第22話 床下を散歩する幽霊


「真咲君、リビングはどの辺?」


 身体を半分コンクリートに埋めた杏沙が突然、振り返って僕に尋ねた。


「多分このあたりだろうな。キッチンやトイレだったらもっと配管がたくさんあるはずだ」


「本当に?」


 あてずっぽうに言った僕を、杏沙はまるで事情聴取でもするように問い詰めた。

どうして女の子って奴は、確実な答えなんかないって知ってて「絶対?」なんて聞くんだろう。


「そんなの知らないよ。家の地下なんて初めてなんだ、わかるわけないだろ」


「……いいわ、じゃあちょっと『浮上』してみる」


「浮上?」


 杏沙はまたしても僕の制止を振り切ると、膝を伸ばして床下で立ちあがった。

 杏沙の口から上が床上に吸い込まれ、僕は鼓動が一気に早まるのを覚えた。


 杏沙は数秒ほどそのま静止していたが、やがて床と地下を隔てる板から頭を引き抜くと再び身を屈めた。


「いいわ。サイコーにラッキーよ」


「どういうことだい」


「いいから来て。来ればわかるわ」


 僕は渋々、杏沙と頭を並べる形で屈み、そのまま膝を伸ばして立ちあがった。


「……わっ」


 床上に出た僕は思わず小さな叫びを漏らした。僕の目に見えたものは、テーブルの天板と周囲を囲む複数の脚だった。


「な……」


「わかったでしょ。うまい具合にダイニングテーブルの真下に出たってわけ」


「まったく、冷や冷やさせてくれるよ」


 僕は杏沙の強運に唸らざるを得なかった。少しでも出る位置がずれていたら丸見えだ。


「危なくリビングの床からお化けが二体、顔を出すところだったな」


 僕は小声でそうぼやくと、息を殺して家族の会話に聞き入った。


「じゃあ小峰先生は、新吾の同好会とは無関係なんですか」


「お話だけは五十嵐先生から聞いていたんですが、忙しくてお宅にうかがえないって聞いて、ちょうど暇だったので代わりに行こうと思って」


「僕なら心配いりません。たしかにちょっとがっかりしたけど、仲間ぐらいまたすぐ集めて見せます。……ただロケの予定がなくなって、目をつけてた喫茶店を撮影できなくなったのが心残りかな」


 驚いたことに『僕』の台詞はそのまま僕の気持ちを代弁していた。ここまで『僕』が僕になりきっているとは。これでは家族にも見破られないわけだ。


「それなら私、いいお店を知ってるわよ真咲君」


「本当ですか?」


「ええ。とても雰囲気がよくて、綺麗なCGの絵が店内にたくさん飾ってあるの」


「絵が飾ってあるお店……」


 横から口を挟んだのは、どうやら舞彩のようだった。


「あら、妹さん、絵に興味があるの?」


「いきなりすいません。こいつ、僕のパソコンを使って時々、絵を描いてるようなんです」


「そうなの。……実はそのお店に飾ってある絵も、お店の娘さんの絵なの。ちょうど真咲君の妹さんと同じくらいかしら」


「本当ですか?」


 舞彩ののめり込む様子が浮かび、ぼくはまずいぞと思った。


「後でそのお店、教えてもらえますか」


「ええ、もちろん。今度、案内してあげるわ。……良かったら妹さんも一緒に」


「えっ、いいんですか?」


 舞彩が声のトーンを上げるのを聞いた僕は、はっとした。この話は『僕』もグルだ!


「お店の方に都合を聞いておくわね。……あらいやだ、すっかり長居してしまったみたい」


 小峰先生はそう言うと、「では私はこの辺で」と言って椅子を引いた。


「先生、バス停まで送ってくよ」


 『僕』が言い、小峰先生が「あら、ありがとう」と返す声が聞こえた。


「――出ようぜ、七森」


 僕らは床下に戻ると、入ってきた方向とは異なる場所から外に出た。再び向かいの駐車場に戻ると、ちょうど『僕』と小峰先生が玄関から出てくるところが見えた。


「出てきたぜ」


 『僕』と小峰先生は玄関先で何やら立ち話をすると、そのままどこかへ移動し始めた。恐らくバス停に行くのだろうと後をつけた僕らは、二人の足取りの奇妙さにはっとした。


 二人はバス停の手前で向きを変えると、そのまま別の方向へと向かい始めたのだった。


「どこに行くのかしら」


「さあ……僕らはまず、研究所に行くのが先決だろ」


 僕が足を止めて考え始めた途端、杏沙が二人の入っていった路地へと向かい始めた。


「おい、待てよ危険だぜ」


 杏沙は僕の呼びかけに答えず、まるで探偵が尾行するように二人の後をつけ始めた。


「……しょうがないな」


 面倒なことにならなきゃいいけど、と内心で思いつつ、僕は慌てて杏沙の後を追った。



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