第20話 ここにいる僕と、近くにいる僕


「いいかい、『敵』がもし僕らを感知できる道具を持っていたら、ただちに退散するんだ」


 リビングの手前で僕はそう言って杏沙に念を押した。


「そうね。私たちが来たと知られただけでも、ご家族に危険が及びかねないものね」


「誰にも気づかれないまま、ここを離れられればいいんだけど……」


 僕はそう言ってリビングのドアを潜り抜けた。予想通り、中にいたのは両親と兄の理だった。僕は後ろで控えている杏沙にソファーの後ろを目で示すと、最初にやったように身を隠した。別に見えないのだから隠れる必要はないのだが、用心するに越したことはない。


「なんだか最近、新の奴落ち着きがないな。映画同好会が駄目になったんで、精神的に参ってるのかな」


 兄の理が、気づかわし気な口調で言った。僕は兄の目に注目した。ごく普通のまなざしだ。口調から考えても兄はまだ『アップデーター』にとってかわられてはいないようだ。


「放っておけ。仲間がいなければ一人でできることをやればいい。慌てずとも理解者はどこかにいるさ」


 父の孝志がコーヒーメーカーに豆をセットしながら兄の呟きに応じた。父の目もやはりこれと言って変なところはない。ごくありふれた日曜日の団らんだった。


「副担任の五十嵐先生も、困ったでしょうね。新吾のわがままに貴重な時間を取られて」


 母の清恵が台所からお茶菓子を持って姿を現した。父と兄に調子を合わせている姿を見る限り、違和感のような物はない。つまり今のところ、舞彩も含めて『僕』以外の全員が無事だということだ。よし、と僕は頷いた。これで心置きなく研究所に行くことができる。


 僕は杏沙の方を向いて「行こうか」と言いかけた時だった。階段を降りてくる足音が聞こえ、舞彩が姿を現した。


「よう、どうだ?新の具合は」


「えっ……別にいつもと変わらないけど」


 いきなり僕の話題を出され、舞彩はあからさまに動揺するそぶりを見せた。


「お前もあんまり新をからかうんじゃないぞ。たかが映画と言ってもそれなりに真剣らしいからな」


 父にたしなめられ、舞彩は「馬鹿にしたことなんかないよ、私」と即座に否定した。


 尊敬しろとは言わないが、兄の物を当然のように使うのは止めてくれ、と僕は思った。


「新ちゃんがぼやいてたわよ。だんだん僕のパソコンが舞彩に占領されてきてるって」


「私の奴は容量が足りないから、仕方なく借りてるだけ。断られたら絶対、触らないわ」


 どうだか、と僕は真顔で潔白を主張する舞彩を白い目で見た。どうして女って奴は嘘八百を迫真の演技で言えるんだ?


 僕が呆れて鼻を鳴らした直後、またしても階段を降りてくる足音が聞こえた。やばい、『僕』だ。


「七森、行こう。『僕』が来る」


 僕が急かすと、杏沙は無言で頷いた。どうか次の『帰省』まで家族みんなが無事でありますように。


 そう心の中で祈ると、僕は壁を抜けて庭へと脱出した。ひと呼吸遅れて現れた杏沙は、幽霊のくせに息を切らせ「危なかった、ちょうど後ろでドアが開く音が聞こえたの」と言った。

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