』をお見せしましょう」


 五瀬さんはそう言うと、巨大な収納庫から霜で覆われた透明なガラス容器を取り出した。


 五瀬さんはガラス容器を円盤型の装置に乗せると、表面の曇りを布で拭った。


「この容器に入っているジェル状の物質が、生体エネルギーを保存できる『身体』です」


 ――あれが『新しい体』だって?



 霜が取れて露わになった物体は一言で言うと、暗い緑色をした溶けかけのゼリーだった。


 「あれが僕たちの身体になるのか……こりゃあ、幽霊の方がましだったかもしれないぞ」


 僕が率直な感想を言うと、杏沙も微妙な表情で「期待し過ぎてたみたいね」と言った。

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